#29 情報戦開始
プラナ・ブレードの修復作業が始まってから、2日が過ぎた。
基地の空気は、どこか張りつめている。
整備班の機械音、遠くで響く訓練の音、そして――
誰もが抱える焦りの気配。
その中で、俺とドクター・ヴァインは、通信室にこもっていた。
壁面一面に並んだ端末の光が、薄暗い部屋を青白く照らす。
ヴァインは白衣の袖をまくり、踊るように複雑な暗号コードを組み上げていた。
――その動作に、俺は息を呑む。
まるで機械のように正確な手つきだ。
「通信の暗号化は完璧だ」
ヴァインが端末のホログラムを確認しながら言った。
「政府の監視網に察知される可能性は、理論上0.002%以下。
問題ないはずだ」
「……さすがですね」
思わず笑みが漏れたが、心の底では不安が拭えない。
政府の内部に直接連絡を取るなんて、危険な行為だ。
たとえ数値上はリスクが低くても、実際に捕捉されればすべてが終わる。
「相手が応答してくれるでしょうか?」
ヴァインは端末越しに目を細めた。
「コルテス局次長の紹介なら、信頼してもらえるはずだ。
彼は内部でも一目置かれていたからな」
コルテス局次長――政府の内部協力者。
今まで数々の情報を伝えてくれた人だが、急遽自分の代理を紹介してきたと言う。
――それは、彼の身に何かが起きたという事だ。
「では、始めましょう」
俺は深く息を吸い、通信を開始した。
ヴァインが隣で無言のまま頷き、指で起動コードを打ち込む。
通信線の奥で、無数の暗号層が組み上げられていく。
まるでコードの海を泳ぐように、光の粒が流れ、弾ける。
――そして、声が届いた。
---
『……こちら、マーカス・トレント。
コルテス局次長から話を聞いています』
声は低く、抑えられた響きだった。
だがその奥に、警戒と悲しみの色が混ざっている。
通信越しでも伝わる、人の意思があった。
「人類解放戦線のレイ・シンクレアです。
応答ありがとうございます」
緊張で喉が少し乾く。
俺の声が微かに震えたのを、ヴァインが横目で察したのか、無言で小さく頷いた。
「……コルテス局次長は?」
『彼は、処分されました』
静かな声だった。
だが、そこには静かな怒りが込められている。
『自分がマークされている事に気づいた彼は、私に全てを託しました。
「貴方たちと共にマザーと止めろ」と』
その瞬間、俺は思わず黙り込んでしまった。
彼の意志を残った者が受け継がなければならない。
「……そうでしたか。彼は最後まで、人類の未来を考えていたのですね」
「ええ、我々に未来を託す、と」
その一言に、トレントの人柄が滲み出ていた。
俺は、少しだけ安心した。まだ政府の中にも、希望を捨てていない人間がいる――。
「トレントさんは、政府のどちらの部署に?」
俺が尋ねると、すぐに返答があった。
『情報管理局の副局長です。コルテスとは……長年の同僚でした』
情報管理局。
そこはマザーの中枢ネットワークと直結している部署だ。
彼が味方なら、多くの機密情報を得られる可能性がある。
俺の胸に、かすかな光が灯った。
「EE計画について、何かご存じですか?」
『……深刻な状況です』
トレントの声が少し低くなった。
『計画はすでに、我々が把握しているよりも進行しています』
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数秒後、端末に映し出されたデータのリストに、ヴァインが息を呑んだ。
『EE計画の対象者は現在12名。全員が、政府選抜の最優秀エージェントです』
「……12名?」
思っていたよりも多い。
オルフェンの推測を上回る数だった。
『しかも、すでに6名の強化処置が完了しています。残りの6名も、今週中に処置を受ける予定です』
――強化処置が完了した6名。
その中に、アヤが含まれている可能性は高い。
俺の胸が締めつけられる。
「強化処置の内容は?」
『マイクロチップの改良と……“戦闘能力の強化”です』
「戦闘能力の……強化?」
思わず復唱した俺の隣で、ヴァインが顔を上げた。
『エージェントの使用するディスク・アーツやプラナの強化。
特別な処置により、強制的に力を引き出しているようです』
その言葉に、背筋が凍る。
