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#14 希望の断片

アヤが連れ去られてから、3日が経った。

あの後、第二拠点は破棄することになり周りは慌ただしかったが、俺はショックであまり記憶がはっきりしていなかった。

 新しい基地――旧工場の地下にある廃棄ラインの跡地――は、昼でも薄暗かった。古い鉄や油の臭い、そして湿った空気が身体の奥に張りつくようだ。


 仲間たちは上層の会議室で次の行動計画を練っている。だが、今の俺にはそれを聞く気力すらなかった。俺は、与えられた部屋の片隅で灯りもつけずに座っていた。


「レイ」


 背後から静かな声がした。リーナだ。彼女は両手に皿を持ち、そっと俺のそばに腰を下ろした。


「食事を持ってきたわ」


「いらない」


 即答した。腹は空いているはずなのに、胃が重く、食べる気がしなかった。


「あなたがそんな状態じゃ、彼女を助けることもできないわ」


 リーナの言葉は正しい。けれど、心には届かなかった。


――助ける?どうやって?


 政府はアヤをどこかの研究施設に隔離しているだろう。

そのうえ、彼女がどう変わってしまうかも分からない。


「彼女はもう……きっと俺の知っているアヤじゃない」


 俺の呟きに、リーナの眉がわずかに動いた。


「諦めるの?」


「諦めるって、何を?」

 俺は苦笑した。


「俺にできることなんて、たかが知れてる」


「あなたらしくない」


「俺らしくない?」


「希望を捨てない人だと思ってた」

 リーナの語彙が強くなる。


「アヤを救うために、基地全体を危険に晒してまで動いたあなたを、私は信じたの」


 その言葉に、胸の奥が痛んだ。

あの時――俺は確かに信じていた。EMP発生器さえあれば、アヤを救えると。だが、結局みんなを危険に晒しただけで、再びアヤを失うことになった。


「…俺のせいだ。

 俺が無茶をしなければ、アヤは今でも自由だったはずだ」


「それは違うわ」


 重く低い声がした。振り返ると、そこにはカイが立っていた。

作業着の袖は焦げ、腕に小さな包帯が巻かれている。


「アヤさんが連れ去られたのは、私たちを尾行していた政府軍のせい。

 あなたの責任じゃない」


「でも……」


「でも何?」

 カイが一歩踏み出した。


「あなたがアヤさんを助けたのは事実よ。一時的だったとしても、彼女は自由を取り戻した。

 …それって、奇跡に近いことなの」


 カイの言葉に、少しだけ胸が温かくなった。

確かに、あの短い時間、アヤは笑っていた。心から。あの微笑みを見ただけでも――俺の行動に意味はあったのかもしれない。


「それに…まだ終わったわけじゃない」


「どういう意味だ?」


「政府内部にも、マザーに反対する人がいる。

 ここに逃げてきたエージェントの彼みたいに」


 その言葉に、俺は顔を上げた。

――そうだ。政府も完全な一枚岩ではない。どこかに、希望の断片が残っているかもしれない。


「でも、どうやって彼らと連絡を取る?」


「わからない。でも、方法はあるはず」


 その時、オルフェンが急いだ様子で部屋に入ってきた。


「レイ、来てくれ」


---


 指令室では、ミラとルナ、オルフェンが地図を広げていた。

蛍光灯の光がちらつき、壁のスクリーンには衛星の断片データが映っている。


「調子はどうだ?」

 オルフェンが俺を見た。


「……大丈夫です」


 当然のように嘘だ。だが、オルフェンは何も言わなかった。


「そうか」

 彼は短くうなずき、すぐに本題に入った。


「重要な情報が入った。政府内部の協力者からだ」


「アヤの現在の状況について、知りたいか?」


 ミラが続けた言葉に、俺の鼓動が一気に早くなる。


「彼女は……無事なのか?」


「生きてはいる、けど――」

 ルナが言いよどむ。


「けど何だ?」


「特別な強化プログラムを受けているらしい」

 ルナに代わって説明するオルフェンの声は重い。


「カイの報告にあった計画だ。

 マイクロチップの機能を強化し、プラナ・アーツを習得する訓練を受けているようだ」


 頭が真っ白になった。


「例の強化プログラム……」


