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彼女の期待をよそに、その人間は定期的に訪れるようになった。

いつも両手に抱えきれないほどの荷物を持ってきて、しかもそれが全て食糧であることを知った彼女は、毛玉に人間が食い物とはこういう事かと問い掛けた。答えは否であった。

お前の仕事はその人間と親密になることだ。わたしは気にせずそれを飲み、食うが良い。

そう言った毛玉に、人間の不安そうな目に、コップを手に取って人間を真似して口に運んでみる。

彼女にとっての初めての食事。冷たいお茶はすっと喉を流れ、腹に落ちた。意識した事もなかったそこが収縮し、蠕動するのを冷たさと共に感じる。

━━なにこれ!

驚いた彼女に、口に合ったのであればそれは、美味しいと言うのだ、と毛玉がぼそりと告げる。

美味しい、美味しい。

また一つ言葉を覚えた彼女は、人間が話しかけてくるのに言葉を返す。

しかしこちらの声は聞こえていないようで、何でなのかなと首を傾げた。

頭を抱えた人間はジェイクと名乗った。ジェイク、名前。知らない言葉が沢山ある。

毛玉は好きにさせてくれるのか、少し警戒しながらも二人を見守っていた。












「こんなところか。ああ、久方振りの食事は重い。さて、次はお前だ」


不意に呟かれた毛玉の声にハッとして思考を中断する。

漸く終わったその食事が影響しているのか、ジェイクはぼんやりとしているようだった。アンズの胸がずきりと痛む。ここ最近、毛玉が「そろそろ終わりにする。あれを食ってお前も移動するぞ」と告げてからずっと、痛みを訴え続けている場所。

何故痛むのか、どこが痛いのか。探れども怪我をしている様子もなく、毛玉がその疑問に答えることもなかった。自分はどこかが悪いのかもしれない、不安すら覚えた。

ジェイクと会えば、あの目で見詰められれば、そんな痛みは霧散してふわふわと心地好くすらなるのに。生まれたばかりの彼女にはまだその感情の名前は分からなかった。


「わたしとの繋がりを一度切る。すぐにそれと繋ぎ直すから、お前に影響はないはずだ。ここに来い」


頷いて立ち上がり、毛玉へと近付く。

毛玉との繋がり。今まではこれっぽっちもそれを意識した事はない。空腹や寒さも覚えなかった奇妙な体。それにアンズが気付く事はなかったが、しかし、今は毛玉が満腹を覚えているからなのか何となく腹部に重みを感じた。



「すぐに済む」


毛玉が彼女に触れると、ざわりとその毛が波打った。

ぷつり。

どこかで糸が切れた感覚を覚え、何か大切なものを失ってしまったような気持ちになる。

心許なさから毛玉を見るが、かつてない作業に集中しているのか彼女を見る事はない。

ふと視線を感じて周囲を見渡すと、座り込んでぼんやりしていたはずのジェイクはいつの間に自分を取り戻したのか、はっきりとした視線でアンズを見ていたのに気付く。

絡み合う視線はいつもとは違い、驚きに満ちて━━


瞬間、ジェイクはその頬を染めた。


『さあ、話してみろ』


どこか愉快そうに毛玉がそう彼女に言った。さっきまではジェイクにも聞こえるように人間の言葉で話していたそれは、今のアンズにはそのしゃがれた声と、きゅうきゅうと甲高い声が二重になって聞こえる。


「何で二つ聞こえるの、━━!」


問い掛けた彼女の声はいつものように声帯を震わせて、そしていつもとは違い、自身の鼓膜へと響く。

驚き口を抑えた彼女をからかうように毛玉が浮いたままゆらゆらと左右に揺れた。


『予想通り、この人間が差し出した代償はお前の記憶の全てだった。ただの騎士に戻った事になる。ついでにわたしの記憶も頂いている。口を聞けるのを知って、下手に危険な魔物と思われて斬られては敵わんのでな』


契約外にわたしの記憶まで貰う事にしたからおまけとして何かくれてやるつもりではあるが、この人間にとってのわたしの記憶はデザート以下の容量だったな。

ぶつぶつと毛玉が呟く横で、アンズは大して聞きもせずに声を出し続けた。

あー、とかうー、とか、ただの発声練習に過ぎないそれに、感動を覚えて固まるアンズ。━━声が出るって、楽しい!


『繋がりを切った以上、お前とわたしで会話は出来ないかと思ったのだが。…やはり人間ではないから魔物の声が分かるのかも知れんな』

「私、普通の人にはなれないの?」

『さてな。わたしもこうして繋がりを切ったのはお前が初めてだ。この先お前がどうなるのかは分からん』

「そう…」

『だが、まあ、何だ。お前はわたしの子のようなものだし、何か困る事があれば━━』


呼ぶと良い。

そう言った毛玉の語尾を、アンズは聞き取る事が出来なかった。

毛玉に記憶を吸い取られ、虚脱状態に陥っていたジェイク。復活してからも沈黙を保っていた彼が、アンズに突進してきて彼女の足元に跪いたのだ。

ぎょっとして思わず仰け反った彼女を、ジェイクは真摯な瞳で見上げて言った。


「━━何と可憐な人だろうか。そこの毛玉のような何かと会話しているようだったが、君はもしかして人間ではなく天使か何かなのか? ━━こうして近付く事を、許しては貰えるだろうか」


熱に浮かされたようなその瞳に、脊髄反射で思い付いた瞬間から口に出して語るジェイクの姿に、ああ、いつものジェイクだとアンズはほっと息を吐いた。


「ため息など似合わない、━━俺のせいか。すまない。いきなり近付いてしまったな、不快にさせるつもりはなかった。普段はこんなことをしたことはないんだが━━」

「…ふふふ。あなたのせいじゃないよ。安心しただけ」

「…、ああ、声までそんなに可愛らしいのか。苦しい。ちょっと待ってくれ辛い」

「ねえ、お名前、訊いても良い?」

「す、すまない。俺はジェイクだ。この先の街で国境警備員をしている。君は?」

「私はアンズ。よろしくね、ジェイク」


出会ってから今までの記憶は忘れてしまったけれど、━━どうせ俺は何度だって、君を見た瞬間に惚れてしまうよ。安心して待っててくれ━━あっという間に果たされたその約束に、思わずアンズは笑い出した。

寂しくはない。全てはここから始めれば良いだけなのだから。


急に笑顔を見せたアンズに戸惑い、その表情と笑い声が脳天を直撃して悶えるジェイクを、ぐったりと毛玉が見守っていた。

胃もたれがする。呟きがぽつりと一つ、森の奥に落ちて消えた。




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