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滅亡小説

世界を切り取る

 世界のあちこちが四角く切り取られつつあった。景色の中に穿たれた黒い長方形、その部分は何もない虚無なのだ。

 どうもそれは何ヶ月も前から始まっていたらしい。世間がそれに気づいたときには、もう手遅れだった。長方形が増えすぎたある島が最初に崩落し、島の形をした虚無が海の上にぽかりと浮かんだ。

 いったい何が原因で。もしくは誰が、どうやって。学校の昼休みで、井戸端会議で、インターネットで、その話題が日々のメインをかっさらった。テレビではお堅いニュース番組からオカルトバラエティまでこの事件を取り扱っていた。

 そうこうしているうちにも、世界の切り取りは進行していた。虚無の面積が一定数以上増えると、周辺地域ごと消え失せるようだった。ある都市ではひとつの村が、ある国ではひとつの都市が、ある大陸ではひとつの国が虚無と化した。

 この世界の危機について、各国の調査機関から好奇心旺盛な一般人まで、知恵を結集した結果、この現象についてわかってきたこともある。

 特に重要だと思われる法則は、切り取りは夏に進行するということ、切り取られる場所は景勝地だということだ。

 虚無のできた場所とその時期を整理・分析した結果、『犯人』は夏と共に行動範囲を変え、海を渡り、地球上に虚無を増やしているらしいことがわかった。

 調査を進めるあいだに南半球が虚無にのみこまれて、六月に入ったあたりから、北半球における切り取り現象が報告されはじめたからだ。

 何の手もうてないまま、八月も終わりにさしかかろうとしていた。虚無がその面積を増し、北半球の終焉も間近にせまると思われるなか、誰かが気づいた。

 この四角、写真の痕じゃないの? と。景勝地の中でもとくに美しい部分ばかり、なくなっているのだから。


「そこまでわかっちゃったら、撮影してるうちに、どこかで捕まるかな」

 そう言った写真家は、恋人の部屋で舌を出した。

「でも気にしないんでしょ?」

 恋人が聞くと、写真家は、うん、と答えた。残暑きびしい昼下がり、写真家の帰国に合わせて休みをとったのに二人で出かける気にもなれず、居間でだらだらと過ごしていた。

 一ヶ月ほどあちこちを旅していた写真家は、動きにくくなった、などと言って、先週、日本の恋人の部屋に帰ってきた。

 彼が撮影した場所が黒く虚無のかたちに切り取られてしまうようになったのは、一、二年前のことだ。彼は写真家であり冒険家だった。国を問わず、夏という季節が好きで、季節にあわせてあちこち移動していた。基本的に風景写真の撮影を好み、世界をまたにかけて、この世のものとも思えないような景色を撮影してくる。

 自分の撮影した場所が虚無になってしまうことに気づいたとき、写真家は、一度は活動を休止していたのだ。

 だが、それも長くはもたなかった。景色を文字通り切り取ってしまう原因を探り、対策を考えてから活動を再開しようと思ったのに、なんの手掛かりもつかめなかった。休養しているあいだも撮りたくて撮りたくてたまらなかった写真家は結局、景色の切り取りも崩落も知ったことか、と仕事に戻ったのだ。

 ついには地球の半分を虚無に沈めてしまったけれど、後悔はなかった。

 そもそも写真家は、写真を撮ること以外への執着心が薄かった。自分がやりたいことと世界、天秤にかけてみたときに、あっさりと撮影を選んでしまったのだ。

 今までどおり、目に映る景色に惹かれるままに写真を撮影し、世界を切り取り続けた。世界は崩落し続けた。

「世界、もういくらももたない気がする。ほっといても崩れていきそう。体感、あと一枚かそこら撮ったら、一気に黒になる。積み木ゲームの終盤みたいな感じ」

 写真家が他人事のように言い、台所でアイスティーを作っていた恋人は、くすっと笑った。

「いろんな組織が犯人を捕まえる気で、日本を中心に、残ってる有名な景勝地に人を配備してるみたいだね。撮影禁止になったところも増えてるみたいだし」

「困ったなあ。今年の夏も撮っておきたい場所があったんだけど……」

 ソファに身を沈めて、写真家はこれまでに撮った写真のデータを見返している。写真家は、虚無の発生以降の作品公開を停止している。たんに世界を切り取っている犯人が自分であるとわかってしまうこと自体よりも、それによって撮影を止められてしまうことのほうが耐えがたかったからだ。

