第一話 笑顔になる方法
夕暮れの朱に向かって、一機のセントールが離陸する。その航跡を追うと、美しいグラデーションに染まる空を背景に、緩やかな弧を描いた。藍色に沈んだ影を見せる北東の彼方へと、溶け込むように小さくなっていく。
「お疲れ様。あれで最後ですよね?」
隣で空を見上げていたメラニーにそう言うと、やはり拳骨が降ってきて、ユーグはひらりと躱した。
「お、学習したな? こっちはまだ休めねえよ。補充機体はもうすぐ届くそうだ。全部使えるようにしないとならねえ。これから大忙しだ」
今はユーグの機体しか残っていない。生き残った者たちは、いち早く戻ってきた整備兵から燃料だけ補給してもらうと、それぞれの戦場へと帰っていった。
「彼らはどうなるんですか?」
格納庫の中で、再搬入した備品の設置を手伝っている若いパイロットたち。それを眺めながら、ユーグは問いかけた。機体を墜とされ、上司も失った。かつての自分の姿が重なる。
「一旦この基地預かりとするそうだ。機体が届き次第、使える奴を小隊長に任命して、再編する。――お前、やってみるか?」
「冗談はよしてくださいよ。一人の後ろを守るので精一杯ですよ」
皆ユーグと同年代の者たち。年下の方が多いかもしれない。士官学校で見かけた覚えのある者もいる。誰かしらリーダーシップを取れるだろう。自分の出る幕ではないと思える。
「ま、寝取られないように気をつけろよ」
メラニーの視線は、フランの方へと向いていた。早速皆と交流を図って、この基地での先輩風を吹かせている。彼女が選ばれるかもしれないと思った。別の戦場へ行かれてしまうと、少々寂しい気がする。
ネメシスは撃墜できたものの、ローザニア空軍の被害は甚大だった。サン=タヴァロン空軍基地へと帰り着いたのは、参加した四十一機中十二機のみ。レヴニールは補給には寄らず、そのままどこかへと消えた。おそらく、アンジェヴィル防衛に戻ったのだろう。
「これだけの被害を受けてまで、撃墜する意味があったんですかね?」
あれが基地への特攻だったのなら、あのままやらせておけば良かった気がする。どうせ首都までは保たなかったはずなのだから。どこかで冷却材切れになり、REMPSの影響を受けて墜落していた。
ベイルアウトが間に合わなかったり、コックピットが破損したりして、貴重なパイロットが多数死んだ。十機が飛び立ち、八人が残っている。レヴニールとサンドリヨン小隊の四人を加算すると、差し引き十八名を失った計算。
「基地の人員は避難していたのだから、設備や物資よりも、人を守った方が良かったんではないでしょうか」
どうしてもそう考えざるを得ない。北エルトリアのリベルラのパイロットたちは、何人も捕らえられなかった。死んだ者もいるだろうが、ネメシスの搭乗員を計算に入れなければ、人的被害はこちらの方が大きい。
「無駄じゃないさ。北帝があのゲテモノをまだ持っていたとしても、どうにかする方法はわかった。次に来たときには、被害なしで撃墜してやる」
「え……一体どうやって?」
「停電爆弾って知ってるか?」
「まさか……」
炭素繊維ワイヤーを散布し、送電線などをショートさせて、停電を起こすための兵器。今では軍事施設には地下送電網が整備されるのが普通で、実戦で使われることはあまりない。
「お前が今考えたのとはたぶん違うぞ? さすがにネメシスは停電しない。だがエンジンが停止する。おそらく冷却装置も。あの巨体だ、機動性は著しく劣っていた。もし進路に大量の炭素繊維をばら撒いたら、どうなると思う?」
「なるほど……。少なくともまともには飛べなくなる。電磁投射砲も使えないかも」
ジェットエンジンに異物が吸い込まれて、故障したり停止したりするのはよくあること。旅客機が火山灰を吸い込んで起きた事故は多数ある。可燃性の高い炭素繊維なら、停止ではなく爆発するかもしれない。電磁投射砲も、電磁石部分はショートする可能性がある。
散布候補は他にもあるだろう。環境への配慮はしなくてはならないが、エンジン停止につながる物質は、多数ある気がする。
「ま、それも以前考えていた空戦用兵器の一つだ。ドッグファイト中にばら撒いたら、後ろの敵機を墜とせないかってな」
「それ、作ってくださいよ!」
「パイロットがお前一人だけになったらな」
メラニーは小さく溜息を吐くと、背中越しに手を振りながら整備兵たちの元に戻っていった。
(そうか、味方も巻き込むから……)
