終わった風間
志村 空と名乗ったその少年と、風間はグラウンドに立っていた。
午前の式が終わったばかりで、周囲に生徒の姿はほとんどない。
土の匂い。白線の薄れたベース。
風間がひとりで走っていた時よりも、今は景色が少しだけ明るく見えた。
「うおおお、ここが……高校のグラウンド! 広ッ! テンション上がってきた!」
「お前……うるさいな、ほんと」
「いや〜、だって、テンション上がらずにいられます? 風間くんと野球できるとか、マジで夢みたいっすよ!」
「……そんなに期待するなよ。もう終わったって言われてんだ、俺は」
「だからこそ、なんスよ。俺は“終わった風間遼”が、また飛ぶとこ見たいんスよ」
風間は、思わず黙る。
「俺は……もう、“野球選手としては終わった”って思ってるから」
それは、風間自身が何度も心の中で繰り返してきた言葉だった。
中学三年間、淡々とこなした。レギュラーだって中学二年生から奪い取った。
しかし、ベンチの視線は俺にそれ以上の期待をしていなかった。
選考の時、急に測られた身長、体重、打球速度。
「素材として面白くない」とまで言われた。
努力はしてきた。それでも、名前すら呼ばれなかった。
(小さければ、届かないボールがある。小さければ、戦えない場所がある。
……そう思わされた三年間だった)
「たぶんさ……どっかで、俺も信じなくなったんだよ、自分のこと」
風間の声は、少しかすれていた。
志村が何かを言いかけたが、風間が先に口を開いた。
「だからお前が俺に期待してるの、ちょっと怖ぇんだよ」
正直すぎる本音だった。
だが志村は、少しもひるまずに、真っ直ぐに言った。
「でも風間くんは、まだ走ってるじゃないですか。
終わった人間は、自分で足を止める人っスよ。
走り続けてる限り、“終わってない”っス」
(“終わった”……。自分でそう思ってた。でも――)
――その言葉に、風間の中で何かが、静かにほどけた。
「……走るか」
「はいっ!」
二人は並んで、ラインの外に立つ。
風間は深く息を吸い、吐く。
「一周。ペース上げて行くぞ。無理すんなよ」
「了解っス!」
号令も掛けず、二人は走り出した。
足音が重なる。
走りながら、風間はふと思った。
中学時代、こうして誰かと並んで走ったことがあっただろうか?
(いや、なかったな)
自分の殻に閉じこもって、結果だけを見て、失敗すれば“才能の限界”と決めつけた。
でも今、隣で走る自分より大きなこの少年は、何の打算もなく、自分を信じている。
――たったひとつのプレーを、ずっと胸に抱えて。
「なあ、志村」
「はい?」
「お前……本気で、甲子園、目指してんのか?」
「もちろんっス!」
迷いのない声だった。
「じゃあさ、俺たちで……行くか、そこまで」
志村の目が見開かれた。
そしてすぐに、満面の笑み。
「はいっ! 行きましょう、風間くんとなら、行ける気しかしないっス!」
「バカだな、やっぱり」
「それ、何回目っスか!」
二人の笑い声が、グラウンドに響いた。
まるで、それだけで風が変わるようだった。
――その時、背後から聞こえた。
「青春ごっこは終わりか?」
二人が振り返ると、香月 隼人が無言で腕を組んで立っていた。
スラックスの裾には、赤土がうっすらとついている。
「あなたが……香月さん」
「グラウンドに立つなら、勝ち方を学べ。走るだけじゃ、勝てないぞ」
言葉に、甘さはない。だが、その眼は二人を見据えていた。
「なら、何をすればいいですか?」
風間の問いに、香月は短く言った。
「捕れ。“打球”をだ」
その瞬間、隣のネットに向かって硬球が一球、放たれた。
――バシィッ!!
土煙が上がる。回転の効いた打球が跳ね返る。
香月は、ノックバットを構えたまま言った。
「入部希望なら、まず外野の基本を見せろ。センターとライトは空いてるぞ」
風間と志村は、無言でグラブを手にとった。
“飛ぶ”準備は――整っていた。