 いま、カメラに残されているデータは、写真家以外誰も目にしたことのない作品であり、この先誰も目にすることのできない景色でもある。

 用意したばかりのアイスティーをテーブルに置いて、恋人が写真家の隣に腰かけた。写真家の肩に頬をつけるようにして、その手元をのぞきこむ。

「このデータは、未公開作品ばっかり?」

「そう。未公開で、なおかつ、もうどこにもない景色たち」

「本当の意味で二人じめだね。なんて贅沢」

 そうなんだよ、と言いながら、一緒にデータを眺め続けた。しばらく無言だった恋人が、苦笑まじりに口を開いた。

「あなたの写真、見事に人が写ってないね。いないときを狙ってるの?」

「いるときもあれば、いないときもあるよ。いても、とにかく人が入りこまないように。そこは、こだわり」

「人嫌いねえ」

 それには肯定も否定もせず、写真家はカメラをテーブルに置いた。

「きれいな景色に写りこむ人間って、ノイズみたいなものだと思わない? 景色は景色だけでいい」

「ノイズね。わかる気がする。料理にうっかり混ざっちゃった卵の殻のかけらみたいな」

「そうそう、それそれ」

 自分と近い価値観を有する恋人と出会うまで、写真家の視界に、人は必要なかった。自分の目に映る景色の中にあって、ノイズのように感じなかった人間は恋人が最初で、そして最後になるのだと思う。


「……止めないの?」

「んー?」

「世界切り取るの、もうやめろって言われるかと思ったけど」

 恋人が横目に写真家の顔を見た。

「……止めてほしいの?」

「それが自分でも微妙なところなんだけど。でも、きみがやめろって言ったらやめる気がする」

 写真家がそう言うと、恋人は鼻で笑った。

「絶対やめないやつだよ、それ」

「やめないかなあ」

「お酒やめない人と同じような調子で言われてもね」

「ああ確かに……」

 少しの間をあけて、恋人は言葉を続けた。

「切り取っちゃえばいいじゃん、全部。わたし止めないよ、やるのがあなたなら、地球までなくなったって別にいい。わたしの知らない誰かに世界ごと終わらされるっていうなら、嫌だなあって思うけど」

 そのあたりで、一通り写真を見終えて満足した恋人が、アイスティーをずずっと一気飲みし、話題を変えた。

「……アイスティー飲むより、アイスが食べたい。かき氷系のやつ」

「食べたらいいじゃん」

「ない。昨日、全部食べちゃった」

 舌を出す恋人に微笑んで、写真家はソファから立ち上がった。

「じゃあ、コンビニまで買いに行かない?」

「やだ、まだ暑いし」

「奢るから」

 じゃあ行く、と答えて、恋人も飛び跳ねるように立ち上がった。

 マンションの階段を下り、コンビニへのわずかな距離を歩きながら、二人はとりとめなく会話した。

「ほんとうは氷系より、バニラとかチョコとか、乳成分入ってる系のほうが好き」

「でも氷系が食べたいんだ?」

「暑いから。夏はさっぱりしたやつじゃないと、たまに食べ終わってから気持ち悪くなるんだ。もう少し涼しくなったら、好きなほうばっかり食べる」

「じゃあ、氷系食べるのもそろそろ最後くらい?」

「そうかも」

 コンビニに到着すると、当初の希望どおり、恋人はシンプルな棒付きの、ラムネ味の氷菓を選んだ。写真家のほうはアイスの気分ではなかったから、小さなチョコレートを選んで氷菓と一緒に購入し、ポケットに入れた。


 コンビニを出たところで、まっすぐ帰るつもりだった写真家をよそに、恋人はすたすたと近くの街路樹の陰に移動し、その場で氷菓の袋を破った。

「今食べちゃうの?」

「今食べたいの」

 あっちー、と呟いたのを最後に、恋人がアイスをかじりはじめた。


 その話し声がなくなってしまうと、急に周囲の音が戻ってきたような感じがした。さっきまで気にも留めていなかった蜩の声が、木々のざわめきが鼓膜に満ちた。

 太陽光線はまだ強い。街路樹の木洩れ日が、恋人の顔に光と影をまだらに投げかけている。いく筋か汗のつたう頬がうごめき、開いた口元から白い歯がのぞいて、宝石のように青い氷菓をがりっとかみくだいていく。

 無心に氷菓を食べる恋人の横顔に、写真家は数秒、くぎ付けになっていた。


 どこにでもあるような町中など、どの国のどの組織の人間も警戒していなかった。

 写真家自身、愛用のカメラは恋人の部屋に置いてきていた。

 目の前の景色を残したい、と衝動的に感じたときに、手元にあるのが携帯電話のカメラだけであることに気付いて、それを構えたのは無意識によるものだった。

 自分がアイスを食べているあいだに携帯電話を取りだした写真家に、恋人も違和感をおぼえなかった。

 写真家は、誰に制止されることなく、その景色に向かってシャッターボタンをタップした。人を写した作品としては、写真家にとって最初の一枚だった。

 それが最後だった。

 

 一枚分の切り取りに、ついに日本列島が呑みこまれ、連鎖して北半球の残った部分が崩落し、宇宙に球形の虚無がひとつ、生まれた。

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