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#19 戦術的撤退


――オルフェンが戦闘不能になってから、1週間が経った。


あの夜から、世界は静まり返ったように感じていた。

基地の地下にこもり、俺はひたすら「ウェイクアップ」の習得に励んでいた。


薄暗い訓練場の空気は、汗と湿気で満たされている。

壁の照明が脈打つたびに、プラナの粒子が光を反射して揺らめいた。


「……ウェイクアップ!」


全身の血が沸騰するような熱と共に、世界がゆっくりと止まる。

空気中の塵が、時間の中に凍りついたみたいに見えた。

だが――それも長くは続かない。


「っ……はぁ、はぁ……!」


プラナが暴れ、意識が引き戻される。

俺は膝をつき、荒い息を吐いた。

時計を見ると、発動時間は――45秒。


「今日は45秒だったな」


背後で車椅子の音がした。オルフェンが穏やかな笑みを浮かべている。


「順調だ。理想的な伸び方だぞ、レイ」


「でも……」


俺は額の汗をぬぐいながら呟いた。


「まだ“コネクト”の開発には程遠い。

 アヤを救うには、このままじゃ間に合わない」


「焦るな」

オルフェンの声は低く落ち着いていた。


「基礎ができていなければ、コネクトは暴走する。

 下手な精神干渉は、お互いの心を削るぞ」


「わかってます。でも――」


「それより心配なのは別のことだ」


その直後、扉が開く音が響く。

白衣を着たドクター・ヴァインがタブレットを手に入ってきた。


「話は途中ですまない。新しい報告がある。

 政府軍の動きが、明らかに活発化している」


「……!」


俺は思わず顔を上げた。


「各地のレジスタンス拠点が次々と襲撃されている」


ヴァイン博士の声は静かだったが、その内容は重かった。


「このペースだと、我々の基地も――時間の問題だ」


「俺たちも標的になるってことか」


ミラが奥から現れ、武器の整備を続けながら言った。


「最近、敵の動きが変わってきてる。より組織的になって無駄がない。

 まるで……機械みたいに動きに乱れがないそうよ」


「マザーがエージェントの思考制御を強化したのか」


オルフェンが低く呟くと、ヴァインがその言葉に応える。


「その可能性が高い。

 …最適化プログラムを段階的に全エージェントへ適用をし始めたようだ。

 アヤはその第一号だったが、今では一般のエージェントも対象になっているらしい」


背筋が寒くなる――アヤだけではなく、全てのエージェントが感情を奪われていくのか。


「それだけじゃないわ」


声を上げたのはリーナだった。

報告書を片手に、険しい表情で立っている。


「複数の情報源から、“特殊部隊”の存在が確認されている」


「特殊部隊?」

ミラが眉をひそめる。


「詳細は不明。

 ただ……プラナ・アーツを使用できる指揮官が率いる、対レジスタンスの新部隊だって」

リーナの声が、わずかに震えていた。


「普通のエージェントの動きがじゃない。…まさに人間離れしてるそうよ」


プラナ・アーツを扱う指揮官――そんなの、1人しか思い当たらない。


「……アヤか」


思わず呟くと、全員の視線が集まった。

オルフェンは目を細め、静かに頷く。


「可能性は高い。だが、まだ実戦投入はされていないようだ」


「どういうことです?」

俺が問う。


「…報告によると、“特別任務執行官の再調整が完了次第、第一段階作戦を開始する”

