2話 妖精パックとアバター作成
――――00:00:00。
サービスの開始時間を告げるカウントダウンが0になった瞬間、俺はAWOにログインした。
△▼△▼△▼△
気付いたら、書庫のような場所にいた。ぐるりと本棚に囲まれた部屋の中央に、丸テーブルと椅子が置かれている。
辺りを見渡していると、ポンッ、と軽く弾けるような音がして、20センチほどの可愛らしい妖精が現れた。現れた妖精は、俺を見付けてニッと笑う。
「こんにちはっ、お兄さん! オイラは妖精のパック! チュートリアルが終了するまでの短い間だけど、お兄さんのサポートナビだよ! サーバーの負担を減らすために、今回のアバター作成は2時間って決まってるから、注意してね!」
淡い緑色の髪をした妖精―――…パックは、元気いっぱいな子供のような笑顔で、パタパタを羽を動かしながら近寄ってきた。
アバター作成に時間制限が掛かることは事前に公表されていたから、特に驚きはない。
「じゃあ、まずは名前からだね! 何にする? 決めてないなら、オイラがオススメの名前を提示するよ!」
想像以上にグイグイ来るパックに、俺は少し戸惑ってしまう。
今まで色んなVRゲームをプレイしてきたけど、アバター作成でこんなにフレンドリーなサポートナビはいなかった。
アバター作成からチュートリアルまでのサポートナビは、大抵が淡々とした口調で、事務的な応対しかしない。アバター作成の邪魔しないためなのだろう。小煩いキャラには今まで一度も出会ったことがなかった。
「え、えーっと……じゃあ、ラエルで」
「…あぁ〜、ザーンネ〜ン。その名前はもう使われちゃってるね」
「そっか…」
ま、仕方ないよな。名前は早い者勝ちだ。3万人が一斉にゲームを開始していたら、名前が被ってもおかしくない。
「じゃあライルは?」
「んー……あ、アウトー!」
に、二連敗……。
…まぁ、ラエルが通らなかった時点で、ライルが通るとは思ってなかったけど。
「お兄さん、運ないねぇ〜。…んー、名前の前や後ろに記号とか数字を入れれば、ラエルもライルも通るよ? オイラのオススメはぁ〜、名前の後ろに『♡』マークかなぁ〜?」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ、この妖精は。
「『ラエル♡』とか『ライル♡』とか、頭上に名前は浮かばないし、メッセージウィンドウも出ないから、ログを確認しなきゃ面し……イタ、………奇抜さは伝わらないけど、チャットや公式の掲示板ではそのまま表示されるから、きっと注目の的だよ!」
「ちょっと待て。今、面白みって言い掛けたよな? しかもその後、言い換えようとしてイタさって言おうとしただろ! あと、わざわざそれっぽく名前を言うな!」
何なんだ、このサポートナビ! 完全に俺で遊んでるだろ!
「言ってない言ってない。それにオイラ、思ってないことは口にしない主義だもーん!」
「つまり、思ったから口にしたんだな?!」
「…もぉ〜、妖精の揚げ足取るなんてヒドい! ちょっとした言葉の綾じゃん、綾! 邪推しないでほしーなぁ〜…」
わざとらしく唇を尖らせたパックは、プイッと拗ねたように顔を逸らした。
………あ。そういえばパックって、『真夏の夜の夢』に出てくるイタズラ妖精の名前じゃないか!
シェークスピアの有名な喜劇。『真夏の夜の夢』。
そのあらすじを思い出して、俺は思わず顔を顰めた。
人をおちょくって愉しんで、今もチラチラと俺の反応を確認している様は、まさに『真夏の夜の夢』に出てくる妖精パックそのものだ。
「ああーっ! 大変大変! お兄さんがモタモタしてるから、もう二千人も《第一エリア》に降り立っちゃったよ! 早く名前決めないと、スタートダッシュに出遅れちゃうんじゃない?」
「えっ?!」
――――二千人!? もうっ?!
確かにパックと言い合っていたから、少しはタイムロスしたと思うけど、それにしても早すぎないか?!
パックの突然の大声と齎された情報に、俺のムカつきはあっさりと吹き飛んでしまった。
「ほらほらぁ〜。早く決めちゃいなよぉー!」
パタパタと俺の周りを飛び回り、パックが急かしてくる。
「う、うぅ〜ん……」
二千人もチュートリアルを終えてる状況じゃ、他の候補も既に使用されてる可能性が高い。パックの言う通り、ラエルかライルの前か後ろに、言葉を足すか……?