「そうだ」

 オルフェンが答える。


「マザーはお前の技をアヤの記憶から解析したようだ。

 …それにより計画の実施が早まっている」


 俺の中でまた何かが壊れる音がした。


――アヤが、俺たちの敵になる。


 その可能性が現実のものとして迫ってくる。


「…どれくらいで完成する?」


「不明だ。だが、アヤは優秀なんだろう?……習得は早いだろうな」

 ミラが答えた。


――重苦しい沈黙。


「……アヤを救う希望はあるのか?」


「ある」

 オルフェンの目が光った。


「プラナ・アーツは生命力そのものを操る技術。つまり、使用者の意志と深く関係している」


「意志?」


「もともと、強いプラナの持ち主には、チップの制御は効かない。」

 ドクター・ヴァインが説明を引き継ぐ。


「即ちアヤが本当にプラナを使えるようになったなら、それは同時に、マザーの制御を上回るほどの“自己”を覚醒させる可能性を意味する」


「つまり――アヤが自分の力でチップの支配から逃れられる可能性がある?」


「そういう事だ」


 それを聞いて、わずかな希望の光が胸に灯った。…アヤの中に、まだ“彼女自身”が残っているかもしれない。


「それまでに、俺たちは?」


「セントラル・タワーのコア・プロセッサを破壊する計画を進める」

 ミラが答える。


「プロジェクト・ユニティを止めることが最優先だ」


「アヤの事は……?」


「それは、再会した時にお前が決めろ。

 戦うか、説得するか。それはお前次第だ」


 オルフェンは俺を真っ直ぐに見ている。それを聞いて、俺は深く息を吸い込んだ。

――アヤを諦めない。どんな形であっても。


---


 その夜、俺は訓練場に来ていた。

アヤと戦闘になった時、彼女を止める手段を開発する必要があったからだ。ミラに教わった技術の復習も兼ねて、体内のプラナを練り上げる。

 地面に手をつき、プラナを集中させた。そしてイメージから思い浮かんだ言葉を口にする。


「……バインド」


 空気がわずかに震え、透明な鎖のような光が指先から伸びる。プラナの鎖による拘束。だが、まだ不安定で細い糸のようで頼りない。

 しかしアヤを傷つけずに止めるためには、これしか思いつかなかった。


「頑張ってるのね」


 背後から声。カイだった。彼女はコートの裾を揺らしながら歩み寄る。


「眠れないのか?」


「あなたもでしょ?」

 カイが苦笑する。


「覚悟を決めた目をしてる」


 彼女が隣に腰を下ろすと、鉄の床が小さく軋んだ。遠くで風が鳴り、街の灯がぼんやりと見える。


「アヤさんのこと、本当に大切なんだね」


「……ああ」


「私にも、そういう人がいた」

 カイの声が少し震えた。


「ハンター時代の仲間。無茶ばかりして、でも優しかった」


「いた、ってことは……」


「政府の実験で死んだ」

 カイは視線を落とした。


「濡れ衣をきせられ、マイクロチップの強制除去手術を受けさせられた」


 静かな怒りが、その声に宿っていた。


「だから、あなたがアヤさんを取り戻そうとする気持ち、痛いほど分かる」


「でも、俺にできるかどうか……」


「できるわ」

 カイが即答した。


「あなたには、私にはなかった“力”がある」


「力?」


「プラナ・アーツ。そして何より、最後まで諦めない心」


 カイの笑みは、悲しみと強さが入り混じったものだった。


「ありがとう」

 俺は小さく答えた。


「お礼は、アヤさんを救ってから言って」

 カイが立ち上がり、背を向ける。


「その時は――私も笑えるかもしれない」


 風が吹き抜け、地面の残った小さな沁みを光が照らす。


――俺は目を閉じ、心の中で誓った。


---


 翌朝、まだ陽が昇りきらないうちに、基地の警報灯が赤く点滅を始めた。寝ぼけた意識が一気に現実へ引き戻される。緊急通信が入ったのだ。


「政府軍が大規模な作戦を開始した!」

 通信員の声が震えていた。


「各地のレジスタンス拠点が、同時に攻撃を受けています!」


 指令室の空気が一瞬で凍りつく。壁面のモニターには、複数の地点からの断続的な映像が映し出されていた。爆炎、黒煙、悲鳴。──それが現実のものとは思えないほどの速度で広がっていく。


