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「…それでは、お前が本当に約束を守ってくれるのか俺には判断出来ない」
「ふざけた事を言う。我々は人間とは違う、嘘などつかん。…そうだな、これは契約だ。印でも刻むか?」
「印だと?」
「お前が代償を払い、わたしはそれに応えてそれ━━アンズをお前のものとする。そういう契約だ。わたしの体とお前の体のどこかに、契約が成立次第見えるように印を付けよう。契約を違えればわたしはその印でもって縛られて消滅するとしようか。なに、その時にはそれはお前のものとなっているからそれまでも消えてしまうという事はない」
漸く食事にありつけるとみてどこか機嫌を持ち直した毛玉は、更に続ける。
「但し、お前が代償を支払うのを渋るようであればこの契約は成立しない。それはわたしに返して貰うし、その時はわたしは通常通りの食事を行わせて貰う事にする」
「…渋りなど、しない」
「ならばお前にとってこの契約は損はないようだ。すぐに代償を頂いても構わんな?」
「━━、待ってくれ」
いやに饒舌な毛玉に待ったをかける。
渋りはしない、しないが━━…
ジェイクはゆっくりとアンズを見下ろした。
「今俺が一番失いたくないものなど決まっている。アンズ、君だ。君の存在以外でそれを指すならば、恐らく俺は、君に魅入られているこの感情こそを毛玉に差し出す事になると思う」
まだ若いジェイクの人生に於いて、一番大事にしてきたもの。
騎士になること、その道を諦めないこと。
それを差し置いてまでにアンズの存在が大きくなっていると、目を逸らしながらもジェイクは実感していた。
思えば、明らかに毛玉が魔物であると知っていながら上官にそれを報告しなかったのも、初めからアンズの存在あってこそだったのだろう。━━ひとえに、彼女の生活を、安らぎを、その空間こそをぶち壊したくなかった。その一心だったのだ。
━━ジェイクは、私をやっぱり、忘れてしまうの。
悲痛そうに彼女が口を開く。ジェイクはおもむろに正面に立つと、アンズの両手をぎゅう、と握り締めた。
「アンズ、君が居てくれるなら俺は記憶を無くしたって構わない。絶対に大丈夫なんだ。信じてくれ」
━━なんで、そんな事が言えるの。
「一目惚れだったからね」
にやりとジェイクが笑った。
それだけは確実に言える事で、ただ彼女を一瞬でも不安にさせてしまう事が忍びない。躊躇う理由はただそれだけだった。
「どうせ俺は何度だって、君を見た瞬間に惚れてしまうよ。安心して待っててくれ」
握ったアンズの手をそうっと持ち上げて、指先に静かに口を寄せた。
剣は陛下に捧げたけれど、それ以外の自分自身は全て彼女に捧げよう。
そんな気持ちが少しでも伝わるように、ゆっくりと口付ける。
━━口にして告げるのは、全てが終わった後にしよう。
「…もう良いだろうか」
「アンズ、信じてくれる?」
真っ赤に染まった顔でこくこくと頷くアンズに微笑むと、ジェイクは毛玉へと向き直った。
毛玉がジェイクの頭に覆い被さってから、小一時間が経った。
ジェイクも毛玉も一言も話さずに続く何らかの儀式を、ただアンズは座って見守っている。
いつもならば何やかやと話しかける彼に、返事をしたり頷きながら身ぶり手振りで過ごす時間。時折鬱陶しがった毛玉が『少し黙ってくれ』と━━ジェイクにはそうは聞こえないようだが━━話しかけたりしていて、賑やかだった時間。
今はただ自然の鳴らす音だけを耳にしながら、アンズはまんじりともせずに待ち続けていた。
自分はどうやら普通の動物とは違うらしい、と知ったのは、生まれて三日目の事だった。
たまに見掛ける茶色いの━━毛玉はリス、と教えてくれた━━が小さいのを連れていて、どうして大きさが違うのかと尋ねたところ、親子だろうな、と返された。
親子とは何か。そう訊くと、本来同じ種族のもの同士が番って、同じ種族の個体を生み出すのだと言われる。
ならば自分の種族は何か。親は居るのか。自分から付かず離れずにいつも傍にいる毛玉に問えば、強いて言うならば自分が親だと告げられた。
お前はわたしの食い物を寄せるためのもの。しかしその姿は食い物に寄せたものである。
よく理解が出来ずに、そう、とだけ返す。その内にまた初めて見るものが彼女の前に現れた。
ここ最近でよく見掛けた小動物とは違う、毛玉とも違う姿。自分と似通っているようでどこか違うそのかたちに面食らっていると、あっという間に近付いてきて、すぐに立ち去ってしまう。
あれは何。尋ねたアンズに毛玉がまた答える。
あれがわたしの食い物で、お前を似せた種族だ。人間と言う。お前はメスだがあれはオスのようだな、人間はオスの方が大きい種族だ。
人間。そうか、私は人間に似ているのか。
他の小動物とは違い、それに似せられているためなのか鳴き声も聞き取れるものだった。
━━毛玉とだけではなく、どうやら自分は人間とは意志疎通が出来るようだ。
そう思ったアンズは、怒涛のように去っていった人間━━ジェイクの居なくなった方角を眺める。
また会えるかな。そう呟いたアンズに、さてな、と毛玉はぶっきらぼうに返した。