追う者背負う者
桜の花が、校庭をうっすらと染めていた。
福岡県立筑龍高校、入学式当日。
風間 遼は、新しい制服の襟を無造作に直しながら、講堂の隅の席に腰を下ろしていた。
(どこもかしこも、静かだな)
司会の声と拍手だけが、やたらと響く。
隣の生徒の緊張した息遣い。保護者席からは、ちらほらとシャッター音。
風間は一人、そんな空気に馴染む気もなく、ただ前を見ていた。
――周囲の誰も、自分を知らない。
いや、もう“知っているはずがない”。
数年前は、スポーツ新聞にも名前が載った。
だが今、自分はただの新入生の一人だ。
(ま、それでいい。むしろやりやすい)
そう思ってはみたが、心の底には燻るものがあった。
“誰も俺を見ていない”という事実が、思っていた以上に重くのしかかってくる。
式が終わり、教室へ移動する廊下。
その途中で、風間は誰かと肩がぶつかった。
「あっ、ごめん!」
振り返った相手は――風間より一回り大きな少年だった。
にこっと笑って、帽子を脇に抱えている。
「あれ?風間……遼くん、ですよね?」
風間は、言葉を失った。
この学校に、自分のことを知っている人間がいるとは思わなかった。
「……誰?」
「俺、志村 空。小学校の時、全国大会で対戦しました! ◯◯東の補欠で――
スタンドから見てたんスよ、風間くんのスーパーキャッチ。……あれ、今でも覚えてます!」
言葉は早口だったが、瞳は真っ直ぐだった。
「……よく覚えてんな、そんな前のこと」
「忘れられないっスよ! あれで俺、野球一生やろうって思ったんスから!
……あの時、マジでヒーローでした!」
風間は苦笑した。
“ヒーロー”――あの言葉は、もう聞くことはないと思っていた。
「……じゃあ、わざわざここに来たのか?」
「はい。風間くんが東雲に進学するって知って、俺も即決しました!」
その言葉に、風間は思わず目を見開いた。
「……ほんとに、バカだなお前」
「よく言われます! でも、それでいいんス。俺、風間くんと野球やりたかったんで!」
志村は、くしゃっと笑った。
そのまっすぐさに、風間の心にわずかな熱が戻るのを感じた。
「……ま、グラウンドで待ってるよ。口だけじゃなく、ちゃんと走れるんだろ?」
「もちろんっス! 俺も、足だけは自信あるんで!」
どちらが声をかけたのではない。
しかし、風間と志村。二人は競うようにグラウンドへと駆け出していた。