――――よし。あまり時間を掛けたくないし、ここは定番中の定番でいくか。
名字と名前の頭文字を使って、……カア…より、カァの方がいいか? …いや、ここは……
「…カーラエルで」
「カーラエル、ね。うん! とっても素敵な名前だね!」
パックはニッコリと笑って、満足そうに頷いた。
重複してる、とは言ってこない。どうやら通ったようだ。
「じゃあ名前も決まったことだし、次は種族だね。お兄さん、ボーナスポイントをたくさん持ってるみたいだから、デフォルトの人族じゃなくて、もっといい種族にしなよ!」
「どんな種族があるんだ?」
元々種族は変更するつもりだったから、俺に拒否する理由はない。
情報では、ボーナスポイントを20ポイント消費することで、エルフやドワーフ、獣人、ハーフリングに変更できるらしい。
「んーと、10ポイントでハーフエルフとハーフドワーフ。20ポイントでエルフとダークエルフ、ドワーフ、ハーフリング、獣人の5種族だね。獣人を選んだ場合、ネコ、イヌ、ウサギ、キツネ、アライグマの5種類の中から選べるよ」
「へぇ…」
正規版になったことで、新たに3つの種族が追加されたようだ。
ハーフエルフとハーフドワーフ、ダークエルフはβテスターたちの情報にはなかった。
「じゃあ、エルフで」
これは最初から決めていたことだ。
パートナーと一緒に戦うなら、支援しやすいように魔法適性が高い種族を選ぶつもりでいた。
「エルフにするの? だったら、あと30ポイント使って、ハイエルフにしなよ! ハイエルフは、知力と器用さと素早さと運の初期値が高くて、レベルアップの時に、知力と器用さと素早さにボーナスが付くんだ! オイラの一推しだよ!」
「は? ハイエルフ?」
更に新しい種族が追加されてたようだ。
でも、何で急に……?
「そう! エルフを選んだ人にだけ紹介できる種族なんだぁー」
条件を満たすことで選べるようになる種族なのか!
まさかアバター作成から隠し要素があるなんて、思ってもみなかった。
それにしても、更に30ポイントかぁ…。
種族選びで初期ポイントが全部消える……。まぁ、パートナーを追加しても100ポイント残るし、いいか。
「…せっかくだし、ハイエルフにするよ」
「うんうんっ! その方が絶対いいよ! それじゃあ、お兄さんの種族はハイエルフにけって〜い!」
パチパチパチパチ、とパックが拍手をしていると、目の前にモデルドールが現れた。
「じゃあ種族を元にアバター作成に入るけど、一から作り上げる? それとも、お兄さんのデータからモデリングする? モデリングするなら、オイラ、チョー気合い入れてカッコよく作ってあげるよ!」
「………ハイエルフのデフォルトアバターを見せてくれ」
パックにアバター作成を任せるのは不安しかない。本人は格好よく作るとか言ってるけど、正直信じられない。
「りょーか〜い!」
パチンッ、とパックが指を鳴らすと、モデルドールの容姿が変わった。
腰の辺りまである長い金髪に、形のいい柳眉、アメジストのような紫色の瞳は神秘的で、長い睫毛に覆われた目元はとても優しげだ。スッと通った鼻筋は高く、品のいい口元は緩く弧を描いている。フェイスラインまでシャープで、物凄く優美な顔立ちだ。
肌が新雪ように白いのは、長い耳と同じようにハイエルフの特徴なんだろう。身長は俺と同じくらいだが、その体付きは男とは思えないほど華奢だった。俺も細い方だが、それ以上に細く――ガリガリって意味じゃなく――て、女性的な丸みを帯びているような気がする。
顔は中性的だから、体が華奢でも女には見えない、………はず。多分。きっと。
――――うん。無理。これはフォローのしようがない。
だってどう見たって女の子だ!
顔が中性的だから女の子に見えないんじゃなくて、顔が中性的だからこそ、より女の子に見えるんだよ!
分かってんだよっ、そんなことは!! 優美な顔立ちってフォローしたけど、優美というより優艶だよ!
