第四話 翼の生えた人形姫
翌朝、ユーグはいつもより少し早く起きた。食堂か自室でセリアを捕まえる前に、隊長に外出の許可を得なくてはならない。メラニーが気を回してくれていそうだが、勝手に当てにするわけにもいかない。
司令庁舎四階。隊長をはじめ、基地の上層部の何人かが部屋を持つ一角にやってくると、クロヴィス・アルドワンのネームプレートが入った部屋のパネルを操作した。
「隊長、朝早くに済みません。ちょっとお願いが……」
「買い出しの話か? もう聞いてるぞ」
身支度中だったのだろう。シェーヴィングフォームが顎についたままの格好で、隊長が出迎えた。やはり、メラニーが話を通してくれていたようだ。むしろ、先に隊長と相談をしたのかもしれない。メールも、あの場で入力したとは思えない内容だった。
「なるべく早く戻ります。何かあったら呼び出してください」
隊長は呆れた表情で、壁に寄りかかって腕を組みながらこちらを見た。
「あのなあ、早く帰ってきてどうすんだよ? お前は本気で買い出しを頼まれたつもりなのか?」
言われてみればそうだった。出撃命令でも出ない限り、ゆっくりとしてこないとならない。
「えーと、まあ、建前としまして。……来てくれますかね、彼女?」
「知らん。お前次第だ」
そこまでは手を回してくれていないようだった。
「頑張ってみます。――あ、その曲、いつもかけてるみたいですけど、何ですか?」
部屋の中から響いてくる重低音と、アッパーな感じの迫力のある歌声。プライベートな時間に隊長の個室を訪れると、必ずと言っていいほどこの曲が流れてくる。
また何かおかしな質問をしてしまったのだろうか。隊長は渋面を作って答えた。
「この基地に入り込んでるとかいう噂の北帝のスパイはお前か? 大統領だよ、大統領。声聞きゃわかんだろ?」
「え? これ、レスタンクール大統領?」
インディーズのロックバンド出身という異色の経歴は、さすがに知っていた。開戦当時、電撃戦だったからだけでなく、知名度を利用して当選しただけのタレント大統領では守れないとして、諦めムードが漂ったのを覚えている。
しかし、突然特殊能力でも発現したかのように、迅速かつ的確な指示を各方面に飛ばし、首都を守りきった。惜しげもなく海底油田の採掘権を売却すると、南連やフォーレスからの兵器供給体制を構築、最新兵器をもって戦線を押し返した。
「でも、大統領って、ギタリストですよね? ヴォーカルの人は別にいたような……」
「これだから最近の若いもんは……。最後に一曲だけ歌ったんだよ。今じゃ伝説のシングルだ」
初耳だった。大統領の経歴を知ったのは、開戦後。さすがにそこまでの詳しい情報を見ている余裕はなかったし、興味もなかった。
「最後ってどういうことですか?」
「それも知らねえのか。左腕と左脚、義手に義足なんだよ。紛争地で地雷踏んじまってな」
それでギターが弾けなくなり、ヴォーカルをやってみた。売れなかったのだろうか。ユーグには、いい声をしていると思える。
「まだ連合王国だった時代だ。当時の若者は、皆彼にあこがれていた。俺たちに道を示してくれたんだよ、大統領は。今もまた、この国を導いてくれている。あの頃からずっと変わらぬ英雄さ」
青春時代に想いを馳せているのか、遠くを見るような目で隊長は語った。ユーグも少々興味を惹かれた。調べればすぐに出てくるだろう。あとで聴いてみようと思う。
§
「取り寄せればいいだけ」
食堂で待ち構えていると、やがてセリアがやってきた。事情を説明したところ、案の定昨夜のユーグとまったく同じ反応をした。
「チーフのたっての願いなんだよ。断ったらどんな目に遭うか知ってるだろ?」
「そもそも支給品があるはず。ある程度は選択肢もあるし、追加費用を払えば、大抵のものは手に入る」
軍の支給で、化粧品まであるとは知らなかった。追加費用を払って、注文することが可能だとも。しかし今は戦時中。言い訳などいくらでも作れる。
「今支給されてるのじゃ肌に合わないし、物流が滞ってて、特注しても届かないそうなんだ。ここ、在庫有るらしいから、買ってきてくれって拝み倒されてさ」
