第三話 レヴニール
基地内を歩き回ってみたが、結局セリアは見つからなかった。夕食の時間となり、食堂を覗いてみるもその姿はない。一旦諦め、シチューを配膳してもらい席に着こうとしたときだった。
視線の先に、探していた当人の姿がある。小柄故に、手前にいた恰幅の良い陸戦兵の陰に完全に隠されてしまっていたようだ。テーブルを回り込み、向かいの席へと移動して声を掛けた。
「や、やあ……」
我ながら間抜けな挨拶だとは思う。セリアの氷青色の瞳が、一瞬だけこちらを向いた。しかし返事をすることもなく、まったく興味なさそうに手元に視線を戻した。
向かいに座り、どう話を切り出そうかと思案しているうちに、セリアはトレイを手にして立ち上がった。まだ半分以上残っている。さすがにショックだった。
「そんなに俺のこと嫌い?」
思わず直接的に訊ねてしまった。セリアは自分のトレイと、ユーグの顔を見比べたのち、消え入るように小さな声で答える。
「私、少食だから」
「そ、そうなんだ……」
単なる言い訳でもなかったのだろう。少々迷うそぶりを見せた後、セリアはトレイをテーブルに戻し、ユーグに向かって押し出した。
「今は食料も貴重だから。次からは、最初に少なくしてもらう」
(俺に食べろってこと?)
相変わらず表情は読めないが、帰投後、隊長に向かって反抗したときとは大分印象が異なる。本来、見た目通り大人しい少女なのだろう。配膳係に注文を付けることができなかったのかもしれない。部屋に閉じこもっているのも、単に内向的すぎるだけとも考えられる。
突き返すわけにもいかず、トレイを受け取ると、セリアはふいっと視線を逸らしてそのまま行ってしまう。
「待って待って!」
くるりとセリアが振り返る。わずかに肩を覆うプラチナの髪が揺れて、その輝きに目を奪われた。何を話そうかまだ考えていなかったこともあり、ただ見惚れていると、再び背を向けられる。共通の話題を探して頭に思い浮かんだのが、あの意表を突いた機動だった。
「あのコブラ。レヴニールだってあんな飛び方はしないぞ」
ユーグの言葉を聞くと、セリアは向かいまで戻ってきた。先程までとは打って変わり、強い調子で言い切る。
「有効だと判断した場面なら、彼女だってやる」
「やらない。一度も見たことがない」
敢えてユーグも強く言い返した。あの件に関して、彼女は意固地になっているようだから。
「どうしてそう言い切れるの?」
「レヴニールには国民皆が注目してる。コブラなんてやったら、すぐにネットに動画が拡散する。今日の戦闘のも見たけど、あんな自殺行為はしていなかった」
セリアは椅子を引くと、向かいの席に座りなおした。そして氷青色の瞳でまっすぐ見つめながら、問い詰めるようにして返す。
「あなたにレヴニールの何がわかるっていうの?」
「わかるさ。彼は伝説級のエースパイロット。そして俺たちは、レヴニールとは違う。一人で首都を守り切るような、あんな奇跡的活躍は不可能だ。それだけは断言できる」
三月九日。次々と墜とされていく味方機の中で、たった一機だけが首都エルトスの空を飛び続けた。乗っていたのは、どこかの基地から持ってきたのであろう、練習用のクラシック機。
この間までユーグたちが乗っていた復刻機よりも更に古い、本物の旧型機。圧倒的多数の敵機を相手に、地上兵力をうまく利用して、次々と撃墜させていった。
敵の射線から逃れるために低空に逃げたふりをして、高射砲が隠された倉庫の直前に誘き出す。ロケット砲を構えた歩兵たちが待つ建物の屋上すれすれを通り抜ける。時には高層ビルの合間を追いかけさせて、操縦ミスでの墜落を誘うマニューバーキルまでやってのけた。
もちろん彼ですら墜とされた。しかしその度に帰還し、すぐに別の機体で空を舞った。首都防衛戦が終わる前にもう、再び現れる者と綽名されて、国民たちの希望となっていた。