「これが男ハイエルフのデフォルトアバターだよ!」
「いや、これどう見ても女の子だろっ!」
「え? 違うよ。女の子はこう」
パックが再び指を鳴らす。
するとデフォルトアバターの容姿が若干変化した。主に胸が。あと、目が大きくなって、より優艶さが増した気がする。
「ほら、全然違うでしょ?」
「…お前は一度、辞書で『全然』って言葉の意味を調べてみろ」
「えー、いったい何が不満なんだよ? オイラはお兄さんの注文通り、デフォルトアバターを見せただけじゃん!」
ムッと顔を顰めたパックは、パチンッ、ともう一度指を鳴らして、ハイエルフのデフォルトアバターを男に戻した。アバターの変化は、やっぱり胸と目の大きさだけだ。
「デフォルトが嫌なら、一から作り上げるか、オイラがモデリングするかのどっちかだよ? さっきも言ったけど、モデリングするなら、オイラ、チョー気合い入れてカッコよく作り上げるよ?」
「……………」
パックの言う『カッコいい』がどうしても信じられない。
普通にしてくれって言っても、デフォルト以上に可愛いアバターとか作り上げそうで嫌だ。かと言って一から作り上げるとなると、時間切れになる恐れがある。
「…デフォルトって弄れるのか?」
「うん、勿論弄れるよ。でも、あまりオススメはしないなぁー。顔と体のバランスが崩れちゃうからね」
「そ、そうだよな…」
下手に手を出してバランスが崩れたら最悪だ。でも、バランスの維持にだけ集中して少しずつ弄れば……いけるか?
「………………」
俺はバランスが崩れないように細心の注意を払いながら、少しずつ体を弄っていった。…本当は顔のパーツも弄りたかったが、そこはやめておいた。パーツも配置も奇跡のように美しい状態なのに、俺程度の美的センスで立ち向かえるわけがない。もし手を出して、パーツ選びや配置に失敗したら、目も当てられない。それに顔まで弄るなら、一から作り直したくなる。……時間切れが怖いからやらないけど。
出来上がったアバターは、細くて男らしいとは言えないが、全体的に引き締まった体付きになり、丸みがなくなったことで女っぽさは感じられなくなった。顔には一切手を付けていないから、中性的で優美な顔立ちのままだ。
――――性別不明。
まさにそんな感じの仕上がりになった。…ま、元データと比べれば上出来だろう。
「ねぇねぇ、お兄さん。面白いこと教えてあげる」
「面白いこと?」
完成したアバターに満足していると、今まで大人しくしていたパックがにんまりと笑って近寄ってきた。
「耳の長さとかもね、変えられるんだよ」
「ハイエルフなのに?!」
「うん。面白いでしょ」
面白いっていうか……いいのか、それ。
エルフにしろハイエルフにしろ、長い耳が特徴だ。その耳が弄れるって、おかしくないか?
「だから、こんなこともできるんだよ」
パチンッ、とパックが指を鳴らすと、アバターの耳が人間と同じものに変わってしまった。
「………性別だけじゃなく、種族まで不明になったな」
いや、普通に人族だと思われるだけか。
「種族にこだわりがあるわけじゃないし、耳は……まぁ、そのままでもいいか。あとは髪を短くして…」
「えっ!? 髪短くしちゃうの?! そのままの方がいいよっ」
「…その心は?」
「より性別不明感があって、お兄さんを女性と間違えるプレイヤーが続出して面白そうっ!」
――――だと思ったよ!
想像通りの答えに、俺はパックの額を軽く弾いた。
「イタ! …こんなに可愛い妖精に暴力振るうなんてヒドいよ!」
「あまりにも想像通りの答えだったから、つい手が出た。スマン」
まったく悪いとは思ってないが、一応謝っておく。誠意の欠片もない、本当に口だけの謝罪だが。
「ムゥ〜。誠意が感じられないけど、オイラはとーっても心が広いから、お兄さんのこと許してあげる! ―――さぁ、次はクラス決めだよ!」
痛がっていたのも、怒っていたのも、完全にただのポーズだったのか、謝った途端、パックは態度を翻し、にこやかに手を叩いた。
――――パッ、と目の前に数十種類ものクラスが表示される。
「この中から好きなクラスを選んでね! クラスは特定のアイテムを使用すれば、いつでもクラスチェンジできるから、そこまで悩む必要はないけど」
「うーん……」
悩む必要はないと言われても、クラスチェンジするためのアイテムが、すぐに手に入るとは限らない。とりあえず、魔法職の中から探してみるか。
…………あ、あった! 付与魔術師。
「これにする」
「…おぉっ、お兄さんいいチョイスするね! 上位種特権で、選んだクラスが無料で上位互換されるよ!」
「上位互換? 何になるんだ?」
「付与魔法師だよ! 付与魔術師より強力な付与魔法が覚えられるんだ。クラスを上位互換するには15ポイント掛かるんだけど、種族選びで50ポイントも使ったでしょ? だから特別に無料なんだよ!」
なるほど。これも隠し要素の一つなのか。…いや、隠しっていうより救済か? 種族選びで50ポイントも消費したから、その補填みたいな?
