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リリーショックの軽減のためにあれこれ思いを馳せているうちに、かなり歩いていたようだ。街からだいぶ外れ、普段足を踏み入れない森の中程まで来てしまっていた事に気付く。
ジェイクは帯剣したままだった腰に手を掛け、鞘からすらりと剣を抜き取った。
…別にストレスとかじゃなくて、ほら。枝とか邪魔だし。
誰に言うともなく言い訳を並べながら、ばさばさと振り回して先に進む。
ぽっかりと開けた先に湖が見えたのは、それから間もなくの事だった。
「…ああ、この辺にあったのか。なるほど」
━━デートで行くには遠いんだよね、でも綺麗なお花が咲いてるらしいの。
いつだかリリーが言っていたのが耳に残る。ジェイクは振り払うようにかぶりを振ると、おもむろに切り株に腰を下ろした。
疲れた。心が。
まだ自分のものではなかった。幸い彼女も、二股三股をかけたりするような人種ではなかったようだが、所謂取っ替え引っ替え。あんなに清楚そうな、何も知らなそうな顔で!
屈託なく笑う白い歯を思い出そうとして、やめた。彼女が好んで着ていた白いワンピース、その下の膨らみが気になってたまらなくなりそうだったからだ。
国境警備隊。それは辺境の狭い街で、男ばかりがひしめく兵舎で住まう、娯楽と言えば身内の賭け事か酒位の集まり。
ジェイクはその中で、一人抜きん出た存在になろうと努力していた。仕事は勿論、色事もだ。地元に彼女を置いてきた男たちには敵わないまでも、現地で彼女を見付けようと仲間内で躍起になっていた。
その結果がこれであった。ビッチに引っ掛かり、唇にも触れずに終わった。
立ち聞きにより人知れずジェイクが怖じ気付いただけだったので、素知らぬ顔で会いに行けば恐らくリリーも相手をしてくれただろう。しかし、何だかもう、駄目だ。こわい。
若い彼は苦悩していた。少し仕事に専念しよう、色恋沙汰はしばらく懲り懲りだ。頭を抱えたまま、深く息を吐いた。
━━きゅう。
「…ん?」
音もなく立ち上がり耳を澄ませる。
然程遠くない位置、草を踏む音。軽い。
(…こんな遠くに誰か居るのか。獣か?)
最近魔物が出たという話は聞いていない。ジェイクは近隣の獣の生息状況を脳裏に展開させた。
獣が歳を経ると魔物に転化する事がある。国境は森に囲まれている事が多く、その傾向は他の街より高い。
知性を得た魔物は厄介で、獣を率いる事もあれば以前と変わらず静かに暮らす事もあるが、危険には違いない。よって、魔物に転化する前に叩く事も国境警備隊の仕事の一つだった。
(ただの兎程度なら良いんだが、熊だと厄介だな)
熊そのものも熊が転化したものも危うい。念のために遠目に確認しておこうと踏み出したのが、ジェイクの全ての始まりだった。
「…きみは、天使か…?」
湖の傍、ぽっかり開けた更に先。
木々が避けるように丸く光が射し込んだそこには名も知らぬ花がそこここに咲き誇り、一面に花畑が広がっている。
その中央に、彼女は居た。
若草色のワンピースを身に纏い、膝から下、惜し気もなく晒された足はぺたんと折り込まれて、靴は脱いだのか素足で直接花畑に座っている。
顎の位置で揃えられた金色の髪は、ナイフででも切ったのかどこか不揃いで、思わず整えてあげたくなる。
突然現れたジェイクに驚いたのだろう、丸く開かれた目は溢れ落ちそうな大きさだった。
十代半ば程のその少女を守るように、彼女の頭程の大きさの白いふかふかした毛玉のようなものが、ジェイクを威嚇しているのかきゅうきゅう鳴きながら飛び回っていた。
「…ああ、驚かせてすまない。…すまない」
天使って何だよ。
自分の言葉に赤面し、思わず蹲る。
一呼吸、二呼吸して落ち着いたジェイクは、再度花畑を見る。
「…?」
薄暗い森とはまるで別世界のようなその中心で、光を一身に受けて、目映いばかりの少女が不思議そうに首を傾げながらジェイクを見詰めていた。
「…あ、やっぱり、天使だ」
納得したジェイクは一つ頷いて、花畑に足を踏み入れた。