#03 不可解な施設
30分後、俺たちは目標の旧通信施設に到着した。
トランスボートのハッチが開くと同時に、乾いた風が容赦なく吹き込んでくる。
砂塵を含んだ風が顔に当たり、金属の錆びたような匂いと、ツンとした独特な刺激臭が鼻を突いた。
居住区の循環された清浄な空気しか知らなかった俺たちにとって、これは「外」の匂いそのものだった。
思わず目を細め、俺は視界を遮る砂塵の中に灰色の空を仰ぐ。
広がる大地には生命の気配がほとんどなく、荒涼とした静寂が支配していた。
その中に取り残されたように、通信施設の影が沈黙している。
「……何の匂いだ、これは」マーシャルが口元を布で覆いながら呟く。
「くそ、喉が焼けそうだ」
「循環空気のありがたさが身に染みるわね」
アヤは短く応じ、長い睫毛を伏せて砂塵をやり過ごした。
「各チーム、装備最終点検!」
ハリス中佐の低く重たい声が響く。
その声は空気そのものを震わせ、訓練生たちの心臓をさらに早く打たせる。候補生たちは即座に動き出し、それぞれの装備を入念に確認した。
パルス・ギアのエネルギー残量チェック。ディスクのスロット装着。通信機器のリンクテスト。
金属音、擦れる布の音、詠唱確認の小声が入り交じり、緊張が一層張り詰めていく。
失敗は死に直結する——誰もがそれを理解していた。
「……エネルギー、よし」
「ディスク、ロック完了……」
「通信リンク、異常なし!」
各自が声を張り、互いに確認しあう声が交錯する。
俺は環境分析器を取り出し、建物に向けてスキャンを開始した。緑のホログラフィック表示に数個の光点が浮かび上がる。その不規則なようで整然とした点の動きに、背筋が冷たくなる。
「建物内部に……生体反応、4つ」
俺の声に周囲が静まり返る。ディスプレイに映る波形を凝視しながら言葉を続けた。
「サイズは不均一だが、人間よりは小さい。でも、動きが妙だ」
「妙?」アヤが振り返る。
その声音はいつものように冷静だが、目の奥に警戒の色が浮かぶ。
彼女は細めた瞳で俺の手元の表示を確認しようとした。
「規則的すぎる。一定の間隔で、決まったルートを巡回してる……まるでパトロールしてるみたいだ」
「野生のモンスターがパトロール?ありえないだろ。あいつらは本能のまま動くはずだ」
マーシャルが鼻を鳴らした。
「本来ならな」俺は低く返す。
「でも、この動きは……明らかに自然じゃない」
「統率している存在がいる?……そんなはずは。」
アヤが呟く。
言葉を交わす間も、風は施設の外壁を叩き、金属音が遠くで軋む。
3階建ての施設は、外壁こそ崩落している箇所があったものの、建物の基礎部はまだ残っていた。
入口近くには風化した看板があり、辛うじて「アルシオン通信管制センター第7サテライト」と判読できる。
その周囲には直径50メートルほど、金属片が円形に散乱していた。
地面には黒く焦げた跡が残り、まるでここで爆発が起きたかのようだ。
風が吹くたび、金属片同士がかすかに擦れ合い、耳障りな音を立てる。
「爆発の痕か?」
マーシャルがしゃがみ込み、金属片を拾い上げる。
アヤが即座に見極めた。
「形状からして……パルス兵器の痕跡。しかも古い。数年は前ね」
俺も分析器を地面に向ける。
「高エネルギー反応の残留……やっぱりだ。大型のパルス兵器が使われた痕跡だ」
「じゃあ、エージェント部隊がここで戦闘を?」
マーシャルの声にかすかな不安が混じる。
彼の手に握られた銃が汗でわずかに滑ったのを俺は見逃さなかった。
「可能性は高い。でも、なぜこんな辺鄙な場所で……?」
「答えは中にある、ってわけね」
アヤが低く呟く。その目は迷いを許さない鋭さを帯びていた。
俺たちは疑問を抱えたまま、建物へと接近した。
「まず外周の安全を確認する」
アヤが毅然と指示を出す。その声音は若いのに重圧感があり、信頼感があった。
「レイは生体反応のモニターを続けて。マーシャルは構造チェック。異常があれば即報告」
「了解」俺は頷く。
「へっ、仕切るのが好きだな」
マーシャルがぼやいたが、その手は確かに銃を握り直していた。
「生き残りたいなら、黙って従いなさい」