対空兵器として使うには、ゆっくりと降下して、ある程度滞空する形状にしなくてはならない。そしてそこには、味方機も突っ込む可能性が高い。下手したら自分までも。
陸軍が頭上を守るための兵器としても実用性がない。いずれ自分たちの上に降ってくるのだから。虎の子の電磁投射砲等が使えなくなる、単なる自爆行為。
相手が機動性の低いネメシスだからこそ使える攻撃方法。しかもエンジンも大出力で、吸気量が多いはず。冷却システムの一部を担っている可能性もある。
メラニーのことだから、もう念のため製造はさせているのだろう。次は出撃の必要すらないのかもしれない。長距離ミサイルを使って、地上から進路にばら撒けばいいだけ。
「ユーグ、明日はお休みでいいってー。また三人でお出かけしよ?」
こちらを認めたのか、フランが手を振りながら駆け寄ってきた。そのつもりだったので、手間が省けて丁度良い。またダシに使うだのなんだのと言われると、面倒なことになる。
「そうしよう。……北帝でも似たようなことしてるのかな?」
ローザニア側の空軍戦力の大幅低下は、当然北エルトリアも認知するところのはず。なのに、予想に反して攻勢の手が緩められた。ネメシスと連携した動きもなかったという。
「うーん……少なくとも、前線の兵士は無理じゃない? なんか可哀想だよね。無理やり動員されて、敵地じゃ休むこともできなくて」
北エルトリアも疲弊しているのだろう。さすがに世界のどの国も味方はしてくれない。大国とはいえ、実質南半球すべてを敵に回したからには、物資も人も足りなくなって当然。
ローザニアやフォーレスによる情報工作の可能性もあるが、大分前から厭戦ムードが漂っているとの噂もある。捕虜にした兵士たちも、戦場には帰りたがっていないとも。
国連の仲裁による停戦交渉が、久々に再開されることになった。今回は双方本気なのかもしれない。それぞれ大統領と宰相が自ら出向いて、直接会談を行うという。しかも明日、電撃的に。
「でも、あたしたち遊んでていいのかなー? 大統領の護衛とか、必要ないのかな?」
会場は、西の隣国プリムヴェーラ。ネメシス通過の件や、出処不明の四機など、きな臭い部分がある。確かに心配と思える。
「まあ、国連事務総長まで出張ってくるからには、何もできないだろ。手を出したら、正真正銘全世界を敵に回すことになる。オルネラスでもやらないよ、さすがに」
「んー、そこまでやるなら、さっさと核ミサイル使ってるかー……」
その後には何も残らないことくらい、オルネラス宰相でも知っているのだろう。他国に向かって発射する核よりも、自国に撃ち込まれる数の方が多いことも。
§
モールの駐車場に降り立つと、携帯端末が振動した。取り出してみると、目の前にいるフランからのメッセージ。気を遣って、本人にはわからない方法にしたのだろう。『この服買ってあげなさい。前に入ったとこのやつ』と写真付きで指示してきていた。
周囲の車の数は、以前来た時よりも大分少ない。近くにネメシスが墜落したのだから、当たり前のことだろう。民間人をなるべく刺激しないために、軍人とはわからないような服装を指定した。だが、待ち合わせ場所に来たセリアが着ていたのは、作業用のつなぎだった。
確かに軍人でなくても着ていそうなデザインではあるが、その選択について何も言えなかった。私服を持っていないにしろ、センスの問題であるにしろ、本人はきっと傷つく。
「とりあえず、何か飲み物でも買うか。今日暑いもんな」
「うんうん。行こ行こ」
以前クレープを食べた場所に三人で上がった。どう切り出そうか迷いながら、空いている席を確保し、飲み物を選びにいったセリアとフランが戻ってくるのを待つ。
昨日の戦いでセリアが口にした言葉が頭から離れない。『一緒に死んでくれる?』とセリアは訊ねた。攻撃の指示ではなく、共に死ぬことを望んだ。しかもユーグだけを名指しで。
「サンキュー。――って、フランは?」
「一人でどこかへ行った」
やってきたのはセリアだけだった。差し出された珈琲を受け取ると、また携帯端末が振動した。嫌な予感がする。画面を見ると、案の定フランからのメッセージ。『頑張ったご褒美に二人っきりにしてあげる』そう書いてあった。
(余計なお世話だよ。三人で来た意味ないだろ……)
フランとしては気を遣ったつもりなのだろうが、逆効果としか思えない。むしろやりにくくなってしまった。二人きりの状態で訊くと、何かもっと深い意味と取られかねない。