話は終わりとばかりに食事をし始めたセリアに、ユーグの方こそ拝み倒すようにして頼み込む。トレイの上を見ると、今日は盛られている量が半人前もない。少食というのは本当だった様子。嫌われているわけではないと判断したユーグは、アドバイス通りに押してみた。
「頼むよ。俺じゃ店入った瞬間に変質者扱いされるの目に見えてるだろ? ここだっていつ攻撃されるかわからない。配達を頼むわけにはいかない。実際、昨日の奴ら、この基地が目的だったかもしれないんだし」
食事の手を止めて、迷うそぶりを見せ始めたセリア。ここぞとばかりにユーグは畳みかける。
「隊長の許可もとってある。前線の状態も確認した。また外相電話会談だってさ。終わるまで北帝も大きくは動かない。どうせまた決裂して、激しい戦いが始まる。明日からかもしれない。今日が唯一のチャンスなんだよ」
「わかった。他に頼める人いなそうだし、昨日の借りもある」
「よしっ! ――って、借り?」
思わずガッツポーズをした後、首を傾げつつセリアに問う。何かしてあげただろうか。記憶にない。
「上空に戻ってきてくれなかったら、地上で殺されてたかもしれない」
「ああ、そういう……」
敵兵だって無事に逃げ帰りたい。地上部隊がいない場所でベイルアウトした場合、パイロット同士での陸戦に発展することはままある。ユーグが地上近くを旋回していたから、敵パイロットたちはセリアを人質にしようとはせず、ただ逃げることを優先したのだろう。
「えーと、三十分後……じゃ早いか? 一時間後、庁舎前で。車、借りてきておくよ」
小さく頷いたのを確認すると、ユーグは席を立った。ここで無理に話題を探すよりも、二人きりになった後に気まずくならないよう準備すべき。
大きな声を出したつもりはないのだが、周りの注目が集まっていた。視線を避けるように身を縮こまらせつつ、その場を離れた。
§
店から出てきたセリアは、手にした袋をすっとユーグに差し出した。
「ありがとう、助かるよ」
礼を言って受け取るも、セリアは無言のまま。つまらなそうというわけではなく、かといって楽しそうというわけでもなく。相変わらず人形のように何の表情も浮かべず、ただ淡々と用事をこなしていた。
出てくるまでにかかった時間からすると、目的のものを探して会計をしてきただけ。恐らくは、脇目も振らずに、ただ頼まれた品だけを見て。
メラニーの依頼品はあと一つしかない。順番を間違えたとユーグは後悔した。最後はあの下着。ここまでのセリアを見て考えておいた台詞は、今使うことにした。
「せっかく来たんだし、お前も何か見てったら? 支給品よりずっと種類多いんだろ、この店だと?」
中に並ぶ色とりどりのパッケージを見ながら、ユーグはそう提案した。大規模ショッピングモールの化粧品店。空爆の心配がないこの辺りでは、まだこういう施設も普通に営業している。
「兵士に化粧品なんて不要」
にべもなく返して、さっさと先に進むセリア。よく見ると、すっぴんのようだった。兵士には不要というよりは、下地が良すぎるセリアには不要と言っているように聞こえた。
(無自覚で敵作ってそう……)
自分が女だったら、嫌味な奴だと思ったに違いない。ユーグはそう考えた。つんけんしているわけではなく、むしろとても控えめ。食堂ではいつも隅の目立たない席。出撃や訓練のために待機しているときも、格納庫の端に寄って、ぽつんと一人佇んでいる。
それでも、同性を中心に敵は多そうに感じる。本人にその意図はないのだろうが、誤解を招く一言だった。言葉通りの意味であったことは、彼女の服装が証明している。
海軍のグレーのジャケットにスラックス。ショッピングモールに来る格好ではない。基地で勤務中に、そのまま出てきたかのよう。ユーグですら、一応私服に着替えてはきたのに。
「なあ、ブランシェ少尉。俺も苦手だから、他人のこととやかく言えないけどさ、こういうときくらい、もうちょっとおしゃれしたら?」
それなりに頭をひねってはきたのだが、周りと比べるとやはり地味でセンスの悪い自分の服を見ながら、ユーグはそう提案した。セリアは聞こえていないかのように歩いている。
「……せ、せっかく可愛いんだし? 勿体ないと……お、思うけどなあ?」
柄にもないことを言ってみる。しかし相変わらずセリアは能面のように表情がない。
(そこは照れてくれよ!)
