3話 「蚊も必死に生きてるのですが!」
鶴の恩返し、という昔話は小さいころ誰もが聴かされて、自然と記憶の奥底で覚えているだろう。
罠にかかった鶴をおじいさんが助けて、後日、女性がおじいさんの家に来ては高値で売れるような高級織物を織って恩返しする。けどその正体は、助けた鶴だったっていうやつ。
まぁ人であれ動物であれ、困っている誰かを助けることは大事だと刷り込み的に教わった。かくいう私も、いつの間にか誰かを助けたようで、いま鶴の恩返し状態になっている。まぁそれはそれでいい話。
……の、はずが。
「良野さん! これですよこれ! 私"アカイエカ"っていう種族名みたいなんですね! 初めて知りました!」
蚊と名乗る女の子が同居し始めました。
いまだに信じられないことだが、本当に私の血を吸っていた蚊だという。何を言っているのかわからないと思うが、それはこっちも同じ気持ちだ。とどのつまり、蚊が美少女に擬人化したのである。
猫とか鳥ならまだ萌えたよ。
なんで蚊なの! なんで衛生害虫なんだよ! イメージアップキャンペーンにもほどがあんだろ!
これ人為的な手が加わっている以外なにがあるってんだ……と信じたい。むしろただの痛い人であってほしい。桃髪だし。100%偏見だけど。
「……へぇ。そなの」
へーそうなんだね! と、とても返せない。マジでこれマジなら軽くシャレにならない。
パソコンでネット検索し、自分の前世の姿を私の前に画像検索で見せつける。うっわ、見ているだけで刺された部分がかゆくなったよ。ていうかこの腕の虫刺され、おまえが刺したやつか。
モモカが調べている間、スマホのネットで同じように調べていた私は、恐る恐る質問を投げる。
「あのさ……念のため聞いておくけど、どこ出身?」
「え、ナンパですか? やだもー良野さん、私たちもう血を通わせた配偶者じゃないですか」
急に馴れ馴れしくなったぞ。なに照れとんねん。
「血を吸わせただけでしょうが。で、ここの近くで生まれ育った? あと水鳥や豚の血は吸ったことは?」
んー、と長くきれいな指を柔らかそうな血色の良い唇にぷに、と当てて思い出そうとしている。私が同じことやってもこんな絵のような構図にはならない。
「生まれはここの近くですね。豚の血は吸ったことないですけど、それがどうかしました?」
「伝染病的に懸念してただけ。フィラリアとかマラリアとか媒介してたらシャレにならないからね。一番可能性あるのは脳炎だったけど」
あるいは新手の病原菌か。人間になる蚊に血を吸われたとなると何に感染していてもおかしくない。そもそも蚊なのかこいつ。
「へぇーそうなんですか! 詳しいんですね良野さんって」
「急に怖くなって調べただけ」
「でも、海外の方って恐ろしいんですね」
「誤解を生むような発言は控えてホントに……ハマダラカやネッタイシマっていう種じゃなければいいよ」
「さっきアカイエカって言ったじゃないですか」
「そっくりってだけで違ったら怖いでしょ」
「大丈夫ですよ! そんな怖い病気にかかっても私が責任をもって血を吸ってあげますので」
「いや余計感染するからやめて!」
末恐ろしいことをさらっと言うもんだ。しかも乗り気なのがまた。身の程を知ってくれ。
「てかさ、蚊自体はなんかに感染したりはしないの?」
「んー、他の皆さんはどうなのかわかりませんけど、私は子どもの頃に一度風邪を引いたことがありまして」
「ボウフラの時期ね」
半ばあきれながら、けど好奇心で耳を傾けている。感染媒介者でも風邪ひくのか。電気ケトルからカチッと音がしたので、クッションに根付いた重い腰をゆっくり上げ、2,3メートル先の台所に向かう。
「はい。なんか、水にずっと入ってますと体冷えちゃって」
「蚊向いてないよね、それ」
思わず振り返ってしまったわ。
