第9章 絶対防御の章 第130話 本当の策士は誰だ?
「私はただ金で頼まれて今日と明日、ここで待っていてくれと言われただけです」
男は何も知らされずただここでエル・ドアンの替え玉を自らは知らずにやっていただけだった。
「それだけか?」
「あと、明日の昼頃、あそこの綱を切るように、という指示でした」
ただそれだけのことで破格の金を渡されていたようだ。そして本来エル・ドアンがやるはずだった水攻めの作戦を、できれば儲けもの、程度の作戦にしてしまったのだ。
「わかった。金は返さなくてもいいから、縄を切るのは諦めて帰っていいよ」
男はそれを聞くと嬉々として去っていった。
「どうやら、キサラには偽の情報を掴ませたようですね」
ただ、どうだろう。俺たちがエル・ドアンを止めるように動くことは予想できたとして、このタイミングでバレでしまったのでは足止めにもならない。まだ始まってさえいない戦場に今からでも十分戻れるのだ。
「何が目的かの?」
師匠も同じ疑問を持ったようだ。
「一つ考えられるとしたら」
「考えられるとしたら?」
「一旦これで俺たちをここから逃避けておいて、俺たちが安心して戻ってからもう一度水攻めの準備をする、とか」
「そんなに面倒な事を考え付くものなのか」
「エル・ドアンなら或いは。でもゼノンかも知れません」
「もっと単純なことではないかの?」
「と言いますと?」
「水攻めが阻止出来たとして安心している今、ここで罠に掛けるということじゃ」
そう言うと師匠が無詠唱の魔法を俺に掛ける。拘束魔法だ。さっきの男にはもしかしたら掛けていなかったのかも知れない。無詠唱にしては完璧な拘束魔法だった。
俺は身動きが出来ない。それどころか締め付けられて息をするのも容易ではなかった。
「しっ、師匠、これはいったい」
「悪いの。エル・ドアンの話も水攻めの話も全部嘘じゃ。キサラと言う小娘は信じておったがな」
やはりキサラにはガセの情報が与えられていたのか。
「それはいいんです。でもこの状況は説明してくれませんか」
師匠が敵に寝返った?もしそうなら最悪の展開だ。その絵を描いたには誰なんだ。よほどの策士なんだろう。本当の敵はそいつか。
「理由か?まあ、勿論理由はあるんじゃが、それを聞いてどうする?」
「いや、いくらなんでも何も理由が判らない内に無力化されるのは、我ながらあまりにも不甲斐ないんでせめて理由だけでも知りたいじゃないですか」
師匠には俺に話をする義務はない。ただこのままここに俺を置き去りにするだけでいいのだ。今の俺には師匠の拘束魔法を解除する術はない。
「話してやってもいいんじゃがな」
師匠は少し迷っているようだった。話す必要は無いが話したい、というところか。
俺はとりあえず時間稼ぎがしたい。このまま放置されれば帰還できる確率がかなり低くなってしまう。ただ俺は死なないのでいつかは見つけて貰えるかも知れない。しかし遠征軍が負けてからでは意味がない。
それに師匠が敵になってしまったのであれば、出来る限り師匠をここに引き留めても置きたいのだ。
「まあ大した理由は無いんじゃよ、実のところ」
大した理由もなく寝返ったというのか?まさかな。
「強いて言えば儂がお前たちの世界に行ってみたい、ということかの」
あああ、それかぁ。確かにこの師匠ならそんなことを言いだしても可笑しくはない。
「ゼノンに向こうの世界に転移させてやると言われたんですか」
「まあ、そんなところじゃ」
「俺たちの世界に行きたかったんですか?」
「行ってみたい、ということかの。ただ戻っても来られるということじゃったから、まあ安心して行けるというものじゃ」
確かにピンポイントで選ばれた人をこちらの世界に転移させることは可能だったはずだ。
「リスク無く行き来できる、って訳ですね」
「リスク?」
「ああ、危険なことは何もない、という意味です」
「なるほど。そうじゃの。危険を冒す必要が無くお前たちの世界に行ってまた戻って来れる。それは少し興味が湧く話だとは思わんか?」
「俺は向こうにはもう戻りたくはないですけれどね」
「薄情なもんじゃの」
「いえ、向こうには会いたい人が誰も居ないんで。それに一応向こうのことも考えてエル・ドアンは返しちゃいけない、と思っているですから薄情なことは無いと思いますよ」
「個人的なことではなく世界のことを思って、ということか。まあ、それは確かに薄情ではないかも知れん」
褒めているのか貶しているのか、よく判らない。




