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その日のジェイクは、昼食だけでなく靴も一足紙袋に忍ばせて持ってきていた。

アンズはどうも普段から裸足で過ごしているようで、靴の類いを持ち合わせていないのでは、と思ったからだ。

サイズも好みも分からなかったジェイクは、靴と言うよりサンダルに近いそれを選んだ。飾り気のない素朴な一足。こういう物にこそ匠の腕が光る、ような気がしてひとまずそれを手にした。


(服とか、もっとちゃんとした靴は、追々)


アンズに似合うものを選ぼうと思うと、もっときらびやかな物や装飾のついた品は沢山あった。けれども、何となく受け取ってくれないような気がしたし、そもそもヒールの付いた物を与えては花畑どころか森ではずぶずぶはまってしまって歩きにくいことこの上ないだろう。最早嫌がらせである。

いつか一緒に街に来られた時に、アンズと共に選びに行こう。ジェイクはそう決めていた。


「こんにちは。今日も隣、良いだろうか」


質素な物とは言え、一応プレゼントだ。気に入って貰えれば良いと不安になりながら、浮き立つ心を抑えつつ声をかける。

彼女は今日も若草色のワンピースを身に纏い、にこにことジェイクを迎えたのだった。












「今日は、その。他にも持ってきた物があるんだ」


今日の昼食はいつものサンドイッチと、香辛料の効いた肉の串焼き、それとカップに詰められた硬めのゼリー。相変わらずアンズは肉にはあまり興味がないようで、杏のサンドイッチを堪能した後はゼリーをうっとりと眺めていた。

話し掛けられ、なあに、と口が動く。


「足を見せてくれるか?」


こくりと頷いたアンズは、特に戸惑う様子も見せずに座ったままジェイクに足を向ける。

投げ出された白い足に、思わずジェイクの喉がごくりと鳴った。


「その、あー、靴を持ってきたんだ。大きさが合うか見ても良いかな。…少し拭いても?」


こくり。


硬く仕上がったゼリーはキューブ状に切られていて、店で貰った串で一つずつ刺して食べる。

アンズは足の行方を気にする事もなく、献上されたその宝石のようなきらきらしい輝きを、一つ、また一つと串に刺していた。

ジェイクはそれをちらりと見たあと、信頼されたと思って良いのか、と荷物からタオルを引っ張り出す。

靴を履く前に足を清めようと思ったのだ。湖でさっと濡らして、また戻る。そうして彼女の足を手に取ると、


(━━傷が一つもない…?)


ずっと素足で歩いているようだったので、皮膚が硬くなったり石や枝で傷付いているだろう、と思っていた。しかし実際目にしたそれは、多少土で汚れてはいたものの、拭き取った後はつるりとして、まるで赤子の皮膚のように柔らかく━━…


ふと振動を感じて、ハッとジェイクは顔を上げた。

アンズは何かを堪えるように顔を赤く染め、ふるふると小刻みに震えている。


「どうし━━…」


初めて見た表情に慌てて詰め寄ろうとすると、ぐ、と彼女の足に力が入った。

捲れ上がるワンピースの裾を両手で必死に抑えるアンズ。何故捲れ上がるのかと言えば、ジェイクが観察しようとする余り片足をしっかり掴んで持ち上げていたからで。


「す、すまない!! そんなつもりでは…!!」


少しずつ得てきた信頼を根底からぶち壊す行為。アンズにとって今のジェイクは、ただの痴漢である。食べ物に釣られるな知らない人には着いていかない━━幼い頃幾度も言われた言葉がジェイクの脳裏をぐるぐると駆け巡る。まずい。食べ物で釣って、今俺は何をしているどんな格好をさせている。

慌てて立ち上がり、アンズから距離を取ろうと一歩下がる。しかし、そうするまでもなく、さっきまで花の上をころころと転がっていた「親」がジェイクに突進してきた。


「━━きゅうっ!!!!!」


もふり。

そんな音を立てながらジェイクの顔にへばりつく毛玉。


(ああ、とうとう魔物にやられてしまうのか。親代わりならば娘同然の存在が襲われているのなら守ろうとするのは当たり前だな、…思えばこの毛玉に触るのはこれが初めてだ━━)


衝突の瞬間思わず目を瞑ったジェイクは、噛まれる瞬間をじっと待っていたがなかなかその時が訪れない。

では何をされるのか。

恐る恐る薄目を開ける。

視界が毛玉の白いそれで埋まっているはずだった。しかし、そこにあったものを見て、思わずジェイクは息を飲む。


辺り一面は暗闇。天も地もなく、そこに何も存在していない程の黒さ。

その中にぽかりと、アンズと毛玉がいつも居ると思わしき花畑が浮かんでいた。

しかし今目にしているそこには、そのどちらも居ない。二人きりの楽園には誰もおらず、ただいつもと同じく花々が風にそよいでいる。


(━━何だ、これは…)


顔面に当たっているはずの毛玉の感触は、目を開けて以来感じられない。幻覚を見せる魔物であったか、と警戒する。

途端、ジェイクの耳を誰かの声が擽った。


『━━たのしいね。たのしいね』


ぞっとして、剣を抜こうと構える。が、魔物の領域に入り込んでいるのか探る自身の手すらどこにあるのか分からず、そもそも自分がこの空間ではただの「傍観者」ではないかと気付く。触れたはずの鞘の感触すら無く、自分の存在が希薄になっている。

━━ぞっとするほどの、心地良い声。ジェイクは、こんなにもずっと聞いていたいと思わせる声を生まれて初めて耳にした。


『きょうはてんきが良いね。お花もきもちよさそう』

『ここから出ちゃだめなんでしょう? ここに来たのとあそぶのはいいの?』

『これは何? りすって言うの。よろしくね』


ころころと笑う。

魔物が持つ魅了の特性だろうか、これまで出会った事のある魔物をぐるぐると反芻する。…いや、人語を解する魔物など聞いた事がない。

ではこの声は何なのか。金縛りにあったように動けないジェイクは、ただその恐ろしい程に胸を捉えて止まない声を聞かされていた。

次々と展開する一人だけの会話。相手が居るようだが返事はない。花畑に存在するものを、あれは何? これは? と質問し、一つずつ吸収していく。


『たのしいね、たのしいね━━』


そうして声は少しずつ成長していく。幼子の声だったものが舌っ足らずさが抜け、少しだけ低く聞き取りやすくなる。

そこで聞こえた声に、ジェイクは目を見開いた。


『━━あなたはだあれ?』

『━━天使ってなに?』

『ああ、行っちゃったね。何だったのかな。━━人間? そう、人間って言うの』


初めてアンズを見た時に、自分は何と声をかけたか。

君は天使か? そう、言わなかったか。

恥ずかしくも思わず口をついて出たそれを思い出す。ジェイクは確信した。

先程から聞こえるこの声はアンズのもので、声が出ないのではない、この場所に全て吸収されて捉えられていたのだと。

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