19
ジェイクは国境警備隊だ。
騎士となるべく王都の騎士学校で貴族の子弟と肩を並べて学び、遊び、それなりに真面目にやってきた成果として無事に騎士団の見習いへとこぎ着けた。
しかしこの階級社会、幾ら同じ騎士になれたとてその中にも身分差は当然生じる。やんごとない貴族は安全な場所、その他大勢は危険な場所へ。騎士となって陛下に忠誠を誓う事自体には何の違いもないのに、その先には大きな隔たりがある。
端的に言えば、王都には貴族が集中して、国境警備隊となる辺境の部隊には庶民が集中する。隊長など管理職として例外もあるが、それが騎士団の暗黙の了解として成り立っていた。
毎日をやれ酔っ払いの喧嘩だとか、山賊が出たぞだとか、魔物っぽいのを見掛けただとか、街や森を駆け回っては過ごしていた。
ある日、気付けばジェイクは森の中にいた。
普段足を踏み入れない程の森の奥、見覚えのない花畑。自分はどうしてここにいる、今日は休日だから「いつものように」食糧を買ってここに来て━━…?
いつものように、が理解出来ずに、ぎゅっと目を閉じた。最近ピクニックに凝ってて。そう、同期のゴードに言ったような記憶がある。
そうだっただろうか。
まるで飲み過ぎた翌日のように頭がはっきりしない。ぶるぶると頭を振って辺りを見回す。
そしてジェイクは、天使を見付けた。
「ジェイク! お帰り。ふふふ、もう見廻り終わったの?」
その日花畑で出会った少女は、自身をアンズと名乗った。
一目見た瞬間に彼女がどうしても欲しくなり、一も二もなく思わず口説いたジェイクに、にこりと笑って「良いよ、でも私、街のこと何も知らないの。教えてくれる?」とそう囁いた彼女。
その瞬間に心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えたジェイクは、何でもするから俺と一緒に居てくれとすがり付くように懇願した。離してはならないと、胸の奥から込み上げてくるような何かがあったのだ。
斯くして彼女の手を握る事を許されたジェイクは、自分が持ち込んだらしき手付かずのままの大量のパンだの甘味だのを抱えて森を出る事になった。最早自然散策で癒される事など二の次であったのだ。最大の癒しを手に入れたのだから。
彼女は森を出る際に、ジェイクと出会った花畑の方を振り向いて、ゆっくりと手を振った。そういえばきゅうきゅう騒がしい何だか分からない毛玉のようなものが彼女の傍にいたなとふと思ったけれど、またいつか見に来れば良いか。そんな騎士らしからぬ思考を抱いてしまったのは、彼女の瞳がどこか潤んで見えたので、どうしたどこか痛むのかと慌てて彼女に全神経を集中してしまったからに他ならなかった。
そうして問い質したり慰めている内に、いつの間にか森を抜けて街へと戻った二人を出迎えたのは変わらないいつもの雑踏。人の声に何となくほっとするジェイクと、王都ならばまだしもこんな辺境にそう人は居ないのに「人がいっぱい」と頻りに驚いてみせる彼女は、一体どこから来たのだろうか。
仕事はおろか住むところすらもなかった彼女に付き添い、斡旋をし。すっかり常連となったパン屋に頼み込んで住み込みで働かせてもらうようになったのは、つい先日のことだ。
食堂が併設されている兵舎に住まうジェイクが毎日必要もないのに訪れては何かと売り子のアンズに話しかける様を、パン屋を経営する老夫婦も、他の商店街の一同も。呆れながらも微笑ましく見守っていた。
「ああ、今日は帰って日報を書けば仕事は終わりだ。…アンズは今日はどうだった?」
「いつもと一緒! もう焼きも終わったから、パンは出てるのが売れたら後はおしまいだよ。何か買う?」
「いや、…そうだな。…サンドイッチはある?」
「あるよ。ふふ。ジェイクはお肉のが好きでしょう? 取ってあるよ」
「わざわざ残しててくれたのか? ありがとう。明日は休みだったろう?」
「うん、定休日だよ」
「じゃあ。━━ピクニックに行かないかい」
一瞬きょとんとしたアンズが、花を咲かせたかのように笑う。嬉しい、そう返されて赤面するジェイクを、またこの子たちはいちゃついて、と女将が苦笑しながらその様を眺めていた。
すっかり看板娘となったまだまだ世間知らずの少女と、今一つ押しの弱そうだった騎士。
案外この子に対しては頑張っているようだねと、女将は玄関にメニュー表を仕舞いながらのんびりと考えていた。
