表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/54

#35 危険な兆候

 市民の覚醒を促すネットワークが軌道に乗り始めてから、2週間が経った。街は一見、何も変わっていないように見える。穏やかな昼下がりの市場。露店の香ばしい焼きパンの匂いに、客引きの乾いた声。だが――胸の奥では、言葉にできない違和感がざわついていた。


 人の流れがいつもより滞っているように感じる。視線を少し上げると、黒いコートを着た男たちが群衆の中に紛れていた。政府のエージェントだ。見慣れた制服とは違う、胸元に青い紋章。情報管理局所属の人間だ。


「……まさか、もう動き始めたのか?」


 俺は足を止め、露店の影から市場を見渡した。エージェントたちは数人一組になって、住民に声をかけている。その動きはまるで獲物を狙うハンターのようだった。


「最近、変わった集まりに参加されたことはありませんか?」


最も近くの1人が、果物売りの老人に穏やかな声で尋ねる。だが、その瞳には冷たく光る鋭さがあった。


「い、いえ……特には」


「読書会や親睦会のような集まりです。ただ、非公式で無許可な集まりを指しています」


 その言葉を聞いた瞬間、背中を冷たいものが走った。

 俺の頭の中で、警報が鳴り響く。読書会――親の会――労働者の集まり。全部、俺が仕組んだ地下ネットワークだ。


「……バレたのか?」


 思わず息を詰める。だが今ここであからさまに視線を向ければ、それだけで怪しまれる。俺は手帳を開き、予定を確認するふりをして、背を向けた。


 市場のざわめきの中をすり抜け、裏通りへと足を早める。脳裏に浮かぶのは、トーマス、マリア、エミリー、トム――仲間たちの顔だった。


「まずは、図書館だ」


---


 図書館の扉を開けると、空気が張り詰めていた。人影は少なく、閲覧席には誰もいない。マリアがカウンターの奥で立ち尽くしていた。俺の姿を見つけると、彼女は小声で言った。


「……レイさん、大変なことが起きています」


「何が起きたんですか?」


「今朝、政府の調査員が……」


 彼女の声が震えている。俺は言葉を挟まず、ただ頷いて続きを待った。


「図書館の利用状況を詳しく聞かれました。

 特に――政府推薦図書以外の本を借りる人の名前を、とのことです」


 胸が痛んだ。政府推薦図書以外の本――それは「感情刺激書籍」として分類されていて、禁書に近い扱いだ。つまり、俺たちの活動そのものが危険視されている証拠に他ならない。


「トーマス館長は?」


「……館長室にいます。でも、かなり疲れている様子で」


 俺は迷わず奥へと進んだ。

 館長室の扉を開けると、紙の匂いと重苦しい沈黙が出迎えた。トーマス館長は椅子に深く腰掛け、手にしたペンを固く握っていた。


「館長、大丈夫ですか?」


「レイさん……」


 老いた瞳がこちらを向いた。その目に、恐怖と疲労と――微かな決意が宿っている。


「政府が、動き始めたようです」


「調査の内容を教えてください」


 トーマスは机の上の報告書を俺に見せてくれた。政府情報管理局から正式な文書が届き、図書館の運営状況について調査を行うとのこと。特に、思想に関する書籍や、非推薦図書の閲覧履歴。貸出状況などに重点が置かれていた。


「……幸い、隠し部屋は見つかっていません」

 トーマスの声が少し震える。


「だが、利用者リストは提出しなければなりませんでした」


 俺は眉をひそめた。そのリストには、読書会のメンバーが含まれている。


「館長、あのリストは……」


「大丈夫です」

 彼は静かに微笑んだ。


「提出したのは公式のものだけです。

 特別リスト――君たちの活動に関するものは別に保管してあります。

 誰にも知られていません」


 俺は思わず安堵のため息を漏らす。


「ありがとうございます。あなたの勇気に敬意を」


「いや……君の方こそ。

 私はもう年だが、君にはまだ未来がある。

 どうか、慎重に動いてくれ」


---


 図書館を出た俺は、すぐにエミリー・ボイルの家へ向かう。親の会のメンバーへの連絡は急ぐ必要があったからだ。玄関の扉が開いた瞬間、彼女の顔に浮かぶ不安がすべてを物語っていた。