 ――そう書かれていた」

リーナが説明を引き継いだ。


「再調整……」


アヤはまだ――調整中。

つまり完全にマザーの支配下に落ちてはいない。


「いつ完了する?」

声が自然と荒くなる。


「不明ね」

リーナが首を振る。


「でも早ければ数週間、遅くても1ヶ月以内に動き出す可能性がある」


オルフェンが俺を見据えた。


「つまり――お前には、まだ時間がある。コネクトを完成させる時間が」


その言葉が、俺の胸に小さな炎を灯した。

わずかでも、希望があるなら――。


---


その午後。

突然、基地のサイレンが鳴り響いた。


「敵襲ッ!」

見張りが血相を変えて駆け込んでくる。


「政府軍の大部隊が、南方から接近中です!」


訓練場の空気が一瞬で緊張に変わった。


「全員、戦闘配置だ!」

ミラが怒鳴り、銃を構える。


俺たちは駆け足で入口付近の指令室へ向かった。

外を見ると、地平線の彼方で巨大な砂煙が立ち上っている。

空には黒い点――ヘリの編隊が音を立てて迫っていた。


「ルナ、敵部隊の目視での偵察。リーナはセンサーで数を確認!」


ミラの指示にルナが双眼鏡を構えた。

リーナがモニターを見ながら報告する。


「装甲車30、エージェントおよそ200。攻撃ヘリ6機……これまでで最大規模です!」


「例の特殊部隊は?」

俺が尋ねる。


「……いない」

ルナが双眼鏡を覗いたまま答えた。


「少なくとも視認できる範囲には」


「そうか……」


胸の奥で少しだけ安堵の息が漏れる。

――アヤはまだ来ていない。


オルフェンが車椅子を操作して前に出た。

モニターで敵軍の陣形を一瞥し、低く呟く。


「完全に包囲する気だ。……このまま戦闘は不可能だな」


「なら逃げるのかよ!」

「戦わなきゃ、仲間が……!」


若い隊員が叫んだ。


「逃げるのではない。戦略的撤退だ」


オルフェンの声には一点の迷いもなかった。


「ここで抵抗をしても、ただの無駄死だ」


ミラが銃のスライドを引き、静かに頷いた。


「オルフェンは負傷、レイはコネクトの練習で消耗中。

 この戦力で正面突破なんて無謀よ」


ルナがデータパッドを叩きながら同意する。


「それに、もし例の特殊部隊が途中で合流したら……今は誰も対処できないわ」


俺は唇を噛んだ。

確かに、今はまだアヤと戦える状態じゃない。

ウェイクアップも未完成、コネクトも形になっていない。

――今、死ぬわけにはいかない。


「撤退準備を開始する」

オルフェンが指示を出した。


「重要なデータと装備だけ持って、15分以内にここを放棄する」


「わかりました。皆に知らせてきます」


カイが飛び出していくのと同時に全員が動き出す。

装備の回収、爆薬の設置、脱出ルートの確認。

――あらかじめ決められていた手順での、決死の撤退作戦が遂行された。


---


撤退準備は迅速に進められた。

各自が必要最小限の荷物をまとめ、基地の裏手にある秘密の出口へと集まった。

そこから脱出ルートである南東の峡谷へと向かう。


俺はオルフェンの車椅子を押していた。

風が強く、砂塵が頬を打つ。


「政府軍の包囲はまだ完全じゃない」

ミラが地図を広げた。


「この峡谷を抜ければ、追跡は振り切れる」


「師匠……ここで逃げるのが正しいんでしょうか?」


俺は息を整えながら問うと、オルフェンは空を見上げた。


「戦闘で勝つことと、戦いに勝つことは違う」

その声は穏やかで、しかし力強かった。


「今日、命を繋ぐことが――明日の勝利を呼ぶ」


「でも……!」


「お前は、アヤを救いたいんだろう?」

オルフェンが俺を見た。


「だったら、今ここで死んでどうする」


「……はい」

俺は拳を握りしめ、深く頷いた。



その瞬間、背後で轟音が響いた。

基地が炎に包まれ、夜空に火柱が立つ。

瓦礫と火花が舞い上がり、風が熱を運ぶ。


「もう戻れない」


ルナが振り返り、ミラがまっすぐ前を見据えて答える。


「もともと戻るつもりなんてない。

 …私たちは生きて、抗う。未来を掴むために」


「ええ、まだ終わった訳じゃないわ」


カイの言葉に、オルフェンが微笑んだ。


「……いいチームだ。レイ、こいつらを信じろ」


「もちろんです」


俺は夜空を見上げた。

星のひとつひとつが、まるでアヤの瞳みたいに遠く、儚く輝いていた。


---


峡谷の風が砂を巻き上げる。

追手を警戒しながらの移動に、皆の疲労が限界を迎えつつあった。

先行して偵察をしてきたカイが戻ってくる。


「この先に休めそうな場所があったわ。一旦、そこで休みましょう」


崖の中腹にぽっかりと口を開けた洞窟。

俺たちはそこに身を潜め、荒い息を整えた。


ミラが崖の外を見張り、リーナは無線傍受装置を広げていた。

静寂の中、彼女の指が止まる。


「……レイ、これを聞いて」


リーナが小さくボリュームを上げた瞬間、無機質な声が洞窟に響いた。


