第36話 それはもはや誰にもわからない。
足元に転がってきた指輪を私は、一瞬悩んだけど拾い上げた。何だか、放っておけなくて。
黒いのはなくなっていた。
――捧げものを受け取ったからだ。
同時に、ロザリーさんや兵士たちにかかっていた圧も消えた。
「……っ、はあ……」
ロザリーさんが大きく溜め息をついた。
とても深く。
それは疲れ以外にも、たくさんの、重たい感情を含んでいた。
「ロザリーさん……」
「……ああ、ジュネ」
何て声をかけたら良いかなど、私にもわからなくて。
ロザリーさんが先に苦笑してくれた。
「ああ、こういうのは、さすがにしんどいなぁ……」
いろいろと。本当にいろいろな意味で。
ロザリーさんは、こうした裏切り――自分が危機に遭ったことがもう何度かあるのだろう。
その目を見て、解った。
だけどそれでも、心折れていない彼女は、本当に優しく強いひとなのだと、私は改めて彼女を見直した。彼女は私に助けられたことをすでに理解していて、整えた溜め息の中にそれを含んでいた。
そう、ロザリーさんは折れていない。
溜め息をついて、切り替えている。
それは薄情だからではなく、彼女がいろんな意味で強いからだ。
特記事項がお人好しだけど、それが彼女の芯だったんだ。
芯が強い人間は、それだけで素敵だ。
かわりにどうしようもなくなって、石造りの床に倒れ込んでいるのが……エリナさんの国のひとたち。
エリナさんの不幸なところは、早くに親御さんを亡くしたことに尽きるだろう。
お祖父さんやお祖母さん、親御さんはどこまでエリナさんに教えていたのか。
エリナさんのこの行ったこの結果では、儀式には参加して雰囲気などは学んでいたかもだけど、幼さ故に大事なことはまだまだ教わってなかったのかもしれない。
もしも、直系であった親御さんがちゃんと贄の意味を理解していて、彼女にゆっくり伝えていく予定であったなら……。
もしかしたら、お祖母さまで守人が尽きていたことで、贄を止めるつもりでいたのかもしれないな、なんてこともうっすら考える……まあ、どのみち、こんな神頼みなシステムには限界があったと思うよ。
そんな上から目線な――これは私の思考がやはり人間から外れたからだろうか。それとも、人間だから感じることだろうか。
あと、個人的なんだけど。
たちの悪い相手だったと思うよ。あの黒い圧の。
贄のその意味合い。
量より質をとるって点で、そのやばさがわかるよ。しかもその人にとっての大切なものを、だ。
まぁ、それくらいじゃないと等価交換にはならないのかもしれない、とは思うけども……。
ロザリーさんが前に魔物との取り引きはと、言葉小さくしていたけど、正に、ね。
うん、どう見てもありゃ神じゃなかったね。
私より――こんなドラゴン亜種の子ペンより格下だったみたいだし。
いや、やっぱりまた、毎度おなじみ兄上さまの鱗の御威光かしら?
まぁ……それでも。
私を拾った事がエリナさんの一番の不運か。
いや、ロザリーさんの幸運だ。
私がいなかったら、ロザリーさんはもしかしたら……。
ロザリーさんをそっと見上げれば、解っていると頷かれた。
やっぱり、最後にエリナさんがロザリーさんを視た理由も、それが私に阻まれたことも、彼女は解っていた。
「君に借りができたな」
「いえいえ」
お世話になっているのは私の方ですから。
思い出せば私を拾ったのは、エリナさんではなくロザリーさんだった。
それとかをいろいろ含めて考えると、やはりエリナさんはご自分しか条件に当てはまらなかったんじゃないかな……大切な、自分以外の価値あるもの。それはきっと、もう無かった。
ある意味、彼女も芯が強い人だったわ。
……なるべくして、こうなったんだな。
「……どうなったんだろう」
ポツリと、誰かがつぶやいた。
「なにが、どうなったんだ……」
ああ、気持ちはわかる。
兵士たちは呆然としている。
あっという間に始まった儀式に、何だか命の危機を覚えたら……護衛対象だった王女さまが、自ら自爆するようにいなくなってしまったんだもんな。
――自分たちを殺そうとして。
「王女は、私達を……」
それは理解してしまったのかな。
「私は……エリナ様にそれほど憎まれていたのか……生贄にするほど……」
キュロスがポツリとつぶやく。けど、私はそれにはどうだろうと首を傾げる。
「いや、それはどうでしょう」
「……え?」
「だって貴方達が来たのはエリナさんの予定にはなかったですし」
「……あ」
そう、エリナさんは人知れず……と、いうか国に頼らず儀式をしようとしていたわけで。護衛はロザリーさんで、生贄兼用だった。
「あと……いえ……」
まぁ、可哀想だから黙った。
彼はエリナさんに何とも思われていなかった。
憎しみすら。
だからキュロスは贄から外れたんだ。あの黒いのが見向きもしてなかったから。
そういう感情を始めからもっていなかったのか、捨ててしまったのかは、エリナさんしかわからないことだけど。
だから、ちょっとだけ考え方をかえた。
――これから先の彼らに降りかかる災難を知っているから、同情した。
護ろうとした相手に捨てられたと心折れたままでは辛かろう。
「でも、大きな意味で、民の全部を大切にしていたからかもですけど」
だから、贄が多すぎてエリナさんを連れて行ったのかも、と。
「……え?」
キュロスがどうしてと私を見た。
「始祖クワドも、自分を引き換えにしたんでしょう? それって、そういう意味がなくもないんじゃないですか?」
皆が、民が大切だから、逆に自分しか選べなかったのが始祖さんなんだろうな。
まぁ、それはもはや歴史のページの中にしか真実がないやつだけど。
もしも始祖も末裔と同じように自分しか考えてなかったら……因果だけど。
「なんとも大きな愛だな」
ロザリーさんもうなずいている。
まぁ、そういうことにしておきたい。
エリナさんにとって、大切にしていたのは……うん、それはもう誰にもわからない。
キュロスが、隊長が、兵士が、噛み殺すように嗚咽を漏らす。
「我らは……どうして……」
まぁ、本当は彼女は自身が贄になる気はさらっさらもなかったと思うけどね。
でも、彼らはこれから大変になるのだから、少しくらいの明るさがいると思ったので。ちょっとくらいのこうしたあやふやさも許されて?
ごめんね、エリナさん。
私は最後に欲を出した彼女の敗因の鱗をそっと撫でた。
いやでも本当、これから大変だろなぁ。
「じゃ、これから森がなくなるんだし、頑張ってくださいね」
「……え?」
……え? って、え?