「そ、そんなぁ! 必死に10日間耐えてきたんですよ!? 溺れそうになりながら食べ物を探したのも本当に大変だったんですから!」
いや知らんよ。
「絶対蚊じゃなかったでしょ。というかボウフラにはエラがあるって中学校の理科の先生言ってた気がしたけど。ココア飲める?」
色も形も質素すぎて逆におしゃれなマグカップにココアパウダーを入れ、お湯を注ぐ。
「あ、飲めます」と即答。飲めるんだ。絶対前に飲んだことあるだろ。
「エラはありましたけど、呼吸するためじゃないですそれ。人間でいう水分調整みたいなことするところだとお兄ちゃんに教わりました」
「いやお兄ちゃんて」
200匹兄妹か。虫にそんな認識があったとは。
「私より一日早く生まれていたみたいです。競争が激しい中、まともな微生物が狩れず、残骸しか食べられなかった私にいろいろなことを教えてくれました」
「一日の差でどんだけ博識になってんのあんたの兄貴は」
「無事にお兄ちゃんも大人になって旅立ちましたが、またいつか会えたらいいなって……あっはは、おかしいですよね。なにいってんだろ私」
うん、本当に何言ってんの。
とはいえないよなぁ。こんなしんみりしつつも笑顔でごまかす感じを醸し出されたらちょっとツッコんだこと言えないよなぁ。
「そんなことないんじゃない? モモカの兄貴、しっかりしてそうだし。いまでもちゃんと生きてるでしょ。ほい」
トレーを卓上テーブルの上に置く。熱いココアが入ったマグカップふたつとスナックボウル開けをしたポテチ。
「ありがとうございます」と控えめな一言。それはどっちの意味で言ったのかわからないけど、とりあえず一歩間違えれば混乱する頭を整理するためにココアを一口つけた。クソ熱っ、舌やけどした。
「でも、やっぱり会えないと寂しくなっちゃいます。最初はみんないっしょだったのに、みんなそれぞれ、別々の道に行っちゃって。気付いたらひとりになってて。みんな生きてるか死んでいるかもわからない中、たった一人だけでなんとかして生きていかなくちゃいけないのが、たまらなく怖かったんですよね」
両手に持ったマグカップが微かに震えている。それに戸惑いそうになった私は再び熱いココアに口をつけた。
そうだった。蚊とはいえ、思えばずっと一人ぼっちで右も左もわからない中、生まれ育ったところから過酷な世界に飛び出てきたんだよな。生き残るために命かけて血を吸いに行ってるんだと思うと、なんともいえない複雑な気持ちにもなる。
かくいう私も、行きたい大学行くために実家から飛び出して、今こうして独り暮らしをしている。新しい環境ってだけに、そりゃ不安はあった。人間関係も一からやり直し。失敗したときの孤独感は計り知れないし、怖い。
「そっか」
安直な返事だとは思う。でも、その言葉に妙な親近感を抱いたのは確かだった。あっちは命がかかってるから比較しようがないけど、私も将来という名の命ががかかっている。
「いまは、こわくないの?」
そう訊くと、またいつものようにモモカは眩しい笑顔を見せた。
「これからを思うと、不安はあります。でも良野さんのおかげで、いまはとってもしあわせです!」
恥ずかしいことを惜しげなくまっすぐいってくるな。思わず目をそらしてしまう。
「それなら、まぁ……うん、よかったね」
クソ、追い出しにくくなったじゃないか。
はぁ、と熱い吐息はココアの香りがする。それに続いて、彼女もココアをゆっくりと飲んだ。
「あの……良野さん」
「ん、なに?」
何かをためらった後に、勇気を振り絞って、しかし申し訳なさそうにモモカが呼びかける。ココアで気持ちが落ち着いたのもあるだろうが、先ほどのこともある。私はやさしい声でそう応えた。
「ココアにポテトチップスはちょっと合わないかなと」
「おまえ絶対蚊じゃねぇだろ」
次話、明日投稿予定