『——基地制圧完了。対象個体、逃走を確認』


『次段階プロトコルへ移行』


その声は人間のものではなかった。

感情の一片もない、聞いているだけで背筋が冷えるのようなただの”音”だった。


「……マザーの通信か」

オルフェンの声が低く沈む。


『エージェント部隊の完全制御システム、稼働率98.7%。問題なし。

 マザーより指示。人的資源の確保と再利用を継続せよ』


「人的……資源?」

あまりの言葉に声が震える。


通信はさらに続く。


『不適合者の捕獲失敗の際は、適合者から情報収集せよ』

『再教育施設での処理能力を拡大。月間一〇〇〇体の処理が可能。

 処理後の個体は労働資源として再配置。廃棄対象は即時処理』


沈黙が落ちた。

砂の音すら、止まった気がした。


「……処理って、まさか……人間を……」


「恐れていた通りだな」


カイの震える声。

それを受けたオルフェンが唇を噛む。


「マザーは、人間を”道具”としてしか見ていないってことか」

ルナが吐き捨てる。


俺は拳を握りしめた。血がにじむほどに。

――だが、通信はさらに追い打ちをかけてきた。


『特別任務執行官アヤ・クリムゾン、最終調整段階に突入。

 推定完了時期、三週間後。主要目標——レイ・シンクレア』


「……っ!」


カイが思わず俺を見る。

オルフェンの表情が、ゆっくりと険しくなった。


「……3週間か」

俺は呟いた。


「お前に残された時間だ。コネクトを完成させる猶予でもある」


オルフェンが険しい表情のまま、俺の肩を叩く。

ルナが立ち上がり、壁を拳で叩きつけた。


「ふざけてる……! 人間を物扱いして、アヤをただの兵器に変えるなんて……!」


「……だからこそ、止めなきゃいけない。アヤも、マザーも」


俺は深く息を吸った。

カイがそっと俺の肩に手を置く。


「3週間――私たちが全力で支える。だから、絶対に完成させて」


その目には、迷いのない覚悟があった。

俺は頷いた。

誰かのために戦うと決めた時、人はこんなにも強くなれるのかもしれない。


――アヤを、救うために。


---


その後、俺たちは古い鉱山跡――廃坑を改修した隠れ家へとたどり着いた。

ここは他のレジスタンス組織も知っている中継地点で、既に他の拠点の数名が先に到着していたようだ。


「ミラ、無事だったのか」

「かろうじてな」


俺の知らない男の声にミラが応じた。


「レイは初めてだったな。こいつはノーマン、私と同じ元ハンターだ。」

「お前さんがレイか。噂は聞いているぜ」


ノーマンが握手を求めてきたので、俺はそれに応じる。


「さて…各地の拠点も似たような状況だ。

 マザーが本格的に俺たちを排除しようとし始めた」


そう報告するノーマンの声は重い。

オルフェンが車椅子から身を乗り出した。


「ならば、我々も形を変えねばならない。

 これまでのようにただ隠れているだけでは滅びを待つだけだ。

 ――組織をひとつにまとめる」


「連合を作るってことですか?」

カイが尋ねると、オルフェンは静かに頷いた。


「各地のレジスタンスを統合する。このままバラバラでは各個撃破させるだけだ。

 数もまた力となる。ひとつの組織になれば勝ち目も見えてくる」


「北部と東部からも打診が来ている。みんな同じことを考えてる」


「本部をどこに置くかが鍵ね」


ノーマンが広げた地図をミラが覗き込み、指を滑らせた。


「ここから北東に50キロの地点に、旧世界の地下施設がある」

ノーマンが指差した。


「規模も深度も十分だ。改修すれば、要塞にもなる」


俺は地図を見つめながら、胸の奥で静かに炎を感じた。


「そこが……俺たちの新しい拠点になるのか」


「そうだ」

オルフェンの低い声が、力強く響く。


「今までとは違い、単なる隠れ家ではなくレジスタンスの中枢となる。

 ――そして、レイ。お前が“コネクト”を完成させる場所だ」


---


夜。

俺はひとり、廃坑の外に出て星空を見上げていた。

風が冷たく頬を撫でる。

遠くの空で、赤い月が薄く霞んでいる。


基地は失った。だが仲間は無事生きている。

そして――マザーの真の目的も、アヤの運命も知ってしまった。


「3週間で、コネクトを完成させる」


呟いた声は夜風に溶けていく。

決して長くはない時間。だが、それで充分だ。


「待ってろ、アヤ」


夜空の向こうにいる彼女に向かって誓う。


風が吹き抜け、砂塵が舞い上がる。

背中の奥が熱くなる。

――プラナが闘志となって静かに燃えていた。


俺の修行は、これからが本番だ。

時間は限られているが、信頼できる仲間がいる。

そして、アヤを救いたい強い意志と想い。


その全てが、俺を動かしていた。

闇の中、まだ小さくても、希望の光が確かにあった。



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