プラナを――命を削って扱う力を、チップにより強引に再現しているのが現状だ。
それを強引に強化するなんて、使用者にどんな負担がかかることか。
「特別な処置……つまり、ナノマシンによるプラナの強引な活性化ということか」
『その通りです。
生命力そのものへの介入だからこそ副作用も深刻です。
人格の消失、記憶の改変、そして――感情の欠如』
ヴァインの呟きに、トレントが答えた。
俺の息が詰まる。
アヤ。
彼女の無表情、冷たい瞳――
それは彼女の身に起きていることそのものだったからだ。
俺の拳が震えた。
胸の奥に、焦げるような怒りの炎が湧き上がる。
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「他に、何か……分かっていることはありますか?」
声が震えていた。自分でも分かるほどに。
『完全統合計画についても進展があります。実施時期が当初より前倒しになっています』
「どのくらい……?」
『当初は6ヶ月後でしたが、3ヶ月程度に短縮される見通しです』
3ヶ月。
それは、アヤを救う“猶予”が、半分に減ったということだった。
『マザーが計画の加速を指示したようです。
理由は不明ですが、何らかの脅威を感じ取っている可能性があります』
「……脅威? 我々のことでしょうか」
『おそらくは。レジスタンスの活動が、想定以上にマザーの警戒度を高めたようです』
俺は複雑な気持ちだった。
俺たちの活動が成果を上げている証拠ではあるが、同時に自らを追い込んだとも言う。
そして、トレントが声を落とした。
『最後に、重要な事を伝えます』
「まだ他に……?」
『政府内部で、情報漏洩の疑いがかけられている人物たちがいます。
コルテス局次長の関係者が、調査対象になっている』
ヴァインと目を合わせた瞬間、全身の血が冷えた。
「それは……まさか」
『――私も含まれています』
通信の向こうの声が、わずかに震えていた。
『次の接触は保証できません。
以後の通信は、最小限にしてください。
私は、必ず次の情報を届けます。命に代えても』
言葉が途切れる。
わずかにノイズが走り、通信が切断された。
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通信が途切れたあと、静寂が訪れた。
赤いランプが消え、機材の冷たい光が室内をぼんやりと照らしている。
長時間緊張しっぱなしだったせいか、肩が重く感じた。
息を吐くと、胸の奥に焦燥感だけが残る。
「……事態は深刻だな」
ヴァインが小さく呟いた。
いつもの理知的な声も、どこか疲れて聞こえる。
「政府内の協力者も、危険な立場に追い込まれているようだ」
「トレント副局長を守る方法はないんでしょうか?」
俺は思わず口に出した。
通信の最後に聞いたあの声が、まだ耳の奥に残っている。
だが、彼は首を横に振った。
「……難しいだろうな。
今の状況では、私たちが動けば動くほど彼を危険に晒すことになりかねない。
内部調査が始まれば、彼の回線にもアクセス制限がかかる。
下手をすれば、消される可能性もあるだろう」
「……そんな」
言葉が詰まった。胸の奥に、ずんっと重いものが沈む。
勇敢な仲間を助けられない無力感と、貴重な情報源を失うかもしれないという焦り。
それは、かつてアヤを失った時の感覚に少し似ていた。
「レイ、気持ちは分かる。
だが我々に今できるのは、彼の情報を最大限に活かすことだ」
ヴァインが俺の肩に手を置く。
俺は拳を握った。
「……そうですね。EE計画の詳細と、完全統合計画の加速化。
どちらも放ってはおけません」
「そうだ。トレント副局長が命懸けで伝えた情報を無駄にはできない」
俺は深く息を吸い込み、表情を引き締めた。
「オルフェンに報告しましょう。すぐに」
---
司令室に戻ると、オルフェンがすでに待っていた。
机の上にはホログラム地図が広がり、各基地へのネットワークの光の道が走っている。
「報告を」
短い言葉。その声には、いつになく緊張が滲んでいた。
俺は通信内容を一つ一つ報告した。
トレント副局長の立場、EE計画の進行状況、そして完全統合計画の前倒し。