「ついに始まったか……」


 オルフェンが低く呟いた。その声には覚悟と、深い諦念が混ざっていた。


「始まったって、何が?」


 俺は焦りを抑えきれずに問い返す。


「昨夜情報が入った。大規模な不適合者狩りだ」


 俺の質問に答えるミラの目は冷静に見えたが、その拳は小さく震えている。


「マザーは“プロジェクト・ユニティ”を実行する前に、反対勢力を根こそぎ排除するつもりだ。

 これがその始まりよ」


「そんな……」


 一連の動きが早すぎる。…いつからマザーは準備をしていたのか。


 通信はさらに続く。


「南部のジェネシス基地、陥落! 北東のフリーダム基地も包囲されています!」


 報告のたびに、隊員たちの顔色が悪くなっていく。


「我々も、他人事じゃない」

 ルナが唇を噛んだ。


「この基地の位置を突き止められるのも時間の問題。

 監視ドローンの反応が近づいてる」


 その時、別の通信員が顔を蒼白にして叫んだ。


「追加情報!政府軍の先頭に──新型装備のエージェントが確認されました!

 プラナを使った攻撃を行っているとの報告です!」


 俺の血が一瞬で冷たくなった。


「……アヤ、なのか」


 誰もすぐには答えなかった。静寂を破ったのはオルフェンだった。


「可能性は高い。もう彼女の再教育と訓練が、完了したのかもしれない」


 胸が締めつけられる。

ついこの前まで感情を表していたあの瞳が、今はジンのようになっているのだろうか。


「俺が行く」

 気づけば、口が勝手に動いていた。


「待て、レイ」

 オルフェンが鋭く制止する。


「まだ準備が──」


「準備なんてしている時間はない!」

 自分でも驚くほどの声が出た。


「アヤが他の仲間を傷つける前に……俺が止めなきゃいけない!」


「危険すぎる。相手はプラナ・アーツを完全に操ってる。

 しかも、政府の兵装支援付きよ。単なるエージェントじゃない」


 だが、ミラが即座に反対する。思わず俺は拳を握り締めた。


「それでも行く。彼女を救えるのは、俺しかいない」


 長い沈黙が落ちた。

オルフェンは深く息を吐き、ゆっくりと俺の肩に手を置いた。


「……わかった。だが、1人では行かせない」


 その声には、リーダーとしての厳しさと、仲間としての温かさが混在していた。


「仲間を危険に晒すわけには──」


「黙れ」

 オルフェンの声が一段と鋭くなる。


「お前1人の問題じゃない。アヤを取り戻すことは、マザーの計画を潰す為にも必要な事だ」


 ドクター・ヴァインが、モニターを見ながら静かに口を開く。


「もしアヤ・クリムゾンがプラナによってチップの制御を完全に打ち破れるのなら、それは我々にとって希望の証となる。技術的な突破口でもあり、人間の意志の可能性を示す象徴にもなるんだ」


 ミラが舌打ちした。


「理屈はいいわ。…でも現実は残酷よ。

 相手は本気で殺しに来る。甘い気持ちじゃ誰も生き残れない」


 それでも、俺は引かなかった。


「それでも行く。……たとえ、その先に地獄しかなくても」


 オルフェンは目を細め、やがて小さく笑った。


「いいだろう。出撃準備を整えろ。

 カイとルナ、支援を頼む。ヴァイン博士は通信支援を」


「「了解」」


 緊張が空気を満たす中、全員がそれぞれの持ち場へ走り出す。

倉庫で装備を整えているとミラが俺に声をかけてきた。


「レイ、いいかい?やると決めたからには躊躇するんじゃないよ。

 戦場ではそれが命取りになるからね」


「……ありがとう」


「感謝はまだ早い」

 ミラが肩をすくめた。


「まずは生きて帰りな。それが一番の恩返しよ」


 その言葉を胸に刻み、俺はバックパックを締め直した。


 どこかで、まだ信じていた。アヤは完全に失われてはいないと。あの笑顔を、あの声を、きっと取り戻せると。だが、もう一人の自分が囁く。“彼女はもう、戻れないかもしれない”と。


――それでもいい。

たとえ俺の命を代償にしても、もう一度、あの光を取り戻してみせる。それが俺の戦いだ。



 こうして、俺たちはアヤとの再会――そして、避けられぬ運命の戦場へと向かった。



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