第三話 緊急警報
ユーグとしては、話をするのが目的。戻ってくる前に届けにいっても仕方ない。管理部に寄って部屋番号だけ確認すると、自室で少し時間を潰してから、フランの部屋を訪ねた。
「フラン、バッグ持ってきたぞー。……フラン?」
呼び出しても返事がない。また意地悪しているわけでもあるまい。まだ戻っていないか、それとも眠ってしまったか。長距離移動してきて、疲れているのかもしれない。
ドアの前に置いておけば気付くだろうか。だが軍事基地とはいえ、盗まれる可能性もなくはない。誰かに頼めないかと辺りを見回していると、窓の外に人がいるのに気付いた。
(なにやってるんだ、あいつ?)
営舎の裏手、草地になっている部分をフランが歩き回っている。散歩というわけでもなさそうで、同じところを行ったり来たりしていた。
何をしているのかはよくわからないが、いつ戻ってくるか知れたものではない。待っているよりは届けにいった方が良いと考え、ユーグも階段を下りて一階へ。庁舎との間から裏手に回ろうとすると、声が聞こえた。
「クロエ、マクシム、ジョエル……。ごめんね、こんなのしかないや……」
フランの声。いつになく弱々しく、哀しげな響きに、なんとなく事情を察した。上から見たときは一人だったにもかかわらず、誰かに話しかけているような内容からも。
建物の角に隠れてそっと様子を窺うと、花を探していたようだった。神妙な面持ちで、草地に混じって咲く名も無き花々を、一つずつ摘み取っていく。
やがてそれなりの量が集まると、草で縛りあげて花束にしていた。それを手に少し離れた場所にある灌木の側に寄ると、その場にしゃがみ込んだ。
花を手向けているのだろう。散っていった仲間たちに。士官学校時代に聞いた名前もあった。先程あんなに明るく振る舞っていたのは、空元気だったのかもしれない。
フィエンヌ空軍基地の飛行隊は、全機体を失って解散とあった。南連からセントールが続々と送られてくる中、機体がなくなっただけで解散するわけはない。体面上、機体の件のみを記載しただけで、人員も失ったと考えるのが妥当。だからこそ、ユーグは泣いた。
単身ここに転属となった以上、ユーグと同じく、フランもたった一人生き残ったに違いない。きっと格納庫では無理をしていたのだろう。新しく仲間となる基地の皆に心配を掛けたくなくて。電話に出なかったのも、フランの方が泣き続けていて、ユーグに知られたくなかったから。
(断られても仕方ないか……)
セリアのことを任せるわけにはいかなくなった。フランの方こそ、心のケアが必要と思える。声を掛けづらくなってしまい、そのまましばらく見守っていた。
フランにも少し時間が必要だ。空元気ではなく、心の底から笑えるようになるまで。
そう考えて、バッグは明日の朝渡すことにして、引き返そうとした瞬間だった。
「なにこれ……?」
不安げなフランの声。彼女の姿は暗闇に消えていた。先程までは、営舎の窓から漏れる灯りで姿が浮かび上がっていたのに、何も見えない。ユーグの周囲もほとんどの照明が消えて、非常灯だけがぼんやりと点いていた。
「フラン!」
いたはずの場所へと駆け寄った。基地内のすべての照明が落ちたように思える。
「ユーグ? どうなってるの、これ?」
心細そうにすがりついてくるフラン。もしやと思い、ユーグはポケットから携帯端末を取り出してみた。
「端末が死んでる。EMP攻撃だ。夜襲かもしれない」
「なんで? なんでこんなとこに敵が?」
二人して空を見上げながら、耳を澄ました。飛行音などは聞こえない。突然の出来事に、基地内のあちらこちらで騒めく人々の声が届くだけ。
「緊急警報、緊急警報。北エルトリアの捕虜の一人が脱走した。目的は不明。全員武装の上、警戒に当たること。EMBが使用され、基地機能が麻痺している。注意されたし。繰り返す。北エルトリアの捕虜の一人が脱走した」
この間の戦闘で捕らえた敵パイロットたち。まだ収容所へ護送しておらず、基地内に拘留していたのだろう。誰かが手引きしたのか、あるいは体内に超小型EMBでも埋め込んでいたか。
「フラン、お前は――」
カチャリと音がして、見るとフランはもう自動拳銃を手にしている。薬室に銃弾を装填した音だった。そのまま庁舎の方を注視しながら口を開く。
「みんなのこと守らなきゃ。あたしたちは、軍人なんだから」
相当な修羅場をくぐってきたのだろう。フランは放送を聞いてすぐに拳銃を装填していた。相変わらず行動力のない自分が、とことん嫌いになる。
「そうだな。戦えない奴らを守るのが、俺たちの役目だ」
基地には非戦闘員も多数いる。整備兵たちの多くは、開戦前まではただの民間人。近くで自動車修理工場を営んでいたり、配管工をしていたり。レトロな機械式戦闘機の整備ができそうな者たちが志願してきただけの、素人集団にすぎない。年寄りも多い。