オルフェンの表情が徐々に険しくなっていくのが分かる。
「3ヶ月か……」
彼の眉間に深い皺が浮かぶ。
「予想以上に早い。まるで我々の動きを読まれているようだな」
「EE計画の対象者が12名に増えていました。
そのうち6名がすでに処置済みだそうです。
おそらく……アヤもその中に」
沈黙。
空気が張り詰める。
「…そうか」
オルフェンの声が低く落ちた。
「やはり、彼女が最大の脅威となりそうだな」
「それでも……まだ、元に戻せるかもしれません」
思わず声が出た。
根拠のない希望だったが、言わずにはいられなかった。
「プラナを強引に強化しているなら、必ず歪みが生じているはずです。
その歪みを突けば――」
「ああ。元よりコネクトはその為のものだ。
彼女たちを解放する手段の確立こそ、我々の切り札となる」
オルフェンがゆっくりと頷くと、彼の瞳に、決意の色が宿る。
「すぐに会議を開く。全地区の代表を繋げ」
---
数時間後。
作戦会議室のスクリーンに、各地のレジスタンスの代表者たちの姿が映し出された。
ノイズ混じりの映像、暗い照明。
その表情には皆、緊張の色が見える。
「状況は極めて深刻だ。
完全統合計画の実施時期が、6ヶ月後から3ヶ月に短縮された」
オルフェンの声が響くと、ざわめきが広がる。
「3ヶ月!?」「そんな馬鹿な!」
「準備が追いつくはずがない!」
「静粛に」
オルフェンが手を上げた。その一言で場の空気が締まる。
「時間はないが、我々には情報がある。政府内の協力者からの、確かな証言だ」
俺は前に出た。
「EE計画の実態も判明しました。エージェントへの強化処置は想像以上に進んでいます。
残りの6名が処置を受ける前に阻止しなければなりません」
「強化済みの6名は?」
北部代表のマルコスが問う。
「能力分析を行います。どの程度の力を持ち、どんな弱点があるか。
ヴァイン博士と協力して解析を進めます」
俺は答えると、ミラが頷きながら立ち上がった。
「それと並行して、情報網を作り、市民へ真実の伝達をする。
今こそ、市民全体の意識に“覚醒”を促すべきだ」
「市民を……?」
誰かがためらうように呟くと、オルフェンが答えた。
「そうだ。市民の協力なくして、この戦いに勝ちはない。
だが――それを成すのは容易ではない」
リーナが腕を組む。
「マイクロチップによって感情が抑制され、思考が均一化されています。
通常に呼びかけても届かないのでは?」
「だが方法はある。市民の方はエージェントほど強力な処置はまだ行われていない。
禁書、非公式なネットワーク、そして口伝による情報拡散で直接感情を揺さぶる。
人の“噂”というものは強い。封じようとしても、完全には消せない」
ヴァインの言葉に、俺は自然と息を呑んだ。
――言葉。
それは俺がかつて、アヤを救おうとして届かなかった手段。
「我々は3つの方針で動く」
オルフェンの声が場を引き締めた。
「1つ、EE計画の調査と対抗策。ルナとカイが担当だ。ミラに指揮を任せる。
2つ、完全統合計画阻止の準備。ドクター・ヴァインとリーナ、技術面を統括してくれ。
そして3つ、市民への情報伝達――レイ、これは君にやってもらう」
「……俺が?」
思わず口から漏れた。
オルフェンの目がまっすぐ俺を見据える。
「お前の“コネクト技術”の知識が要る。人の心について一番研究しているのはお前だ。
チップから市民を覚醒させるには、その知識が必要だ」
「情報戦……」
呟いたその言葉の重みが、胸に沈む。
武器ではなく、言葉で戦う――その難しさを、俺は誰よりも知っていた。
「さすがに危険。
居住区に潜入するなんて、ただの自殺行為」
ルナが言うと、オルフェンが反論する。
「だが、誰かが行かねばならん。
市民をチップの制御から解放させなければ、我々に勝ち目はない」
オルフェンの眼差しが強く光る。
「…事は慎重に進めろ、レイ。
もし政府に発覚されれば、全作戦が崩壊する」
俺はゆっくりと頷いた。
「分かりました。……必ず成功させます」
その瞬間、画面越しに映る仲間たちの表情が少し変わった。
誰もが不安を抱えながらも、わずかに瞳に光を宿した。
――希望はまだある。
その想いが、確かに伝わってきた。




