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三日後、ジェイクはまた森の奥に向かっていた。
初めて会ったその日は、彼女に話し掛けようにも、何だかよく分からない毛玉に威嚇されて近付くに近付けなかったのだ。
見たことのないそれに警戒するも、彼女に攻撃するような素振りは見せなかったので、一先ず報告だけはしておこうと観察して、ふと、
━━仕事!!
リリーの正体を知ったショックのあまりここまでふらふらと歩いてきてしまったが、彼はまだ仕事中で、今は昼休みであったのだ。
ばたばたと暇を告げ、詰所へと引き返す。
幸いにも同僚━━悪友とも言う━━と合流し、昼飯の後から直で一緒に外回りしてた事にしようぜ、と言われて深く感謝したのだった。その思いは夜にリリーの件で盛大にからかわれて霧散する事になるのだが。
あのおっぱいは駄目だどう見ても尻軽、ならば慎ましやかな胸ならば清らかであるのか違うだろう、そんな不毛な会話と共に夜は更けていった。
飲酒量に比例してどんどん大きくなる声が聞こえたのか、女の店員が呆れたようにカウンター越しに頬杖をついている。男の店員が、不憫そうな顔で頼んでもいない皿を持ってくる。俺の奢りです、と小さく笑って去って行った。
もしかして昼間にリリーと話していたのがあの女の店員で、男の店員はロニーという名前だったのではないか。そんな考えに至ったのは会計を済ませて帰途についてからで、どうでもいい事だと夜空を見上げる。満天の星空がジェイクの視線を受け止めていた。
それから三日経ち、待ちに待ったジェイクの休日。今日は長期戦を覚悟してサンドイッチと果物を持参していた。
彼女の好みが分からなかったジェイクは、パン屋で全種類のサンドイッチを買うという強行手段に出た。差し入れですか? え? 違うの? と店員がひきつった顔で笑ったのが忘れられない。
…まあ、一人でも食えるし。何なら夜も食えば良いし。
ピクニックだと思えば良い。そういえば最近は休日と言えばリリーに好かれようと洒落たレストランや服屋に向かうばかりで、こうして自然を満喫するのんびりした機会に恵まれていなかった。
ジェイクは深呼吸して濃密な酸素を吸いながら、草を踏み締めて花畑を目指す。
果たしてそこには、━━前回と同じように座って、毛玉と戯れる彼女の姿があった。
「━━本日は、お日柄もよく…」
なるべく爽やかに挨拶を済ませようと思ったのに、ジェイクの口から滑り出したのはお見合いのような口上だった。
むせかえるような花々の香りの下、滑らかに滑っている。
「いや、あー…。…君はどうしてここに?」
少女の隣、警戒心を与えないように一人分のスペースを空けて座る。
ぽりぽりと頭を掻きながら荷物を下ろしたジェイクを、少女はまた前回のように不思議そうに眺めた。
「街から来ているのか? 結構遠いから大変だろう。男の足でも少し歩くな、ここは」
水筒を出してコップに冷えた茶を注ぐ。
少女に手渡すと、きょとんとしながらも素直にそれを受け取った。
━━くそ、可愛いな。
リリーに対してショックを受け、女性不信になるのではないかという自信の読みはあっさり外れた。
リリーが霞んで見える程に彼女は清純で可憐で、ジェイクの心の的の中心にどすんと太い矢を射した。…ドストライクだった。
まだ二度目の逢瀬に過ぎない彼女を警戒する気持ちも残ってはいるが、まず知らない事にはどうしようも出来ない。
自分用にも入れた茶を一息に煽り、毒を無いのを示してからまた彼女を観察する。
両手に持ったコップの中身をじっと見る彼女は、いかにも子供らしく戸惑っているようだった。
「妙な物は入っていない。喉が渇いたら飲むと良い」
こくりと頷いた少女を横目に、毛玉に視線を移す。
そう、毛玉。
どう見ても毛の塊で、ただの白いふかふかしたその物体は、どういう仕組みなのか少女の周りをゆるゆると浮いては落ち、浮いては落ち、今は少女の手の中のコップを覗いているのかにおいでも嗅いでいるのか、縁と手に毛をめり込ませながら中空で静止している。
時折きゅう、と鳴き声とおぼしき声が聞こえるので、口はあるのだろう。毛の中を探れば見えるのかもしれないが、口があるという事は噛まれるなどの攻撃を受ける可能性があるという事で、会ったばかりのジェイクは今はまだやめておこう、と伸ばし掛けた手を戻した。
獣には見えない。やはり魔物なのだろう。
しかし魔物とは主に獣から転化した存在で、狼が転化すれば熊ほどの大きさの巨大な狼の姿になるし、兎が転化すれば長い牙を持つ凶悪な兎の姿になるし、蛇が転化すれば脱皮を繰り返し丸太ほどの姿になりつつ猛毒を持った大蛇になることがある。…本来の性質を持ったまま「成長」するのが基本になっている、と教えを受けている。
毛玉の獣など見たことのないジェイクは、その真っ白い毛玉を見て首を傾げる事しか出来なかった。
(…兎の尻尾が落ちて、そこだけ魔物になった…とか?)
馬鹿な事を考える。が、あっさり捨てられない考えであるのが問題だ。魔物はどこか、生物の法則を無視した存在であるのだ。草食であった兎が、転化した途端周囲の獣を食い散らかすのはよく聞く話でもあった。
完全なる球体に柔らかな毛を生やしたようなそのふかふかを見て、ジェイクはあらゆる魔物の情報を頭に巡らせる。少女と話をするのは勿論、この毛玉を観察するのがジェイクがわざわざここまで来た理由でもあった。
魔物であるならば先輩騎士や上司に報告すべきではあるが、少女になついているようなので、まあ、それは、追々。
冷たいお茶が美味しかったのか、驚いたように顔を上げてにこにことジェイクを見つめる少女を見て、ジェイクは無表情で自身の胸元を握り締めた。
笑顔はとても、可愛かった。