一歩目
※ケースノック:指定された状況を想定し、ノックを打つこと。実際にランナーも走らせることでより実戦に近い
ノックを行うことができる。
午後の陽が少し傾き始めたころ、香月がグラウンドの中央に立った。
「ケースノックをする。但し、外野は全員センターから受けてもらう」
外野候補の部員が交代でポジションに入っていく。
杉内、三年。経験値はあるが、動きにキレがない。
新入部員の中にはスピード自慢もいたが、数球でノックの精度に苦しみ、打球を見誤った。
「次、志村」
「お願いしやす!」
志村の声がグラウンドに響く。豪快な発声とは裏腹に力みすぎず、構えは自然。
香月がバットを振る。
――カン!
強いライナーが右中間に飛ぶ。志村は瞬間的に反応し、加速する。
「っしゃあっ!」
ダイブ寸前でキャッチ。グラウンドに砂煙が舞った。
「スピード、あるな」
「いいじゃん、アイツ」
部員たちの間から感嘆の声が漏れる。
「次、風間」
風間は無言でポジションに入る。
志村と同じ位置、同じタイミング、同じ条件。だが――
――カン!
まったく同じ右中間への打球。
風間は、わずかに体を沈めたその一歩で、既に最短コースを走っていた。
フォームは省エネ。無駄がない。
落下点に、打球が届くより先に彼のグラブがあった。
「は……?」
ベンチの一人が、ぽつりと漏らした。
今の打球、前の志村はギリギリだったはず。だが風間は“走って捕った”のではない。
“読んでいた”――そうとしか言えなかった。
「もう一本」
香月が言う。今度はライナーではなく、低く沈むレフト前への打球。
当然、センターからでは間に合わない距離――
風間はすでに走っていた。
小柄な体が、芝の上をすべるように進む。
ボールが地面に届く寸前、グラブがそこにあった。
「……マジかよ」
どよめきが広がる。
足の速さは誤差のように見える。
でも、“届く”のは風間だけだった。
香月は小さくうなずいた。
その目には確信が宿っていた。
(あれは反応だけじゃない。予測だ。
打球の回転、音、角度――全部を瞬時に読み切って、瞬時に動ける。
完璧な一歩目は守備範囲を二メートル、三メートルと広げていく。
足は言わずもがな。やはり風間は天性の空間把握能力を持っている)
「まだだ。あと三本」
風間のグラブが、三本目のライナーを軽々と掴んだ瞬間だった。
志村は、その場で見とれていた。
(なんで……)
あの打球、志村自身がさっきギリギリで捕ったコースだった。
それを、風間はもっと余裕を持って、静かに処理した。
(足の速さは負けてないと思ったのに)
正確には――ほぼ同じ。50メートル、風間は5.9秒。志村は6.1秒。わずか0.2秒の差。
でも、たったそれだけで説明がつくプレーじゃなかった。
風間の動きには、迷いがない。
走り出す前に、もう“落下点に向かってる”。
(まるでどこに落ちるか読んでいる……?なんだよあれ……)
志村は、少しだけ悔しくて、同時に――
ちょっと、嬉しかった。
(やっぱりスゲえよ、風間くん。俺、間違ってなかった)
中学のとき、ベンチから見ていた背中。
全国の頂点で走っていたあの姿。
あれは、まぐれなんかじゃなかったんだと、確かに思えた。
(でも俺も、負けねぇ)
志村はグラブを強く握り直す。
香月がバットを構え直す。
風間は静かに、次の一歩に集中していた。