無言で飲み物を消費し続ける二人。話しかけるきっかけを得られないまま、珈琲が空になってしまった。カップをテーブルに置くと、セリアの氷青色の瞳がすいっとこちらを向いた。
「話があるって聞いた」
さすがにお節介がすぎると思った。フランにはまだ何も相談していない。しかし、このことを気にかけているのは、見抜かれていたのだろう。態度に出ていたのかもしれない。
「……その、どういう意味だったのかと思って。あの時の『一緒に死んでくれ』って言葉」
「単に一機では成功率が低いと思っただけ」
特に表情を変えることもなく、セリアはすぐにそう返した。予想通りの反応。しかしそれならば、全機に突入を依頼した方が成功率は高かった。射程の長い電磁投射砲は、上面には二基しかなかったのだから。
「どうして俺だけを名指しした? しかも、突入してくれじゃなくて、死んでくれなんて」
質問への返事はなかった。代わりにセリアは、ぎこちない笑顔を見せた。街角で突然モデルを依頼された素人が、カメラに向けて無理やり作ったような、緊張した感じの不自然な表情。
その行動の意味を計りかねて、ユーグは固まった。するとセリアはいつもの無表情に戻り、消え入りそうに小さな声で言う。
「練習はしたつもり。でもその反応を見る限り、失敗したということは理解した」
どうやら落ち込んでいる様子。確かにうまく笑えていなかった。それでも、感情を表そうと努力してくれたのだ。セリアはやはり変わりつつある。そして今の質問への答えが、笑顔で表せるような気持ちなのだとしたら。
「お、俺も苦手だから大丈夫……」
意識的にひきつった笑いを作り、カバーしたつもりだった。しかし自然に笑おうとしても、同じ結果だったろう。自信過剰かもしれないが、セリアの言いたいことの予想がついたから。
「楽しいって何? フランが言っていた、笑えることって何?」
「哲学的、あるいは生物学的すぎるな……俺にもよくわからない」
感情の原理など、ユーグには説明できない。以前二人で買い物に来た時の彼女の反応を思い出した。まるでコンピューターと会話しているようだった。きっとないのだろう、セリアの中には。楽しいという概念が。
「理論は説明できない。でも笑顔になる方法なら知っている。ちょっと来いよ」
少々頑張って、セリアの手を掴んでみた。振り払われることはなく、黙って大人しくついてくる。その手は思っていたより小さくて、そして温かく柔らかかった。
以前フランが大量購入した洋品店の前を通りすぎる。先程のメッセージでは、ここの服だと書いてあった。しかし、敢えてそこではなく、セリアと二人で来た時の店まで進む。その斜め向かいを見て、意を決してセリアを引っ張っていった。
あの時見た涼し気な水色のサマードレス。フリルがついた可愛らしいデザイン。それを手に取り、セリアへと差し出した。
「これ着てみてくれよ」
「着れば笑顔になれる?」
「なれるよ」
自信を持って断言した。セリアはサマードレスを手に取り、しばし眺める。
「確かにフランは笑っていた」
妙な納得の仕方をして、中へと入っていく。店員の案内で、試着コーナーへ。待つこと五分ほど。無造作にカーテンを開けて現れたセリアが問う。
「笑顔になった?」
もちろんなっていない。相変わらずの無表情。しかしそれでもセリアは、とても美しく輝いていた。彼女のイメージに合う涼し気な水色。白く細い肩が艶めかしくて、膝まで露になった両脚が健康的な色気を醸し出していて。予想通り、とても似合っていた。
初めて見る女の子らしいセリアの姿に、ユーグは自然と笑顔になる。
「ごめん、お前じゃなくて、俺が笑顔になる方法だったんだ」
くすりと笑い声が聞こえた気がした。先程とは異なる自然な微笑みが、セリアの口許にも浮かんでいた。
「嘘吐きは嫌い。……でも、少しわかった気がする。これ、このまま着ていける?」
「金を払えばな。俺からのプレゼントだ。ネメシス撃墜祝い」
今度は断りはしなかった。以前は買ってもらう理由がないと言ったのに。店員がやってきて、タグを外してくれたり、セリアが着てきた作業着を袋に詰めてくれたりした。
服を着替えただけなのに、セリアの印象は大きく変わった。心なしか、表情も少し柔らかくなった気がする。元々目立つ容貌だったが、更に人目を引くようになって、すれ違う男共が皆振り返っている気がしてならない。
足元を見て、靴だけ浮いているのに気付いた。このサマードレスに軍用のブーツはさすがに似合わない。靴屋もあったはずと周囲を見回していると、携帯端末が振動した。