「レイさん、実は……!」


「やはり、調査が入りましたね」


「ご存知だったんですか?」


「他の地区でも同じ動きが確認されています」


 エミリーは唇を噛み、震える声で続けた。


「幼稚園と小学校に監査官が来ました。

 保護者一人一人への『教育方針への理解度調査』だそうです。

 特に、感情教育に関して――どう思うか、と」


「……つまり、家での教育を監視している」


「ええ。私は怖くなって……子供たちを守るために嘘をつきました」


「嘘を?」


「『政府の指導に全面的に従っています』って。ほんとは違うのに」


 その声には、罪悪感よりも強い決意が込められていた。母親としての本能が、真実よりも子供の安全を選ばせたのだ。


「正しい判断です」

 俺は落ち着かせるように言った。


「今は、疑われないことが最善です。親の会は、しばらく休止しましょう」


「……そうですね。みんなには、どう伝えれば?」


「直接の連絡は危険です。偶然を装って、散歩の途中などに。

 あるいは買い物の帰りに少し話す程度で伝えてください」


 エミリーは力強く頷いた。その瞳に宿るのは、不安ではなく覚悟の色だった。


---


 夕方。労働者居住区の酒場で、俺はトムと隅のテーブルで向かい合っていた。薄暗い照明の中に浮かぶ、彼の表情には疲労がにじんでいる。


「工場に監督官が来た」

 トムが小さく言った。


「『労働意識調査』だそうだ。

 仕事への満足度、同僚との関係、休日の過ごし方……そして――」


「そして?」


「プライベートでの集まりや、労働組合的な活動の有無を聞かれたよ」


 やはり、俺たちの集会の情報が掴まれている。俺は唇を噛みしめた。


「どう答えた?」


「みんな、『特にない』って。

 俺も、ジェームズも、クロエも……でも、全員顔が引きつってました」


 沈黙が落ちた。酒場中に笑い声や喧噪で盛り上がっているのに、俺たちの席だけ時間が止まっているようだった。


「……しばらく、活動は中止した方がいい」

 俺が口を開いた。


「政府の動きが落ち着くまでは、身を潜めましょう」


「せっかく仲間ができたのに……」


「これで終わりじゃない。これは一時的な措置だ。

 時が来るまで、息を潜めたほうがいい」


 トムは悔しそうに拳を握っていたが、黙って頷いた。


---


 基地に戻った俺は、オルフェンにこの緊急事態を報告した。言葉にしながらも、喉の奥が張りついて、息が上手く吸えなかった。


「……予想していたことだが、早いな」

 静かな声。だがその奥には、強い緊張の色があった。


「予想……してたんですか?」


「住民の意識変化は、必ず政府が察知する。

 特に、複数の地区で同時に起きれば――組織的活動と判断されるだろうな」


 淡々と告げるオルフェンの顔には、焦りはない。それが逆に、現実の厳しさを突きつけてきた。口惜しさのあまり俺は拳を握る。――甘かった。真実を伝えれば、人々は目覚め、自然と連鎖していく。そんな理想を信じていたが、支配体制の根はあまりに深く、冷たい。


