#13 帰還の時
基地の入口。
警報灯が、宵闇を切り裂くように赤く瞬く。
俺たちは警戒しながら、静かに見守っていた。
闇の向こうから、ひとりの女が姿を現した。
背中には、ぐったりとした男の体。
その体から滴る血が、砂に黒い跡を刻んでいた。
「止まれ!」
見張りの声が響く。
彼女は、息も絶え絶えだった。
背の男の重みで、もう膝が震えている。
「お願い……この人を……助けて!」
その姿は、嘘をついてるようには見えない。
油と泥にまみれた服、擦り切れた腕。
戦場を越えてきた者の、真に迫る声だった。
オルフェンが前に出て警戒態勢を取る。
だが、彼女はかまわず叫んだ。
「私はカイ・ナルセ! ……元ハンターです!」
一瞬の沈黙。
その間に、彼女は地面に膝をつき、背の男を慎重に降ろす。
「この人は……政府の元エージェントだった」
息を整えながら、震える声で続けた。
「3人で逃げてきたんです……
でも……途中で1人、やられて……私が、代わりにこの人を……」
唇を噛みしめ、俯く。
その肩は震えていた。
彼女の言葉の中のある仲間を失った悲しみを、誰もが理解していた。
ドクター・ヴァインが近づき、負傷者を診察する。
「……ひどい。これはマイクロチップの強制除去手術の痕だな」
「そう……本人が望んだんです」
カイの声がかすれる。
「『最適化プログラム』の真実を知って……逃げようとした。
でも、他の仲間は捕まって……この人だけが、ギリギリで……」
担架の上の男が、かすかに指を動かす。
「……ここは……」
「レジスタンスの基地です」
ヴァインが静かに言う。
男の瞳が開き、焦点の合わないまま空を見た。
その瞳に宿るのは、恐怖でも敵意でもなく——絶望だった。
「私は……裏切り者です……」
「……裏切りなんかじゃない。あなたは……正しいことを、選んだだけ」
カイはその手を握りしめた。
ドクター・ヴァインは苦い表情を浮かべる。
「普通なら死んでいる。チップを外す時、脳の深層に直接干渉するから……よく生き延びたものだ」
「……でも私は、真実を知ってしまった。知らなければ……よかった」
「真実?
話せ。何を見た」
オルフェンが前に出る。
エージェントは唇を噛みしめ、苦痛に耐えるように息を絞り出した。
「『プロジェクト・ユニティ』……あれは、始まりに過ぎません。
マザーは……もっと先を見ている」
「始まり? どういう意味だ?」
俺は無意識に拳を握っていた。
「マザーの最終目標は——この惑星のすべての生命体を、統合することです」
沈黙が落ちた。
風の音さえ、今は異様に遠く感じられた。
「……人間だけじゃないのか」
思わず低くなる俺の声。
「…ええ。動物も、植物も、微生物さえも。ひとつの“意識”に繋げる。
それが、マザーの目指す理想の世界」
エージェントはかすれた声で続けた。
「この惑星そのものを、ひとつの存在に変えるつもりです。
……そして、その後は……他の惑星も」
「……宇宙全体を、自分の身体にするつもりか」
オルフェンが吐き捨てた。
俺の背筋に冷たいものが走る。
それは狂気だ。しかし、マザーにとってはそれが理想なのかもしれない。
「まだ間に合うのか?」
ミラが前のめりになると、エージェントはかすかに首を横に振った。
「……計画は前倒しされた。
あなたたちが前の基地から脱出したことで、マザーは警戒を強めました。
『プロジェクト・ユニティ』は、3週間後ではない……1週間後に開始されます」
「1週間……!」
アヤの顔が青ざめる。
「詳細を話せ。止める方法は?」
オルフェンが即座に問いただすと、彼は息も絶え絶えに続けた。
「……コア・プロセッサを破壊するしかない。マザーの意識を制御している中枢だ。
セントラル・タワーの地下10階……でも、そこにたどり着くまでに何重もの防御層がある。
そしてマザーの精鋭部隊が常駐している」
「ゼロ・ガード……?」
「あの伝説の部隊、まだ存在していたのね」
ミラが低い呟きに、エージェントの視線が揺れる。
「彼らはもう、人間ではありません。
……マザーの直接制御下にある、半機械の兵士たちです」
「……そんなことまで……」
アヤが小さく息をのむ。
彼は、苦しそうに体を震わせた。
「……時間が……ない。マザーを止め……」
次の瞬間、彼は再び意識を失った。
オルフェンが立ち上がり、全員を見渡す。
「……ヴァイン、すぐに医療室を用意しろ。ミラ、補助を」
「了解」
ミラが走り出した。
「いいの?