ま、どっちにしろ俺には得でしかないな。
「次はパートナー選びだね! どんなパートナーがいい?」
「いや、系統もタイプも決めないつもりだ」
「え? それだと完全にランダムになるよ? 変なのが当たっちゃうかもしれないけど、それでもいいの?」
「ああ。俺のパートナーになってくれる相手の範囲を狭めたくないんだ」
これはAWOの情報を集め出した頃から決めていたことだ。
系統は、獣系と鳥類系と爬虫類系の3種類がある。俺はヘビもトカゲも平気だし、苦手な動物も鳥もいないから、何が来てもまったく問題ない。だから完全なランダムで、俺のパートナーを決めたいと思ったんだ。
「ふぅ〜ん」
「…何だよ?」
「べっつにぃ〜」
突然ニマニマしだしたパックに訝しげな視線を向ければ、わざと戯けるような態度で、その小さな頭を横に振った。
「パートナーの追加はどうする?」
「勿論、するに決まってるだろ」
「りょーかい! この子も完全ランダム?」
「当然」
「だよね!」
パックは俺の返事に満足げにニッコリと笑った。何故かとても上機嫌だ。
「じゃあ、残りのボーナスポイントをステータスに振り分けて。それが終われば、あとはアバターとリンクして、簡単なチュートリアルをこなしたら終了だよ!」
「ああ」
目の前に【ボーナスポイントを振り分けてください。】というメッセージウィンドウが現れ、ステータス画面が開かれた。
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筋力:5
体力:7
知力:16
器用さ:12
素早さ:14
運:13
ボーナスポイント:100
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とりあえず、筋力には1ポイントも振り分けないでおこう。クラスがクラスだし、物理攻撃は捨てておく。
体力は、防御力とHPの上昇に影響するらしいから、23ポイント振り分ける。
知力は、魔法の威力とMPの上昇に影響するらしいけど、パックの説明でレベルアップ時にボーナスが付くようだから、ここは15ポイントでいいか。
器用さは、命中率や生産系のスキルに影響を与えるらしい。物理攻撃は基本的にしないだろうし、今のところ、生産系のスキルを取る予定もないんだよなぁ…。それでもまぁ、12ポイントは振り分けておくか。
素早さは、回避率の他に移動スピードにも関係してくるんだよな。一応素早さも知力や器用さと同じように、レベルアップ時にボーナスが付くらしいから、13ポイントにしておこう。
あとの残りは、全部運に。レアドロップ率の上昇や回避成功率が上昇するようだから、上げておいて損はない。
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筋力:5
体力:30
知力:31
器用さ:24
素早さ:27
運:50
ボーナスポイント:0
==================
……これでよし。
ボーナスポイントをすべて振り分けて、決定ボタンを押す。これであとは、アバターのリンクとチュートリアルだけだ。
「ボーナスポイントの振り分け、終わった?」
「ああ」
「なら、これでアバター作成はすべて終了だね! それじゃあ、お兄さんのデータとアバターをリンクさせるよ」
ふ、と目の前にノイズのような乱れが走る。
アバターとリンクする時に走るこのノイズは、バグでも何でもなく、わざと生じさせているものだ。
アバターは、プレイヤーの望むままに作ることができる。だから自分の理想を形にする人は多い。
例えば、体型を変えてみたり、身長を高くしてみたり、選んだ種族の身体的な特徴で、身長が低くなってしまったり。
そういったプレイヤーがアバターとリンクすると、突然肉体が変化したことに脳が混乱し、脳波が乱れる原因になる。
ノイズはそれを防ぐためのもので、問題がないことを脳に認識させているんだ。
何度か目を瞬かせた後、俺はゆっくりと手を目の前に持っていった。
――――白魚のような手だ。
何とも言えない気分になるが、プレイしていくうちに気にならなくなるだろう。
はぁ、と溜め息を吐いた拍子に、サラリ、と綺麗な金色の髪が視界に入った。……ん? 視界に入った?
「……ああっ! 髪!!」
短くするの忘れてた!
「へっへぇ〜ん! 残念でしたー! もうリンクしちゃったから、変更できないよ!」
慌てる俺を見て、パックはきゃらきゃらと笑う。
――――くっ、やられた…!
あのポーズも、謝った途端に態度を翻したのも、俺の意識を髪から逸らすためだったのか!
「これで何人のプレイヤーがお兄さんをナンパするか、今から楽しみだねぇ〜?」
「全然楽しみじゃない!」
クソッ! リンクが済んだ後じゃ、もうアバターを弄れない。
せめてリンク前に気付けていれば……。
「それじゃ、お兄さん。チュートリアルを始めよっか!」
喜色満面な様子のパックを恨めしく思いながら、俺はチュートリアルに臨んだのだった。