「すぐに活動を中止すべきでしょうか?」


「いや、焦って中止すれば逆に怪しまれる」

 オルフェンは端末を操作しながら言った。


「自然な形で活動を縮小し、警戒を和らげるんだ」


「具体的には?」


「集会の頻度を減らして、参加者も限定する。

 ……後は、連絡方法を再構築する必要があるな」


 トム、マリア、エミリー……みんなの顔が思い浮かぶ。覚悟を持って自ら動き出した同志たちだが、迂闊に動けば、危険にさらされる。


「読書会は月1から2ヶ月に1度に変更。

 親の会も同じだ。労働者組合の会合は一時中止だな。

 ……新規の参加者は、当然勧誘停止だ」


「……了解です」


「ただし」

 オルフェンが目を細めた。


「この政府の動きには、ひとつの違和感がある」


「違和感?」


「対応が早すぎる。まるで、我々の計画を事前に知っていたような反応だ」


 俺の胸がざわつく。


「……つまり、情報が漏れてると?」


「その可能性がある。

 ……政府内部の協力者、特にトレント副局長が危険かもしれん」


---


 翌日。俺はヴァインと共に、慎重に暗号通信を発信した。相手は――トレント副局長。

 だが返答はなかった。1時間、2時間……いや、半日が過ぎても、通信は途絶えたままだ。胸の鼓動が速くなる。


「まさか……」


 夜が深くなりかけた頃、ようやく通信が繋がった。簡潔なメッセージが、俺に焦りを抱かせる。


『状況は極めて深刻です。私も監視対象になりました』


 短い文面なのに、血の気が引いていくのがわかった。俺は彼との通信を開始する。


「どの程度の危険なんですか?」


『コルテス局次長の関係者への調査が始まりました。私の通信記録も洗われるでしょう』


 冷たい汗が頬を伝った。


「では、今後の連絡は?」


『一時的に停止を。ですが――重要な情報を送ります』


「重要な情報?」


『EE計画が最終段階に入りました。残る6名の処置が明日から始まります』


 息が止まった。“EE計画”――エンハンスド・エージェント計画。完全統合前の強制覚醒実験。アヤがその対象の6人である可能性は……極めて高い。


『そして、完全統合計画の実施時期が更に前倒しされました』


「……どれくらいですか?」


『6週間後です』


「な……!」


 言葉が出なかった。当初は6ヶ月から3ヶ月へ、そして今や、たった6週間。――はっきり言って時間がない。


「なぜそんなに……?」


『マザーが何らかの“脅威”を感じているようです。

 おそらく、あなたたちの活動でしょう』


 通信が途切れる前、最後に映ったトレントの表情には、疲れと恐怖と――わずかな希望を滲んでいた。


---


 通信を終えた俺は、無言で端末から離れた。室内の静けささえ、今は耳に痛かった。


「……詰んだのか」


 思わず漏れた言葉に、オルフェンが首を振った。


「まだだ。諦めるには早い」


「でも、6週間ですよ……準備が、まだ……」


「状況は厳しい。しかし――我々にはまだ奥の手がある」

 オルフェンの声が低く響く。


「プラナ増幅装置の改良が進んでいる。小型化も視野に入った。

 市民の覚醒作戦は一時停止しなければならないが、その代わり各基地との連携強化に努める。」


「はい」


「そして、チップ無効化の手段も完成に近い。

 ……コネクトを、実戦レベルに引き上げる時が来た」


「実戦レベル……?」

 俺は息を呑む。


「そうだ。EE計画の被験者に――コネクトを試みる」


 その瞬間、アヤの姿が脳裏に浮かんだ。虚ろな瞳。操られた笑顔。このままでは、彼女は“人間”ではなくなってしまう。


「……やります。絶対に、助ける」


「その覚悟があれば十分だ」

 オルフェンの目に、わずかに微笑が宿った。


---


 その夜、俺は1人で外に出た。基地の裏手、岩壁の隙間から見える星空は、驚くほど鮮やかだった。荒廃した大地の上には、まだこれほどの輝きが残っている――すると冷たい風が頬をなでた。思えば、ここに来てから何度も絶望し、何度も立ち上がってきた。


「……大丈夫。きっと、まだ間に合う」

 誰に言うでもなく呟いた。


 トムも、マリアも、エミリーも――皆が信じてくれた。1度目覚めた意識を、封じることは簡単ではないだろう。たとえネットワークが一時的に断たれても、皆の火種は生きている。


 俺の戦いは次の段階に進む。市民の覚醒は皆に託し、敵中枢への直接攻撃の段階へと。アヤを取り戻し、人類の未来を取り戻すために。


 残された時間は――6週間。絶望的なカウントダウンが始まった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