政府のエージェントを中に入れるなんて、危険すぎる」
ルナが尋ねると、オルフェンは低く答えた。
「なら見捨てるのか?自我を取り戻そうとした者を。
そんな真似をしたら、マザーと同じになる」
ルナが唇を噛み、うなずいた。
その間にも、ドクター・ヴァインは負傷者に応急処置を施していた。
「脳神経の損傷は深刻だが、まだ助かる可能性はある。早く中へ」
「……ありがとうございます」
カイが深々と頭を下げる。
今までは強がっていたのだろう。
その姿はただの1人の少女のように見えた。
俺は彼女の肩を支える。
体温が、微かに震えていた。
「……重かっただろ、ここまで。1人で?」
「慣れてるわ。
……ハンター時代に、仲間を背負って帰ることなんて、何度もあったから」
カイは小さく笑ったが、その笑顔が痛々しいほどだった。
医療室のドアが開き、担架が運び込まれていく。
ヴァインが後に続き、ドアが閉まる瞬間、カイがその背を見つめたまま立ち尽くした。
「……あの人、助かりますか?」
「わからない。
だが、少なくとも、ここでは命を弄ぶ者はいない」
オルフェンの答えに、カイの肩がわずかに震える。
「……ありがとう……ございます……」
オルフェンは無言で頷いた。
だが、その眼差しの奥には、複雑なものが揺れていた。
政府のエージェントを受け入れる——それは、レジスタンスにとって大きな賭けでもある。
「もう一つ、彼が伝えられなかった事があります。」
カイはオルフェンに向き合った。
瞳の奥には、戦場を生き抜いた者の光があった。
「マザーは、エージェントの中から選抜した者のマイクロチップを強化して、
特別な戦技を習得させようとしています」
それを聞いた瞬間、俺は嫌な予感がした。
「……特別な戦技って……」
「プラナ・アーツと呼ばれる戦技を使う、マザーに忠実な完璧な兵士を作る計画です」
沈黙の中、アヤがぽつりと言った。
「……プラナ・アーツって、マイクロチップがなくても使えるのよね?」
「ああ。生命力そのものを操作する力だ。チップの制御は関係ない」
アヤはしばらく黙っていたが、やがてその瞳に静かな光が宿った。
「ねえ……私にも使える?」
「……今度試してみようか」
俺は苦笑しながら言ったが、胸の奥では別の感情が渦巻いていた。
果たして、アヤにそれを教える余裕が、俺たちにまだ残っているのか——。
オルフェンの声が響く。
「色々と貴重な情報が得られたな。
……聞いた通り、我々に残された時間は、わずか1週間だ」
だがその声には、恐怖も迷いもなかった。
「今から急ぎ準備を始める。我々の全てを賭けて、この狂気を止める」
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その夜、俺は誰もいない訓練場で、一人考え込んでいた。
訓練で消耗した身体が痛む。それでも眠れなかった。
薄暗い照明の下、金属の壁に映る自分の影をぼんやり見つめながら、俺はアヤのことを思い出していた。
プラナ・アーツに興味を示したあの瞬間の、彼女の瞳——あの光。
あれは純粋な好奇心だったのか、それとも、何か別の意図があったのか。
確かに、アヤはマザーの支配から解放されている。
だが、完全ではない。体内にはまだ、マイクロチップが残っている。
それがいつ、どう作用するか……誰にもわからない。
ドクター・ヴァインですら「完全な解放は保証できない」と言っていた。
機械の駆動音が遠くから響き、空調の音だけが部屋で唸る。
この静けさの中に、不気味な緊張があった。まるで、嵐の前の静けさのように。
俺は無意識に、アヤが笑っていた時の顔を思い出していた。
マザーに操られていた時の無表情ではなく、ほんの少しぎこちないけど、確かに“人間”の笑顔。
あの笑顔を守りたい——そう思った瞬間だった。
「敵襲!!」
鋭い警告と共に警報が鳴り響いた。
警報灯が瞬き、基地の壁が脈打つように赤く光る。
俺は反射的にライフルを掴み、走り出した。
通路の先では、すでに仲間たちが戦闘配置についていた。
ルナがモニターに映る映像を睨みつけながら叫ぶ。