(げ……またかよ……)
取り出してみると、案の定フランからのメッセージだった。『エロいのを選びおってからに。そこの物陰で押し倒してしまえ』などと書いてある。どこかで覗いているのだろう。一緒にいるよりも、こちらの方がフランには楽しいのかもしれない。
だが、見られていたら気が散ってならない。さすがに苦情を言おうとメッセージを入力していると、突然端末の画面にノイズが走り、そのまま真っ暗になった。
「あれ……?」
バッテリーはきちんと充電されていたはず。何かの不具合で電源が落ちたのかと思い、入れ直そうとしていると、周りがざわついてきた。
「ユーグ、停電してる」
セリアの言葉に顔を上げると、確かに近くの店内の照明がすべて消えている。屋根がない場所にいたので気付かなかった。
「たぶん、EMP」
同じく電源が落ちている端末をセリアが見せてきた。
「まさか、敵襲!?」
空を見上げながら走り出した。広場まで出て視界を確保しても、どこにも敵機の姿はない。停電に加え、端末が使えなくなったことで、周囲は騒然としている。
「ユーグー!」
大きく手を振りながらフランが駆け寄ってきた。その顔も不安に染まっている。
「これどうなってるんだ?」
「わかんないよ、あたしにも」
基地に連絡しようにも、端末が使えない。モールのどこかに、非常回線がないだろうか。開戦後、各地にそういった設備が急遽用意されたはず。
「車に無線機が載せてある。あの車は手動でも動く」
やはり常に冷静なのはセリアだった。一応軍用の車両。REMPS環境下でも活動できるようになっている。
「戻ろう。基地も影響を受けたのかどうかはわからないが、まずは連絡だ」
三人で駐車場へと急いだ。ダッシュボードを開けて無線機を取り出すと、着信があったのか赤いランプが点いている。
「こちらサンドリヨン小隊、ルフェーヴル少尉。サン=タヴァロン基地、応答を願います」
「急いで戻ってこい。出動があるかもしれん」
すぐに返答があった。メラニーの声。出動ということは、やはり敵襲なのだろうか。
「一体何があったんですか?」
「この無線じゃ言えん。その場所はおそらく安全だから、まずは基地に戻れ。以上」
無線はそれだけで切れた。単なる敵襲ではなく、もっと異常な事態が起きているように感じる。自分を落ち着かせる意味も込めて、不安げな顔を向けてくるフランに言った。
「大丈夫だ、どうにかなる。俺たちはあのネメシスを墜としたんだ。レヴニールだって来てくれるさ」
「うん。なら、早く戻ろ?」
すでにセリアが後部座席にいるのを確認してから、ユーグは手動起動用のレバーを回してエンジンに火を入れた。電子機器部分が故障して動かせないからか、駐車場内では道を塞ぐ車両はなく困らなかったが、外に出ると皆道路で立ち往生していた。その間を縫うようにして、無理やり前へと進む。市街地を抜けるのに、大分時間がかかってしまった。
なんとか基地に帰り着き知ったのは、絶望的な事実。カルノーが見せてくれた映像では、首都周辺に次々と巡航ミサイルが着弾していた。
「なんで? どうなってるの、これ?」
以前ネメシス対策についてメラニーから説明された、格納庫併設のコンピュータールーム。そこに入れられた時点で予想はしていたのだが、残念ながら当たっていたようだった。
「地上の電磁防衛網が破壊された。プリムヴェーラからこのサン=タヴァロンまでの間の、REMPS発射施設がすべて」
「では、このミサイルは……?」
「プリムヴェーラのものだ。中立の立場を変え、北帝についた」
ダン、と音がした。悔し気に唇を噛み締めながら、フランがテーブルに拳を叩きつけている。
「あの爆撃? ネメシスに送電線切られちゃったの?」
止めなかったことに、責任を感じているのだろう。しかしあれはフランの独断ではない。むしろ気にかけていた。隊長は言っていた。バックアップの送電線はあると。
「送電線は無事だ。だが不発弾に見せかけて、お土産を多数置いていったんだ。遅発性のEMB。ネメシスにもデカいのが仕込まれていたようだ。基地周辺二百キロ以上の範囲が被害に遭った。首都までミサイルが通れる道ができてしまったんだよ」
あれは悪魔の兵器で間違いなかった。最初にプリムヴェーラ国境から北エルトリア機が侵入してきた時点で、この計画は始まっていたのだろう。あれは防衛網を調べるためのもの。ネメシスの特攻も含め、すべてが首都攻撃のための布石。そうとしか考えられなかった。




