2話 「ここに住まわせてほしいのですが!」
「……え、いや。待って」
驚きを隠せない。なにしろ、
「良野さんのお宅ですよね? 私、良野さんにお礼がしたくて――」
「ウチ、宗教は仏教で間に合ってますので」
玄関扉を閉める。
「わーっ、待ってください! 閉めないでください! なんでもしますから話を聞いてくださいぃぃっ!」
いや自分を蚊だと主張する人だぞ。やばい以外どう例える。
しかし閉まる玄関を足で妨げればいいものを、外側のドアノブで必死に引っ張ろうと踏ん張っている。その声も涙ぐんでるような震えすら感じる。
「私でも何言ってるかわかんないんですけど本当に元々蚊だったんですぅぅう! 絶対怪しい人じゃないんですぅぅう!」
いや怪しい意外何者でもないよ貴女。つっこみきれない位に。
でも……なんだかかわいそうな気がしてきたし、なんでもするって言ってたし。少し良心が傷んできたし。
「……ほんとうに話を聞くだけですからね?」
おそるおそると戸を開ける。
「っ、ありがとうございます!」
覗き出たのはぱぁっと輝く満面の笑み。くそぅ、眩しすぎて直視できない。
「掃除とかしてないけど、まぁ上がって」
「おじゃまします!」
あぁ、入れちゃった。でもまだなんとかなる。壺を勧めだしたりお金が絡んだりと怪しい話もちだしてきたらすぐにお引き取りいただこう。
とりあえず、家に入らせてお茶をもてなしたはいいけど……。
「それで……以前どこかでお会いしましたか?」
「絶対信じてないですよね!」とショックを受けた様子。おもしろいくらい反応がいい。
「何度も言ってごめんなさいですけど、このあいだ、夜にあなたの右腕の血を吸わせていただいた蚊ですよ。はたき殺されるのが蚊の常ですのに、あなたは最後まで吸わせてくださった上に外にまで逃がしてくれたのです。覚えてますか?」
「……いや、だから嘘でしょ。そもそもなんで虫が人間になってんの」
「人の世でも言うじゃないですか。強く願えば叶うって!」
「限度がある」
両手をぐっとガッツポーズし、ふんすと誇っている。まぁ、本当にそうだとしたら、自慢げにいうレベルをはるかに通り越しているが、結局はただの痛い人だ。
でも本当にそんな気がしてきた。ほんのすこしだけ。それもそのはず、蚊を逃がしたときのことを知っているから、妙に説得力があると感じてしまった。あの時を知っているのはおそらくその蚊本人(本虫?)か、ストーカーのどっちかだ。だとしたらストーカーだろうなぁ。
「それで、ウチにきたのはどんな目的だったんだっけ?」
卓上テーブルを挟んで、私と美少女は対面になって座る。緑茶くらいは出した。そのテーブルを乗り越えんばかりに私に迫ってきたから思わず仰け反ってしまう。危うくその巨乳に顔面ヒットして嫉妬レベルが爆上がりするところだった。
「お礼をしにきたんです! 血を吸ったお相手が貴方様でなければ、私どころか、子供たちも産めなかったんですから!」
一瞬固まった私の顔を窺ったようで、「あ、血を吸うのって子どもを産むためなんですよ。ですので血を吸うのってぜんぶ女の子なんです!」とご丁寧に教えてくれた。普通に知らなかった。けど女の子って……そこはメスでしょう。
「じゃあ……その若さでおかあさんだったの?」
衝撃を隠しきれなかったのは仕方ない、にしてもなんて変なことを聞いてしまったのかは、言ってからではすでに遅い。
「あ、人間目線だとそうなるかもです」と蚊と名乗る見た目女子高生の痛い人がにへらと笑う。過酷な世界もあったもんだ。
「お礼ってさ、具体的になにをするつもりなの?」
「え、えっとですね。……えーと」
「考えてなかったんかい」
「な、なにかお役に立てればと思って……その一心で」
衛生害虫が役に立ちたいという時代か。
「とにかく、良野さんにこの身すべてをささげたい一心なんです!」
顔に迫りくるきめ細かい肌と美顔と私よりはるかに大きい胸。くっそぅ、ばいんばいんに揺れやがって。唇もぷるんとしてるし、ふわりといい香りするし、この一瞬で蚊に格差社会を見せつけられるとか何の仕打ちだよ。
でも、そんなスタイル抜群の美女がこれだけ熱意もって迫られたら、断りにくい。女の私でもたじろいでしまう。
「ん、んん……それだけ感謝されたことなかったし、すっごく嬉しいんだけど、一人暮らしだから食費が」
「だいじょうぶです! 良野さんの血をちょっといただくだけで」
「ウチが大丈夫じゃない。とにかく、養えるかわからないの」
「だいじょうぶです! むしろ私が養います!」
数日前まで蚊だった人が? 生まれてこの方二十年の人を?