「政府軍です! 大部隊が包囲してる!」
「ありえない……」
ミラが歯噛みした。
「この位置を特定されたはずがない!」
「どうやって見つけたんだ?」
オルフェンの声にも、さすがに焦りが見える。
その時、カイが蒼白な顔で呟いた。
「……まさか、私たちを尾行していたの?」
「尾行?」
「避難者を装った追跡部隊かもしれない」
オルフェンが唸る。
「あいつら、そんな汚い手も平気で使う」
外から拡声器の音が響いた。金属的で冷たい、抑揚のない声。
『レジスタンスの諸君。包囲は完了している。
抵抗は無意味だ。投降すれば命は保証する』
低い声が、洞窟の壁を伝ってこだまする。
その瞬間——俺の心臓が止まりそうになった。
聞き覚えのある声だった。
忘れもしない、あの声。
かつて我々の監督官だった、ハリス中佐の声だった。
『そして、アヤ・クリムゾン。
君には我々と共に来てもらう』
その言葉にアヤの顔が、一瞬で青ざめた。
唇が震え、目の奥で何かが揺れた。
「……私のせいで」
「違う!君は悪くない!」
俺は即座にアヤの肩を掴むと、彼女は首を振る。
「でも、私がここにいるせいで——」
「アヤ!」
ミラが叫ぶ。
「泣き言言ってる場合じゃない! 全員、迎撃準備を!」
ルナが端末を操作し、モニターに複数の赤い反応を映し出す。
「ダメだ…完全に包囲されている!」
「くそ……脱出するルートがない」
ミラが唸ると、オルフェンが決断を下した。
「戦うしかないか。
…ここを放棄するにしても、時間を稼ぐ必要がある」
緊張が極限に達したその時、外の声が再び響いた。
『アヤ・クリムゾン。
君が自発的に出頭すれば、他の者の命は保証しよう』
アヤがわずかに肩を震わせる。
そして、決意を帯びた声で呟く。
「……私、行くわ」
「待て!」
俺が叫んだ。
「これは罠だ!」
「でも、このままじゃみんなが——」
「行かせない!君を犠牲にしてまで生き延びても、意味なんてない!」
俺はアヤの前に立ちはだかる。
アヤはしばらく俺を見つめていた。
その瞳の奥に、静かな覚悟と、どこか懐かしい光が宿っていた。
「レイ……」
彼女が小さく笑った。
「ありがとう。でも、これは——私がきっと初めて決めたことなの」
「何言ってんだ! そんなの——!」
「これが運命なのかもしれない」
その言葉に、俺は息をのんだ。
まるで、何かが彼女の中で“目覚めた”ような声だった。
「アヤ……?」
だが、アヤは俺の手を振り払った。
「大丈夫。必ず、また会える」
そして、静かに歩き出した。
その背中が、警報灯の赤い光に照らされ、影が長く伸びる。
「待てよ!」
俺が追いかけようとした瞬間——轟音が鳴り響いた。
基地の入口が爆発し、金属片と煙が吹き荒れる。
視界が一瞬で真っ白になる。
高温の風が頬を焼き、耳がキンと鳴る。
煙の向こうから、武装した政府エージェントたちが雪崩れ込んできた。
黒い装甲服、統一された無表情。
その中央に、一人の人物が歩み出てきた。
俺のよく知った顔だった。
ハリス中佐が、アヤを見つめるその目は――どこか再会を待ち望んでいたかのようだった。
「アヤ・クリムゾン。…帰還の時だ」
アヤは抵抗しなかった。
むしろ、穏やかな表情でその言葉を受け止め、静かに歩き出した。
「やめろ! アヤ!!」
俺は叫んだ。
だが、仲間たちが俺を押し留める。
「無理だ!」
オルフェンが叫んだ。
「今突っ込めば全員が死ぬ!」
「離せ!」
俺は暴れた。腕がちぎれそうになるほどに。
それでも、アヤに手が届かなかった。
彼女はただ一度だけ、振り返って俺に視線を向けた。
その瞳には——涙が光っていた。
その後は、もう彼女は振り向かずに歩いていく。
俺は、そんなアヤの姿を黙って見ているしか出来なかった。
――握った拳が震える。何も守れなかった。
「……今は退く。必ず救う機会はある。」
オルフェンが重い声に、俺には頷けなかった。
ただ、瓦礫の向こうを見つめていた。――胸の奥で何かが壊れたような音がした。
そして、何処かで予感していた。
次にアヤと会うとき、俺の最大の敵として立ちはだかることを。