「そこにいるのは誰だ!?」
突然ライトが向けられ、眩しさに瞼を閉じながらユーグは答えた。
「サンドリヨン小隊のルフェーヴル少尉です。今日着任したばかりのレーネック少尉もいます」
基地の警備を担う陸戦部隊のようだった。物々しい武装をこちらに向けている。
「確認した。パイロットは中に入っていろ。貴官らを守るのが俺たちの仕事だ」
念のため相手の数を確認した。五人。全員陸戦部隊の戦闘服。捕虜たちの偽装ではない。
「わかりました。――フラン、中に入ろう。俺たちは邪魔だ」
「うん。でも、中にいるかもしれない。気抜いちゃダメだよ」
外の封鎖は陸戦部隊に任せて、庁舎と営舎の間へと戻る。少々迷った末、営舎ではなく庁舎の方へと入った。
「どこ行くの、ユーグ? 部屋に戻るんじゃないの?」
「セリアが心配だ。ここの三階に部屋がある。倉庫だらけで、普段からほとんど人がいない。脱走した奴が逃げ込むかもしれない。彼女じゃ戦えそうにないしな」
「わかった。後ろは任せて」
不満を口にするかと思ったが、フランは大人しく後を追って階段を昇った。
オペレータールームなどがある二階にはもう守衛たちがやってきていて、問題ないと判断して先へと進む。三階に上がると、ガタガタと何かをこじ開けようとしている音がしてきた。
当たりだったかもしれない。フランと視線を交わし、頷き合ってから通路へと飛び出す。
「そこまでだ。両手を挙げて手のひらをこちらに向けろ」
ほんの十メートルほど先、セリアの部屋の前に捕虜がいた。上下とも赤の目立つ虜囚服で、一目で判別できる。相手の手にも誰かから奪ったのであろう拳銃があり、声に反応してユーグに向けられた。だがこちらは二人、数では有利。
互いに迂闊な動きはできない。撃ったらまず外れない距離。そのまま神経が磨り減るような睨み合いが続いた。勝算はある。いずれ守衛たちがこの階にも来る。それまで釘付けにすればいいだけの話。助けを呼んだりして刺激する必要もない。――そのはずだった。
突如として捕虜が左に手を伸ばすと、プラチナに輝く頭を抱え込んだ。それは間違いなくセリアのもの。彼女の頬の辺りに銃を突きつけると、捕虜は無言のまま、ユーグたちに武器を捨てるよう顎で示して促した。
カツン、カツンと、二つの金属塊が通路の床に落ちる音が木霊した。捕虜が満足そうに顔を歪めたその刹那。パンっと乾いた音がして、脳天と顎下から鮮血が噴き出した。
息を呑む音が背後から聞こえた気がした。それから、服の背中をぎゅっと握られる感触。
「セリア……」
やっとのことで、ユーグはそれだけを口にした。相変わらずの人形のような表情のまま、上から浴びせられた血に染まった彼女の端正な顔は、とても現実のものとは思えなかった。
そのセリアの身体からずり落ちるようにして、先程まで捕虜だったモノが床に倒れていく。彼女の右手には、支給品の自動拳銃が握られていた。
弾かれるようにして、フランが走り出す。
「大丈夫? あんた、こんなになって……」
ハンカチを取り出し、フランが血を拭ったが、逆効果だった。彼女は無事と判断すると、ユーグは足元の捕虜の首筋に手を当てた。完全に脈が止まっている。危険は去ったようだった。
「どうして出てきたんだよ……そのまま閉じこもっていてくれれば良かったのに」
「あなたの声が聴こえたから」
無表情のまま答えるセリア。続けて彼女の口から飛び出たのは、意外なようで、彼女らしいともいえる言葉。
「確実に仕留めないと、何されたかわからない。……私のせいで、誰かが傷つくのは嫌」
ユーグとフランを守りたかったのだろう。セリアは自ら扉を開けて出てきた。敢えて人質になり油断させた上で、確実に止めを刺す。いつもの飛び方と同じ。撃つのも自分になっただけ。
どうしてここまでのことができるのか、ユーグには不思議でならない。自分は戦闘機での牽制射撃にすら怯えたのに、セリアは零距離で躊躇いもなく人を撃った。相手が確実に死ぬとわかっている状況で、引き金を引いた。殺すことで守るために、平然とやってのけた。
「大丈夫か、何があった?」
発砲音を聞いたのか、守衛たちが集まってきた。すっと視線を逸らすと、セリアは自室に戻りながら言った。
「事情の説明はよろしく。私はシャワーを浴びてくる。動けばの話だけど」
背後からぎゅっとフランが抱き着いてきた。その身体は小刻みに震えている。怖かったのだろう。胸に回されたフランの手に自分の手を重ねて、ユーグは優しく言った。
「大丈夫だ、もう終わった。あとは任せればいい」
駆け寄ってきた守衛たちが、捕虜の遺体を確認しだした。その夜、ユーグとフランは事情聴取のため、夜遅くまで解放されなかった。セリアがどうだったのかは、わからない。