アヤは一瞥しただけで言い返す。
「……ちっ」マーシャルは舌打ちしたが、それ以上は何も言わなかった。
外壁には無数の小さな穴が空き、その形状は明らかに銃弾のものではない。
俺は手で触れ、傷の縁をなぞった。冷たい感触が指先に伝わり、嫌な想像が頭をよぎる。
「これは……爪か牙の跡だ。しかも、人間よりはるかに大きい」
「……大型モンスターの仕業か」
マーシャルの声が低く沈む。
「可能性はある」俺は頷く。
「少なくとも、この施設で何かが戦ったのは間違いない」
風が吹き抜け、施設の奥から軋む音が答えるように返ってきた。
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建物の内部に入ると、見るも無残な光景が広がった。
1階はかつて受付ロビーだったらしい。だが机や椅子は粉々に壊され、壁には深く抉られた傷跡が走っている。
床には乾ききった黒い染みが無数にこびりつき、それが何なのか考えるのも恐ろしかった。
鼻腔にまとわりつくような腐敗臭が、まだ残っている気がして、思わず吐き気を催す。
「うっ……クソ、なんだこの臭い……」
マーシャルが口元を覆い、眉をひそめた。その声にはいつもの尊大さが欠け、恐怖と嫌悪が滲んでいた。
「……血痕。人か、あるいは……」
アヤが冷たく言葉を落とす。彼女の表情は変わらないが、僅かに眉尻が動いたのを俺は見逃さなかった。
「戦闘痕……」
マーシャルが低く呟く。喉の奥で乾いた音が鳴る。
「でも、古いわ」
アヤが爪痕を観察する。冷たい指先で跡をなぞり、眉をわずかにひそめる。
俺は分析器を取り出して補足した。
「金属の酸化具合から見て、数年は経過してる。ただ……」
言葉を切って視線を床に移し、息を呑む。
「ここだけ……新しい足跡がある」
埃が積もった床に複数の跡が残っていた。しかも形状は——
「軍用ブーツ……」
俺は指で跡をなぞり、確信を込めて言う。
「それも複数人」
「軍用……?ってことはエージェント部隊か?」
マーシャルの声が険しさを帯びる。
「可能性はある」俺は頷いた。
「でも、公式記録ではこの施設は放棄されてるはずだ」
「じゃあ、何だ……?俺たち以外の、“誰か”が……」マーシャルの声が小さくなる。
その時、俺の言葉をかき消すように、建物の奥から「ピピ……」という微かな電子音が響いた。
冷たく、人工的な音が廃墟に不気味に反響する。
「っ……今の、聞いたか?」
俺が身を固くする。
「上からよ」
アヤが即座に判断する。その声は震えてはいなかったが、呼吸がわずかに早まっていた。
俺たちは顔を見合わせ、頷き合って階段へ向かった。鉄製の段を踏むたび、ギシリと嫌な音が響く。
一歩ごとに、心臓の鼓動が早まっていくのを全員が感じていたに違いない。
「音を立てるな……!」マーシャルが小声で言うが、その声自体が震えていた。
「立てない方が無理よ」アヤが囁く。
「階段自体が悲鳴をあげてる」
「……くそっ」マーシャルは歯を食いしばる。
2階に辿り着くと、そこは古びた機器室だった。壁一面に通信端末が並ぶが、その大半は壊れて黒い画面を晒している。
ガラス片が足元でカランと音を立てた。思わず全員が息を止める。
だが——
「……まだ生きてる機器がある」
アヤの声が震えた。
モニターの一部が緑色に点滅し、規則的にランプが光っている。スピーカーからは微弱な信号音が漏れ、古びた機械がなお生きていることを主張していた。
「嘘だろ……100年前の機器がまだ……?」
マーシャルが息を呑む。喉を鳴らす音がやけに大きく聞こえた。
「普通ならありえない……誰かが、維持をしてるの?」
アヤの呟きに、俺の背筋に冷たい汗が伝う。
――その瞬間。
「ピピピッ!」俺の分析器が甲高いアラームを鳴らした。
「生体反応!距離5メートル!上だ、天井から!」
叫んだ瞬間、天井のパネルが吹き飛び、鋭い爪を持つ影が落下してきた。
「キシャアアアアッ!」
金属外殻に覆われた4足の怪物。複眼がぎらつき、滴る緑の体液が床を腐食させる。
スクラップビースト——フィールドの怪物が、牙を剥いていた。
「ちっ……来やがった!