彼の飛び方もまた危険なものではある。自らを囮とし、味方に墜とさせる。しかしそれは、圧倒的な技量と経験の裏打ちがあって為せる業。古い時代の老兵だという噂がある。かつての大陸間戦争時の撃墜王なのではないかと。
「まだ若いんだ。あの時ほど絶望的な状況でもない。生命を捨てるような飛び方はもうするな」
セリアの技量は確かに高い。悔しいが、自分よりもずっと上だとユーグは思う。だとしても、レヴニールの真似なんてしていたら、生命がいくつあっても足りないのも事実。
「その言葉、都市に向かう爆撃機の大群を前にしても言える?」
今の説教で終わりのつもりだった。セリアの逆襲に、シチューを掬ったスプーンを口に入れようとした姿勢のまま、ユーグは固まった。
「自分の生命一つで多くの生命が救われるのなら、喜んで捨てるべき」
「セリア!」
シチューが飛び散るのも構わず、テーブルを叩いて大きな声を出した。周囲の視線が集中する中、彼女は表情一つ変えずに言ってのけた。
「私が捨てるから、あなたは捨てなくていい」
席を立つセリアを止めることはできなかった。唇を噛みしめ、ユーグは悔しさを露わにする。
(俺の言葉じゃ届かない……)
嫌われているというよりは、軽蔑されているのかもしれない。セリアの死が確定的と思える状況になって、やっと撃つことができたような腰抜けなのだから。
彼女は違う。今日が初撃墜のユーグに対して、共に実戦に出た二回だけで三機も墜としていた。間に合わせの復刻機で、最新鋭の主力機リベルラを相手にその戦果。
五機墜とせばエース。機体に星は一つもペイントされていなかったが、もうなっているのかもしれない。レヴニールには及ばないとしても、顔と年齢に似合わず、凄腕なのは間違いない。
(俺にも力があれば……)
不甲斐ない自分を改め、実力を認めさせれば、彼女も少しは耳を貸すかもしれない。今日のコブラ、必要だと思ったから彼女はやったのだろう。あのままではユーグには墜とせそうにないから、仕方なく。きっとこれまでの出撃で、ユーグがトリガーを引けないことに気付いて。
大きく溜息を吐いてから視線を落とすと、目の前の惨状に気づいた。シチューが飛び散って、具があちらこちらに転がっている。それを拾い集め、テーブルの端に置いてあった紙ナプキンで拭い取りながら考えた。
腕を上げるには、時間と機会が必要だ。トラウマだってそう簡単には乗り越えられない。今日明日とはいかない。まずは友達になってみるしかない。積極的に話しかけ、彼女が興味を持つことを見つけて、あの凍ったような心を少しずつ融かしていく。
(それ、一番苦手なやつじゃないかよ……)
両手で頭を抱えて項垂れた。女子となんてどう仲良くなればいいのかさっぱり見当がつかない。兄と対照的すぎる自分の性格では、こちらはこちらで無理のある計画。
前途多難。まさか敵機ではなく、女子を落とすために悩む羽目になるとは思わなかった。隊長がニヤニヤしていた理由がやっと理解できた。知っていて押し付けたのだ。
きっともう振られたのだろう、隊長も。あの経験豊富そうな、自称四十九歳と十八か月の不良中年で無理なら、自分には一生不可能な気がする。ユーグの悩みは尽きない。
気を取り直し、誰を頼ろうか、これまでに親交を持てた基地の面々を思い出しながら、黙々と食事を続ける。セリアの食べ残しにドキドキしながら手を付けると、後ろからバシッと肩を叩かれた。
「悩んでいるようだなあ、少年」
ひりつくほどの力の強さと、歯切れよく大きな声から、振り向く前に誰なのか理解した。メラニー・シュヴェーヌマン。先程の場面を見ていた誰かから、話を聞いたのかもしれない。
(気づかなかったことにしておこう……)
一番相談してはいけない相手な気がする。思考に耽っているふりをして食べ続けた。どかっと隣の椅子に腰を下ろすと、メラニーはテーブルすれすれまで頭を下げて覗き込んでくる。
