第35話 贄の条件。それは…。
思い返せば、私はひっそりとぶち切れていたのだろうな。
「え? 何で? 貴方がドラゴン?」
エリナさんが黒々としたものに巻き付かれ――そして引き込まれていく。
「え? どうして? 私じゃない! 私じゃない! 贄ならあちらに――」
ずるずると自分の身体が引きずられ靴底が後を引いて、彼女はようやく自分自身が贄となっていると気が付いた。
「いや、いやよ! 私じゃない! 私は贄じゃない! 私はこれから王に、女王になるの! 国を良くしていくのは私なの! これからやっと! やっと、贄を捧げて私が国を変えていくの! 良くしてみせるの! お祖父さまみたいに、クワドのように! 私が、私が!」
エリナさんの悲鳴が地下空洞にこだまする。
「え、エリナ様……」
キュロスが呆然として、彼女を呼んだ。それが許婚であった時の呼び方だったのか。
ああ、エリナさんも国を良くしたいという気持ちは、きっと誰よりも強かったのだろう。
だから王座に付く日を――追放されてそれからは、この機会を待っていたんだろう。
何年も何年も、彼女なりに国を良くするために、国の頂点に立ったときのために、考えを、想いを溜めていたのだろう。
思えば彼女も、今までの王族たちも、国を、民を思えばこその犠牲。
どれだけ血生臭い行いをしてきても。
このクワドの聖域とやら。はじめにはいったときに清浄に感じたのはそういった国の為にを第一にした、善き願いをしていたからか。
……だから。
エリナさんは間違っている――勘違いしている。
「貴方はいろいろと間違えたんだ」
私の中で怒りが萎み、かわりに哀れみが膨らんでいく。
「まず、捧げものは、その価値は、量じゃないんじゃないかな?」
「……え?」
「量より質」
その言葉この世界にあるかわからないけど、同意してくれたのはまさにエリナさんを取り込もうとしている存在。
始祖クワドは伝承では一族のために己を。
エリナさんのお祖母さまは弟を。
「どれだけ捧げものを増やしても、価値が増えるわけでない」
それは即ち。
「エリナさんの大切に思っているものじゃないと、意味がないんじゃない?」
捧げものの価値は、むしろエリナさんにとっての心中の価値。
エリナさんが大切にしている――彼女にとって価値があるものは、ここにはない。
そのことにがく然となったのはエリナさんだけでなく。
キュロスも兵士たちも息を飲んだ気配。
……いや、君たちもどうして彼女に特別だと思われていたと?
ああ、彼らは別に憎くて追放したわけじゃなかったのだったか。そして王族として、敬意なりは未だに抱いて、彼女のことは彼らなりに大切にしていたのだな。
兵士たちのなかには、本当にエリナさんを心配して守りに来たものもいるようだ。
だけど。
自分が思った分、そのまま返してもらえると思っているとはなんともお目出たい。
「エリナさんはキュロスを今はどうとも思ってなかったし、兵士たちのことも……」
森の中で彼女がそう言っていた。キュロスのことは今は何とも、と。彼女はここまで一度も嘘はついていなかった。大事な目的を黙っていただけで。
かつて警護して共に森に来ていた兵士たちのことも、同じくか――むしろ王族目線で、守られるのが当然て、特別気にもしていなかったのかもしれない。
彼女はそういうひとであったと、私たちは今さっきまで気がつかなかったほどに。それは彼女にとって当然過ぎたから。
だから、恩を感じているロザリーさんが彼女にとっては一番価値があるのかもしれない。
それにエリナさんも気がついたのか、はっとしてロザリーさんを視た。
しかし、その前には――私が居た。
私にもロザリーさんが大切で、私にも恩人だ。
――渡さない。
そう、エリナさんの一番してはいけなかったことは、これだ。
ロザリーさんを巻き込んだことが私の逆鱗に触れたのだ。
それが図らずも私をドラゴンたらしめた。
「あああ……ああああああ……」
この国の、真なる意味で最後の王族の断末魔だ。
「私が……私じゃない……私が……私……わた……」
黒い蔓が彼女を引きずり込みながら覆っていく。彼女は引きずられまいと両手を前に、私達に――贄に、差しのばす。
その手を誰も受け取らない。
「ああああ……いや、わた……私……」
彼女は最後に何を言いたかったのだろう。
自分は贄ではない、捧げものではない。自分こそが王であるのだ。
もはや、彼女にも解らないのだろう。
「あ……わたし……」
――カツン……。
最後に小さな硬い音がした。
赤い石がついた指輪が、石の床に落ちて、それはころころ転がって……私の足元に。
彼女は最後までなんで自分が贄になったのか解らなかったでしょう。そういう人間ていますよね……