むしろ自分の方が赤くなっていそうな気がして、誤魔化すために心の中で突っ込んだ。
「ふ、服見ていかない?」
ちょうど洋品店が立ち並ぶ一角だったので、そう声を掛けた。セリアがくるりと振り返る。してやったりと思ったものの、彼女の口から零れた言葉を聞いて、ユーグは肩を落とした。
「自分のものも買いたかったのなら、先に言って」
なぜかユーグの洋服の買い物にされてしまった。話の流れ的に、セリアのものになるはずだったのに。だが彼女が視線を向けた先を見て、理由がわかった。男性ものしか扱っていない店の前だった。
(これはこれで利用すべき)
気を取り直すと、勇気を出して提案した。
「あ、じゃあ、服選ぶの手伝ってくれる?」
セリアは無言のまま店の中へと足を踏み入れた。嫌ではないらしい。これはいける。彼女の好みが少しはわかる。敢えて迷いを見せて、色々な服を試着し、反応を見ればいい。
「これどう思う?」
「緑色の服」
甘かった。まるで画像認識AIのような受け答えしかしない。客観的事実のみを述べて、感想は一切含まれていない。当然、表情や声音からも、気持ちは読み取れない。
「えっと、さっきのとどっちを買った方がいいと思う?」
「あなたが買いたい方」
「どっちのが似合うと思った?」
「似合うの定義がわからない。だから、似合う方が似合うのでしょう」
コンピューターと会話している気がしてきた。似合うという概念から教えなければならないとは思わなかった。そして、ユーグにはきっとうまく説明できない。
釣り合う。相応しい。相性が良い。他の言葉に置き換えたとしても、同じように『定義がわからない』と返されるのが目に見えている。わからないのは、言葉の意味そのものではなくて、『どうであれば』似合うのかという、条件の方なのだろうから。
「じゃ、どういうのが格好良く――いや、いいや。これにする」
主体的な意見を引き出そうと言いかけたものの、格好良いの定義を聞かれるだけと気付いた。
「あなたがそれがいいのなら、それがいいのでしょう」
案の定、セリアは無表情のままそう応じた。
(駄目だこれは。男物だから興味がない? それとも自分のじゃないから?)
親しくもない他人の服選びに付き合わされたら、確かに自分でも生返事をしそうに思える。セリアが興味を持ちそうなもの、彼女自身が欲しいと思うもので勝負しないとならない。
「なあ、ついでだから、お前の服も選んでいこう。女性ものの店はもっとたくさん――」
「必要ない」
言い終わる前に、遮るようにして断られてしまった。ユーグはなおも食い下がる。
「必要ないってことないだろ? 裸で生活するわけにはいかないし」
「これがある」
セリアは袖を持ち上げて軍のジャケットを示した。確かに生活するだけならそれで充分。しかし、そういう問題ではない。
「もうちょっと女の子らしい――って言うとジェンダー問題に発展しそうだけど、その、もっと好きな服着ていいと思うぞ? 戦争中だからさ、いつ出撃があってもおかしくはない。でも、二十四時間働き詰めってわけじゃあないんだから」
店の外に出ると、斜め向かいの店を指しながらユーグは続ける。
「あそこで売ってるようなヒラヒラした服とかさ。オフタイムなら、ああいうのを基地の中で着てたって、誰も文句言わないぜ?」
「これを着てても文句は言われない」
わざとやっているような気がしてきた。試されているのかと思い、セリアの方を振り返る。相変わらずの、二重の意味で人形のような顔。
大分身長の低い彼女に合わせて、屈み込んで視線の高さを同じにする。氷青色の瞳には、疑問の色すら浮かんでおらず、じっと見つめていても、恥じらいに頬を染めることはなかった。
心底興味がないように思えた。戦争が始まる前は、どんな少女だったのだろうかと考えてしまう。士官学校に入学する前は、誰とどう生活していたのだろうと。
(電話、してみるかなあ……)
頭に思い浮かんだのは、兄の顔ではなく、人懐っこい少女の笑顔。もう戦死してしまっているかもしれない。もしもの際、互いに戦意を失わないように、最後まで生き抜く決意を示すために、終戦まで連絡を取らないと約束しあった。
よぎった考えを振り払うようにユーグは頭を振った。余計な心配を掛けたくない。ましてや、こんな誤解を招く可能性が高い相談に乗ってくれるとは思えない。
「あなたが欲しいものはそれだけ? 頼まれたものを買ってくるから、ここで待ってて」
モールの奥へと進むセリアに、これ以上かける言葉は思いつかなかった。会計もまだ済ませておらず、大人しく彼女の指示に従った。
「帰りましょう。基地が心配」
しばらくして戻ってきたセリアの言葉に、今日初めての感情が含まれていることに気付いた。心配するというのは、大切なものを失いたくないということ。
守るべきは人。隊長に反抗して、そう言い切ったセリアを思い出した。
(そうか……お前が興味を持っているのは、それなのか……)
人々を守りたい。一方的に侵略してきた北帝の人間たちから、戦う力を持たない国民を守りたい。彼女にはそのための力があるから。敵の弾をかいくぐり、空を舞う翼があるから。
過去のことはわからない。だが今の彼女には、その感情しかないのだろう。ならば、ユーグがやるべきことは、決まっている。
(俺の力で終わらせられるとは思わない。でも、それまでお前の背中を……)
隊長も同じ考えだったのかもしれない。基地に戻ってみると、ユーグの機体は四番機になっていた。三番機であるセリアを後ろから守り、援護する役目。二番機を欠番にして、そう変更されていた。