ジェイクにデートに誘われたその晩。店じまいをし、風呂を済ませて休む準備を終わらせたアンズは老夫婦に挨拶をして宛がわれた自室へと戻った。
私物の殆どない彼女の部屋は初めてここに来た日から代わり映えがせず、女将にもう少し飾っても良いのだよと半ば心配すらされている。
無愛想な店主と気の良い女将。どうするのが正解なのか分からないアンズには、曖昧に笑みを返すしかなかった。
━━明日、ピクニックでジェイクに相談してみようかな。
人の良い老夫婦を心配させたい訳ではない、ただ知らないだけ。何を置けば自然なのか、「この世代の普通の少女」に見られるのか。答えてくれる毛玉はもう居ない。一人で悩んでも仕方ないそれはあっさり手放して答えを共に捻り出すべきだ、そうアンズは思っていた。
ふと、覚えのない感覚が胸に走る。ざわめくそれに、ああ、毛玉が次の「私」を作り出したのだな。そう理解した。
切られたはずの繋がりは全て立ちきられた訳ではなく、遠く離れた今となってはかつてのように会話こそ出来ないものの、今はどの方角に居てどこに住み着いたのか。それを何となく感じる程度には何かが残されていた。
別れの日に毛玉に告げた「お願い」を思い出し、一人くすくすと笑う。
━━またジェイクが虜になったら嫌だから、次の「私」は、私とは似つかない姿にしてくれる?
お前も言うようになったじゃないか。そう返した毛玉は呆れたようにふわふわと揺れていたけれど、ずっと一緒だったアンズは知っている。あれはどこか喜んでいた。
━━お前はわたしが思ったよりも人間に近付いている、そのまま頑張りなさい。
手を振った時、そう聞こえた気がして何だか悲しくなった。私とあれは魔物で、人間のようなものを作り出す存在と、その疑似餌にしか過ぎなかった。けれどもやはり、いびつな関係ではあったけど、親子でもあったのだ。まごうことなき親離れの瞬間だった。
ジェイクはそれからも休みが一緒になる度にアンズを誘った。もう一緒に住んだら良いんじゃないかい、呆れてそう言う女将に照れながらアンズを借り受ける。
向かう場所は大抵いつもの花畑で、アンズは落ち着いているようだったし、ジェイクも彼女の笑顔が見られるのならこれ以上望むものはないと満足しながらそれを眺めていた。
そういえば。ふと最近聞いた話を思い出し、ジェイクは彼女に話して聞かせる。
「アンズ、後輩の騎士から聞いた話なんだが。最近こんな噂があってな━━…」
ここから二つ離れた国で、新たな神と呼ばれる存在が噂になっているらしい。曰く、「運命の人に出会わせてくれる毛玉の神」。それを初めて騎士の仲間から聞いた時、自分もその恩恵に与ったのではないかとアンズにも聞かせたくなったのだ。だって彼女に初めて会った時、ジェイクは確かにそれらしき存在を目撃していたのだから。
すると彼女はそうだね、と答えたあと、堪えきれないとでも言うように腹を抱えて一頻り笑ってみせた。
笑いすぎて涙を浮かべた彼女は、指先でそっと目尻を拭った。怪訝そうな顔で見ているジェイクに、ごめんね、と手のひらを見せる。
「まさか、あれがそんな呼ばれ方をするようになるなんて思わなかったから。ふふふ、確かにそうね。運命。きっとあなたが私の運命の相手だったのね」
何か知っているのか。問い質そうとしたジェイクの声はアンズの唇に飲み込まれて消えた。
初めて触れたそれはふんわりと、しっとりと、天にも昇るような心地よさで━━…
「ずっと一緒に居てね」
気絶しそうになるのをすんでで堪えたジェイクには、こくこくと頷く事しか出来なかった。
アンズはゆったりと笑い、きっとあれはどんどんセンスが磨かれているんだろうなあ、なんて考えながら、今度は向こうから近付いてくる顔を見て、静かに瞼を下ろした。
これで完結になります!最後だけちょっぴり長くなってしまいましたが、半端に切るよりは…と思ったので切らずに上げさせてもらいました~。
最後までお付き合い下さりありがとうございましたー!
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異世界召喚された私が四天王最弱の男と出会って色々する話。
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