7
ブクマや評価ありがとうございます!めちゃくちゃ励みになります…!
いつまでも聞いていたい、そう思わせる声だった。
彼女の声はこの毛玉の魔物すらも魅了して、だからきっと毛玉は彼女を守り、この森の中に閉じ込めて一人占めにしているのだ。
そう思った瞬間に視界が拓ける。
いつもの花畑、落ち着いたのか普段の表情を取り戻し、ゼリーのカップをじっと見詰めるアンズの姿。いつの間に完食したのか心なしか寂しそうにカップを傾けている。
毛玉はと言うと、いつものふかふかの毛並みを漂わせてアンズの隣にぽすりと着地するところだった。
「…今のは、おい!」
危険も省みずに毛玉に再度触れようとするが、鬱陶しそうに振り払われる。
アンズの口が、どうしたの? と動き、ジェイクは自分の髪をくしゃくしゃとかき回した。
「━━…何でもないよ。もう一つ食べるかい」
頷いたアンズにもう一つゼリーを差し出した。
ジェイクの耳にはまだ残響のようにさっきまでの声が残っていた。
「…どうしたんだジェイク、昔の報告書なんか引っ張り出して」
先輩騎士のレックスが呆れたように声をかける。
詰所の中、資料室と言えば聞こえは良いが乱雑にファイルが積み重ねられた狭い一室。
埃くさいその部屋で、資料に埋もれるようにジェイクは歴代の資料を読み漁っていた。
過去にどのような敵が現れ、どのように対処したか。清書もされておらず、ただ年代順に並べられたそれは読み解くのに時間がかかる。
「━━もう交代の時間でしたか? すみません」
「いや、まだ休憩時間だけど。何か音がしたから誰か居るのかと思って見に来ただけ」
がたがたとジェイクの前の椅子を鳴らし、レックスも腰を下ろす。
基本的に平和な街ではあるが、冬眠しなかった熊の被害であるとか、増えすぎた狼の家畜への被害。半年に一度程度の間隔で発見される魔物の目撃談、その真偽と対処法。ここ数十年ないけれど他国からの侵略。それを如何にして押し返したか。
ごちゃごちゃと雑多に並べられたそれを一つずつ確認していく。
「…魔物には、俺の知らない物も多いのだろうなと思いまして。ここにどんな物が出現するのか、調べてみたくなったんです」
ぼそりと呟いたジェイクに、レックスが優等生なことだな、と少し笑いながら茶化すように返す。
先輩から見たこの後輩は、確かに仕事に於いて真面目な性格ではあるけれどもオンとオフを切り替えるような、プライベートはしっかり遊ぶ。そういう人間だと思っていた。
王都の騎士学校での成績も、実技はそれなりに良かったけれど座学はそこそこで、落ちこぼれではないが優秀であるとも言い難い。そういう評価を受けたと聞いていた。本人に確認すると、都会の夜が寝かせてくれませんでした、と真顔で惚けた返事をしていて隊長が頭を抱えたのが今でも思い出せる。単に夜遊びし過ぎて翌日の授業やテストに響かせていたのだろう。田舎から出てきたら遊びたくなる。分からないでもない。
だから、こうして休憩時間まで自主的に予習のような事をしているのは意外であった。以前のジェイクであれば休憩や就業後は詰所からさっさと脱け出し、街に下りていたと思ったのに。
同じく後輩のゴードが、あいつ最近ピクニックにハマってて遊んでくれないんですよね、とにやついていたのを思い出す。
「お前最近森に行ってるんだって? 何か気になる痕跡でもあった?」
「━━いえ、ああ、森によく行くのは確かですけど。どういう魔物が過去に出たのかな、とふと気になりまして」
そういえば最近こいつ女に振られたんだっけ。
傷心でたまたま行ってみた自然散策に心を奪われ、女遊びよりも大自然の素晴らしさに目覚めてしまったのかもしれない。
こうと決めたらこう、って感じなのかな。
報告書を捲り続けるジェイクの旋毛をレックスは可哀想なものを見るように眺める。
「…落ち着いたら今度飲みに行こうな。先輩が良い店知ってるから」
「あ、はい。喜んでご一緒させていただきます」
清楚系尻軽に引っ掛かったそうだから、今度は違うタイプの、裏表のない根っから明るい女の子が働いているとこに連れてってやろう。
顔を上げたジェイクは普段通りに装っていたが、それもまた哀れだとレックスは内心涙を流した。この歳で枯れてしまっては人生余りにも長すぎる、と紹介する予定の店を頭の中でピックアップする。
初対面から経験人数を語ってくるような、男受けをあまり考えていない頭空っぽそうなよく笑う女の子。単純にレックスの好みがそれであった。
(…ざっと見ただけだが、毛玉のような魔物はやはり見付かっていないな)
帰り道、月明かりの下。
街灯も消えて静かな街を、柔らかな影を伸ばしながらジェイクは歩く。
到底一日で読みきれるような量ではなかったので数日かかったが、ほぼ全てに目を通せたと思う。
鹿の魔物。転化したものと思われる。兎の魔物。転化したものと思われる。蛇の魔物。転化したものと思われる。鼠の魔物。転化したものと思われる━━…
巨大化したり俊敏さや狂暴性を増してこそいるものの、全ておおよその原型を残しており、あの毛玉のように元が何なのか分からない物は未だ報告されていなかった。
また、転化した際に牙や爪に毒性を得るという報告例は幾度かされていたが、あの毛玉のように他者に幻覚のような━━本来その場に存在し得ないものを見せるという報告は皆無だった。
あの花畑のような清浄な空間に、特定の人間の声だけを響かせる魔物。
また、何を摂取しているのかが検討もつかない魔物。
思えば毛玉には、アンズのついでとは言え何を与えても見向きもせず、ただアンズの周りをふわふわと漂っているだけだった。
アンズもなついているようで片時も離れる事はないのに、何か食べ物を毛玉に与える気配もない。
あれはもしかしたら、人間が手にした物を警戒して食べないのではなく、全く違うものを栄養源としているのではないか、とふとジェイクは考えた。