「美少女以外とは口も利かないってか?」
「いえ、美女も大歓迎です」
メラニーの顔がわかりやすく歪む。
「てめえ、喧嘩売ってんのか!」
美女ではないから無視したことになってしまった。また拳骨が飛んでくると考え頭を庇うも、何も起きない。不審に思いそっと見上げると、メラニーはじっとユーグの顔を見つめていた。
「お前、あいつに惚れたのか?」
「いえ、別にそういうわけじゃ……。ただ、あいつのことどうにかしろって、隊長に言われまして。昼間の話、当然聞いてますよね?」
「ふむ……それだけかあ?」
疑わしそうなメラニーの視線は、セリアが置いていった食べ残しと、ユーグの顔を交互に見ていた。
「あとは、同じ小隊の僚機として、単純に心配なだけです。あんな飛び方してたらきっと死にます。それに、孤独の辛さは理解できますから」
そこから救い出してくれた少女の顔を思い出した。今どこの戦線にいるのだろう。頭の中でしたり顔で笑いかけてくる彼女に後押しされて、続く言葉が出た。
「ウザ絡みしてくる友達の一人くらいいた方が、人生幸せなんですよ」
物理的に殻を破られた。無理やり引っ張り出すことで、心の殻を。それからは、世界が少し違って見えた。コミュニケーション能力の塊ともいえる彼女がいてくれたら、自分が悩むことはないのにとユーグは思う。
「セリアを幸せにしてやりたいってことか。……なら、とりあえずデートに誘え」
「ど、どうしてそうなるんですか?」
ぐいっと顔を寄せてくるメラニー。意外に端正な目鼻立ちにどぎまぎしながら、ユーグは疑問を呈した。ごく真面目な表情で、メラニーは続ける。
「同じ女だからわかる。押して押して押しまくれ。それでああいうタイプは落ちる。連れ込んでヤっちまえば勝ちだ」
「生物学的に女性であることと、心理学的な女性と、社会科学的女性はすべて違いまして……」
ガツンと強い衝撃が脳天を襲い、ユーグは涙目になって頭を抱えた。
「これでも未亡人だよ! てめえよりは恋愛経験豊富だ!」
今度こそ拳骨が降ってきた。大音声の怒号と共に。だが何かヒントになった気がする。こういうのが必要なのだ、きっと。さすがに殴るわけにはいかないが、心に衝撃を与える何か。その具体的な一例が、先程のアドバイスのもの。
そういえば、整備兵たちから噂を聞いた気がする。メラニーがやたらと厳しいのは、整備不良で大切なパイロットを失ったからだと。もしかしたら、夫だったのかもしれない。
「ほれ、お前これ買ってこい。メールで送るから見てくれ」
一発殴って怒りが収まったのか、コロッと態度を変えたメラニーは、端末を操作しながら不明瞭な発言をする。
「え、何ですか?」
携帯端末が振動し、届いたメールを見て、ユーグは頬をひきつらせた。
「こんなのプレゼントしたら、次の出撃で後ろから撃たれると思いますが……?」
際どいデザインで派手な赤色をした、女性用下着だった。
「お前発想がイカれてんな? アタシんだよ。明日、サン=タヴァロンの市街まで出て買ってきてくれ。リストにあるやつ全部な。買える場所も書いといた」
「なんで俺が買いにいくんですか……。届けてもらえばいいでしょ?」
素直な感想を口にすると、メラニーは大げさに肩を落とし、溜息を吐いた。
「オツム大丈夫か? 戦時中にわざわざ買い出しの任務を与えるんだ。その理由を考えろ」
それだけ言うと、席を立って行ってしまった。ユーグはメールに記載されている品の一覧を眺めながら考えた。化粧品他、すべて女性もの。
(セリアを誘う口実作ってくれたのか……)
頼まれたとしても、なかなか男子では入りにくい店ばかり。荷物持ちはするから、代わりに買ってくれとお願いすれば、嫌とは言わないかもしれない。
メラニーの依頼に応えなければどうなるかくらい、セリアでも知っているだろう。助けてくれる可能性は高い。あれでもメラニーはやはり女性なのだと、妙なところで感心してしまった。