ディスク・アーツ《ファイアショット》!」
マーシャルが即座に発動。パルス・ライフルから炎を纏った光弾が放たれ、モンスターの肩を焼く。
だが耐久性は異常に高く、獣は呻きながらも突進を続ける。
「止まらない……!」思わず俺は呟く。
「ディスク・ワード《シールド》!」
その時、アヤのガードから放たれたパルス・エネルギーの盾がモンスターの突進を受け止める。
その隙をアヤは当然見逃さなかった。
「ディスク・アーツ《スティング》!」
アヤの持つパルス・ランサーから槍状のエネルギーが放出されモンスターの体を貫くと、動きが明らかに鈍った。2人の見事な連携だった。
だが——
「後方!別反応!」
俺の叫びと同時に、階段の影から別のスクラップビーストが飛び出し、夢中で戦うマーシャルに襲いかかる。
「…っ、しまった!」マーシャルが振り返る間もない。
考えるより早く、身体が動いていた。手近にあった金属パイプを掴み、全力で突進する。
「うおおおおッ!」
振り下ろしたパイプが怪物の頭部を直撃。鈍い音が響き、スクラップビーストが怯んだ。
「レイ……!」アヤの声が驚きに揺れる。
だが、怪物は倒れない。鋭い顎を俺に向け、跳びかかろうとする。
「シンクレア、下がれ!
ディスク・アーツ《エクスプロード》!!
マーシャルの放つ爆炎がモンスターを壁へ叩きつけ、その動きを止めた。
同時に、最初の個体もアヤの槍によって絶命する。
機器室に沈黙が訪れた。熱気と焦げた匂いだけが残り、耳の奥で自分の鼓動が鳴り響く。
「……ありがとうな」
マーシャルが俺を見て言った。その瞳には先ほどまでの侮蔑はなく、戦友への敬意が宿っていた。
「判断が速かったな。俺は気づけなかった」
「分析器のおかげだよ。機械が教えてくれただけだ」
俺は自嘲するように笑った。
だがアヤが首を振る。
「機械は表示するだけ。それを判断して動いたのは、あなた自身」
その一言が、劣等感で張り裂けそうな心を、ほんの少し救ってくれた。
「今のところ、他に反応はないようだ。」
「なら、調査を続けましょう」
俺たちは後続がないか警戒しながら、施設の調査を続けた。
2階の通信機器室では、古いコンソールの一部が確かに稼働していた。緑色のモニターには断片的な文字列が流れており、アヤが慎重にデータを解析している。
「これは...100年前の通信記録の一部が残ってるわ」
「何て書いてある?」俺が尋ねた。
「断片的だけど...『マザー・システム起動準備完了』『全サテライトとの接続確認』『人口管理プロトコル開始』『不適合個体発生率:0.003%』...」
俺の背筋が寒くなった。人口管理プロトコル。不適合個体発生率。
「人口管理って何だ?」
「わからない」アヤが困惑した表情を浮かべた。
「でも、マザーの初期システムに関する記録みたい」
マーシャルが別のコンソールを操作していた。
「こっちにも興味深いデータがあるな。しかも比較的に新しいものだ…
『長期観察プロジェクト』『計画的発生維持』『特殊個体の社会統合実験』...」
計画的発生維持。特殊個体の社会統合実験。これらの言葉が俺の心に重くのしかかった。
――まるで、不適合者が意図的に作り出され、観察されているような...
「データをコピーするわ」アヤが提案した。
「これは重要な発見かもしれない」
俺たちは記録ディスクにデータを移し、同時に再利用が可能そうな部品を回収した。
3階の機械室には、まだ十分に機能する通信中継器があり、これだけでも任務の成果としては十分だった。
しかし、俺の心は古いデータのことでいっぱいだった。
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任務完了の報告を済ませ、俺たちは帰路についた。
トランスボート内は他のチームの成果報告で賑わっていたが、俺は窓の外のフィールドを眺めながら考え込んでいた。
「レイ」アヤが俺の隣に座った。
「さっきのデータのこと、気にしてる?」
「ああ。不適合個体って、俺の様な不適合者のことだろうか」
「可能性はある」アヤが静かに答えた。
「でも、それが何を意味するのかはわからない」
マーシャルが会話に加わった。
「考えすぎじゃないか?100年前の古いデータなんて、現在とは関係ないかもしれない」
「そうかもしれないけど...」
俺はふと、エージェント面接の時の面接官の言葉を思い出した。
「貴重なサンプルケースとして、観察価値がある」
――あの時は意味がわからなかったが、今思い返すと非常に不気味な言葉だった。
その夜、俺は自分の部屋でデータの断片を思い返していた。
育ての親の写真を見つめながら、彼の最後の言葉を反芻する。
「お前にしかできないことが必ずある」
不適合者として生まれたことに、本当に意味があるのだろうか。
窓の外で、居住区の夜景が静かに輝いている。
だが、その向こうに広がるフィールドの闇が、何か重要な秘密を隠しているような気がしてならなかった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
以降は1話ずつ17時更新の予定で進めていきますので、
今作も生暖かく見守ってもらえたら嬉しいです。