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「…アンズ」


にこり、笑って彼女はジェイクにハンカチを差し出す。

使われなかったそれは乾いたままで、しかしアンズの動揺や困惑を一身に受け続けたために、すっかりくしゃくしゃによれてしまっていた。

それに気付いて慌てた彼女が腕を引くのを見て、ジェイクは咄嗟にアンズの手を握る。

細かく震える手は、何を思っているのだろうか。


「…おい、毛玉。アンズと少し、歩いてきても良いか。湖までだから」

「…構わんさ」


まだ数日の猶予はあるから、最後の一時はゆっくりするがいい。

どこか人間臭い声で、そう毛玉は笑った。

最後の一時。嬉しくもないが、二人で話せるならば有難い。

ジェイクは繋いだ手をそのままに、花畑の向こう、湖へと歩を進める。

アンズもその手を振り払う事はなかった。













「…やっぱり、魔物、なのか。君も」


きらきらと輝く湖面。話をしている内にすっかり日は昇り、幻想的なまでに美しい佇まいを見せていた。

━━そうだよ。私はあれから作られたの。

アンズがゆっくりと口を動かす。普段の動作。先程毛玉と言い争っていた時とは全く違うその速度に、いつも気を使ってくれていたのだな、とまた胸が苦しくなる。


「…俺は君を、忘れてしまうのか?」


━━そうしないと、私たちは消えてしまうの。


彼女の瞳が涙の膜を張り、今にも涙が零れ落ちそうになる。

視線を外しそうになり、やめた。見ていないと、アンズが何を言っているのか分からなくなるから。


「俺の記憶を食ったとして、その後君と毛玉はどうするんだ?」


━━多分、他のところに行くと思う。いつもそうしてるんだって。


「君はこの森で作られ━━生まれたと、言っていたな。ここに来る前は…その」


━━違うかたちのものが、あれと一緒にいたみたい。人の食い付きが悪かったら私もそうするって、言われたよ。


「そうする、とは?」


━━あれに吸収されるの。いなくなって、また新しいのを作るって。でも、私には、すぐにジェイクが来てくれたから。だからまだ使うって言ってた。


「使うとは…」


━━ジェイクのお陰で、まだ私は吸収されない、消されないってこと。でも、…


とうとう耐えきれなかった涙が一つ、ぽろりと落ちた。

一つ零れてしまえば、決壊してしまったのか、次々と溢れる。


━━私、ジェイク以外の人と、こんなに一緒に居たくないよ。

━━ジェイクは私を忘れちゃう。なかったことになる。でも私は覚えてる。つらいよ。そんなの嫌だよ。


ハンカチを取ろうかと逡巡し、気付いた時には抱き寄せていた。

初めて触れる小さな体は柔らかく、温かく、とても人間ではないと言われても信じられない。

しゃくりあげる彼女の僅かな振動を服ごしに胸に感じ、アンズは生きているじゃないか、と思う。


「…俺がアンズを忘れたら、嫌?」


こくり。


「でも、俺は君が消滅してしまうのも嫌だ」


いやいやをするように彼女が首を振る。ジェイクはその旋毛をただ眺めていた。相変わらず切りっぱなしのようなその毛先は、そういえばこの二月で伸びた気配がないなと今更そんな事に気付く。


「俺は君の記憶を、君そのものを失いたくない。…許されるなら、ずっと一緒にいたいんだ」


━━私も。私も、一緒にいたいよ…


顔を上げたアンズの、潤んだ瞳がジェイクを見上げる。

暴力的なまでの愛しさがこみ上げてきて、ジェイクは強く彼女を抱き締めた。


「やっとプロポーズに応えてくれたな!」


衝動のままにくるくると廻る。

不恰好なダンスのようなそれに、アンズは泣くことも忘れて困惑を浮かべながらジェイクにしがみついていた。


ジェイクはこれまでずっと求愛し続けていた。野生動物のように気に入った相手に食事を運び、自分の元に堕ちてこい、それだけを毛玉が萎びれるまでの期間ずっと行っていた。

その情熱はかつて失恋した相手にかけたものとは桁違いで、偶然話を聞いたあの時はショックを受けただけだったが、例えば今アンズが目の前で拐われたら、自分は相手を殴り殺してしまうかもしれない。ジェイクはそう、アンズに笑いかけながら思っていた。

アンズも嫌がる事はなくジェイクの訪れを待ち、時には頬を染めながらにこにこと交流してくれているところを見て、少なからず彼女も好意を持ってくれているだろう、そう考えていた。

きっと現状が変わるのが不安なのだ、時間をかけよう━━そう思っていた矢先の、この毛玉からのカミングアウト。

彼女は不安だったのではない、毛玉から離れられないと思えばこその微妙な距離の取り方をしていたのだ。

━━では、毛玉のことは抜きにして、アンズと自分の間に障害がなかったと仮定したなら?


待って、待ってとアンズがジェイクの腕を軽く叩く。浮かれたままのジェイクを、半ば不審そうに彼女が見上げる。


「どうした?」


うっとりと笑うジェイクを見て、アンズが顔を赤くする。

何だかんだ言って、アンズももう落ちたようなものなのだ。ただ、毛玉が、自分が魔物の一部であるということが障害になって結ばれないからと一線を引いていた。ただそれだけの話で。


━━何でそんなにはしゃいでるの。


「当たり前だろう、世界で一番愛しい人がプロポーズに応えてくれたんだから」


━━…、応えたところで、一緒に居られるのなんて、あとちょっとだけだよ。


悲しげに顔を伏せるアンズの頭を、ぐしゃぐしゃとかき回した。

突然に髪を乱されて不思議そうに見上げる彼女に、迷子に話しかけるようににっこりと笑ってみせる。


「大丈夫だ。俺に任せておけ」


再び手を繋ぎ直し、毛玉の元へと向かう。

アンズを手に入れるため、自らと共に幸せになるため。ジェイクにもう迷いはなかった。

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