「お掃除、お料理、お洗濯。生活で困っていることがあればすべてやらせていただきます! もちろんお代も要りません!」
それはいいな。って思っちゃダメだろ私。なに軽く揺らいでいるんだよ。
「そういう問題じゃないんだけどね」
「えっと、でしたら、その……」
微かだった頬の朱色が色濃くなったぞ。耳も赤くなってる気がしたけど――おいやめろその官能的な表情で恥じらいだすのは。身をよじるように隠し切れえない胸を細い腕で押さえつけて強調するな。もう次何を言い出すのか容易に想像できたわ。
「ま、毎晩のお相手も尽くし――」
「それでもないから。単純に身元がわからない人を住まわせられないの」
「そ、それなら、えっと、私、百夏といいます! 苗字は考えてなかったですけど、名前はちゃんとあります!」
いや、身元証明が名前だけでまかり通るわけがないでしょ。けど必死さも手伝ってか、本気で個人情報がなにかも知らなさそうな気がしてきた。
「……やっぱり、ダメ、ですか……?」
おいおいちょっと? ここで涙出そうとしないでよ? 罪悪感で死にそうになるから。
俯き、反省したかのような沈んだ表情。「これからどうしよう」という気持ちが(私の偏見で)見えなくもないが、なにもしてやれない悲しさもそこはかとなく感じ取れてしまう。これだから感受性が高いのはつらいんだ。
蚊なのかはともかく、帰る宛もないなら、ここで突き返したとしても寝心地が悪い。
結局、私から勝手に折れることになるんだよなぁ。
「はぁ……わかった。しばらくウチで泊まっていいから」
「っ、ありがとうございます!」
蚊のくせに花のように満開の笑みを咲かせやがる。この一瞬をカメラで撮っても眩しくて真っ白になるんじゃないかってぐらいの輝いた笑顔だ。
「ふ、ふつつかものですけど、良野さんの善き伴侶になれるよう、精一杯努力――」
「ウチ、女なんだけど」
先ほどから懸念していたことを告げる。おいどうした、空気が凍ったぞ。
「……………………ええっ!!?」
「その驚きようはさすがに傷つく」
「て、てっきり男性かと……」
「ナチュラルに追い打ちするのやめてくれる?」
やっぱりかー。声色とか髪の長さとか服装的にもそう見えても仕方ないんだけども。仕方ないんだけどもさ。
最近の男子の一部にも女の子っぽい人がいるからね。しょうがないね。しょうがないんだけどさ。
「まぁ……そこは責めないよ。慣れてるから。でも完っ全に男って間違われたことは……」
「ごっ、ごめんなさい! 本っっっ当に申し訳ありません!」
「――君で5回目だよ」
「前例4回もあったんですか!?」
「でも、いいの? 惚れた人間が女だったら生物的にも都合悪いでしょ」
「愛と感謝に性別は関係ありません! 私は良野さん自身のことが好きになったんです!」
マジか。男より先に美少女に惚れられたんですが。
「それもそれで怖いなぁ」と後ろのベッドに後ろ頭を乗せ、天井を仰ぐ。
「そ、そんなぁ」
「とにかく。ウチが一人暮らしでよかったね。モモカ……だっけ? 家事含めて、よろしくね」
「……っ、はい!」
元気な返事だこと。陰湿な一人部屋だったけど、この娘といれば、嫌でも明るくなりそうだ。
映画視ようと思ってたけど、また今度にしよう。
明日、次話投稿予定