オリンピックを見て思ったこと やっぱり柔道は面白くなかった
オリンピックの柔道競技を見て思ったことです。
あまり真剣に観ていた訳じゃない。そもそも十年以上も前に近代柔道への興味は失ってしまっている。
それでもやっぱり人生を懸けたであろうオリンピックの舞台で、その不幸に見舞われた選手は可哀そうだとは思う。
おさらいする。寝技の状態から両者の動きが止まった。これを体勢の硬直と考えた主審が『待て』の合図を掛けた。この合図が聞こえなかったのかどうか、いずれにせよ海外選手は仕掛けていた締め技を溶かなかった。その時間はおよそ7秒。結果、日本選手はいわゆる『落ちた』状態となり、一本負けが宣告された。
一度はっきりと『待て』のゼスチャーを表した主審が、数舜を置いて堂々と『一本』を宣言したその変わり身の速さには私も驚いた。
意識を取り戻した本人も、日本の選手団も猛然と抗議したようだが、一度宣言された判定は、やっぱり覆らなかった。
今から30年くらい前、これもある有名な空手団体の世界大会で実際に起こったこと。
明らかに主審の『待て』の合図の後、ブラジル選手の放った上段蹴りでヨーロッパの選手が失神KOされたのだ。下された判定はブラジル選手の一本勝ち。負けたヨーロッパの選手は本大会の優勝候補だったこともあり、近代スポーツにあるまじき誤審と誰もが考えたが、そんな騒動を一刀両断したのが、当時の同団体の総裁の一言。
(試合場は戦場。どんな理由があれ戦場で一瞬でも気を抜いた方が悪い)
なるほど、空手はスポーツではなく武道、若しくは武術。その観点に立つなら、それはなかなかに説得力のある言い分だった。スポーツではなく武道、若しくは武術ならである。
さて、それじゃあ柔道がスポーツなのか武道なのかと考えると、今のルールだとスポーツに分類されると言わざるを得ない。言わざるを得ないじゃないな。それは決して悪い事ではないはずだから。
まず今回のオリンピックでも目立った指導のルール。積極的に攻めないと指導を貰い、三つの累積で反則負けになるというルール。
このルールが顕著化されてから、本当に柔道が、特に国際大会を観るのが面白くなくなった。
指導を貰う事を嫌い、選手が中途半端な組手から技を出す。当然、そんな中途半端な技は掛からない。技を出した方が相手に背を向けてうつ伏せで倒れる。これ、戦場なら致命的な姿勢ですよ。人にはウミガメのような固い甲羅がないんだから。
もう一つ。積極的に攻めないことが罪って言う指導のルール。他の国がどうかは知らないけれど、我が国の武道のルールはやっぱり護身術にあると思う。これが武術ならそのルーツは戦場だ。護身にルーツがある武道に、自分から積極的に攻めなさいはないだろうって私は思う。
分かっていた事なのに、やっぱり柔道は面白くなかった。
でも、一旦は切れたであろう気持ちを再度奮い立たせ、銅メダルを獲得した日本人選手の精神力には感服する。
でも柔道はやっぱり面白くなくなった。