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長い説明回ですみません。そろそろ毛玉講座終わります。

「数百年…? お前は一体いつから生きているんだ?」

「さてな。数えておらんから分からん。…その右手は剣に置いていないと落ち着かんのか? これ━━アンズが怯えている」


その言葉に彼女を見ると、瞬間、びくりとしてハンカチを握り締めるのが見えた。

細い指は青い布に深く皺を作り、普段と比べ物にならないほど白く血の気を失っている。


「…わたしは長生きこそしているが、ほんの少し心を食わせて貰うだけで、爪も牙も持ち合わせていない。お前に血を見せる事は出来ないし、これもそうだ。そう警戒しないでくれ」


幾度か毛玉とアンズの顔を交互に見やり、そっと剣の柄から指を外す。無意識に置かれた自身の手は思いのほか力がこもり、じっとりと汗ばんでいた。


「…効率は悪いが、わたしはこれらを作り出し、人間を誘き寄せる方法を思い付いた。手の内を明かすようで不快だが、今言った通りわたしには攻撃の手段はないと言える」


アンズが細く息を吐き出し、幾らか落ち着いたのを見計らって毛玉がまた説明を続ける。

それは騎士学校での授業以来となる魔物についての講座で、まさか魔物自身から聞く日が来るなんてな、とジェイクは内心苦笑する。人語を解する魔物などいない。それが世間の常識であった。

こちらを脳筋扱いして嘲笑っていた、座学ばかり得意なインテリぶった貴族のお坊ちゃん方やそれに追従する講師連中に教えてやりたいものだと毛玉の言葉を聞く真面目ぶった表情の内側で考える。お前たちの知らない魔物がここに居るぞと高らかに宣言してやりたい気分だった。


「これらは弱い。庇護欲を掻き立てられた人間は、母性や父性であるとか、異性であれば恋情を覚える。そうして育った感情をわたしは食らっていた。わたしの存在とこれらの存在、わたしのテリトリーで起きた全ての事象に関する記憶だ。食われた人間は多少の喪失感こそ覚えるようだが、何が起きたか一切覚えていない。いずれまた元の日常に戻っていく」


それは、ジェイクにとって余りに恐ろしい宣告だった。

アンズの事を、忘れてしまう。この森で起きた全てを━━…?


「…っ、なんて勝手な!」

「勝手も何も、それがわたしの本分だ。お前もこれの声を聞いただろう? あれこそがわたしの作った、これらの一番の特性だ。…心を奪われるような声だったろう?」


かつて聞いた事がない程の心地いい声。いつまでも浸っていたいような━━

楽園とまで思ったそれを思い出し、ぞっとする思いで毛玉を見返した。なんと卓逸なセンスであろうか。ジェイクの為に神が用意したような彼女は、毛玉が食事を得る為だけの存在であったのだ。


「わたしが触れた人間は、わたしの領域を覗く事になる。あれはわたしの胃袋であり、食事の為の場所でもある。初めは軽くこれの声を聞かせる。魅入られた人間は何度もそれを求める。そうなれば準備は万端になっている、はずだった」


また、げんなりと毛玉が声を出す。いつもとは逆に、アンズが慰めるようにぽんぽんと毛玉を軽く叩いた。長い毛足がぱさぱさと揺れる。


「…以前食事をしてから、数月経ってこの森に移動してきた。これを作り出してすぐの事だ。お前が現れた。一目で気に入ったようだったから、今回の食事は早く済みそうだと思っていた」


ぽつりぽつりと毛玉が語る。表情こそ見えないものの、まるで苦虫を噛み潰したかのような語り草に、ジェイクはじっと次の言葉を待った。


「これの声を聞かせれば、案の定虜になったようだった。騎士であると知って警戒はしたが、さっさと食って移動すれば何ら関係はないと思えた。暑苦しい口説き文句にも耐えた。もう少しだと思っていた」


そこまで話した毛玉は、ぶわりとその毛を逆立たせた。


「何なのだ、お前は! 取り込もうと思えばかわす。これを口説き続けるだけでまた声を聞こうとする素振りも見せない。終いにはこれもほだされたのかお前を庇う言動もするようになってきた。もううんざりだ。わたしは腹が減ったのだ!」


激昂したのか、その逆立った毛を上下になびかせながら跳び跳ねる。毛玉が語り始めて以来、アンズが久しぶりにその唇を動かせた。あれは恐らく、どうどう、と言っていた。


「…お前以外の人間は来ていない。かといって今更別の場所に移動出来ん程わたしは消耗している。これもろとも、このままでは消滅してしまう」

「アンズまで消える…!?」

「そうだ。わたしとこれは繋がっているからな。消えるのが惜しいなら、いい加減食わせてくれ」


このところ毛玉が萎びれていたのは、ジェイクの見間違いやアンズに言い寄る様に呆れていたからではなかったようだった。

ジェイクは驚き、アンズと視線を交わえる。目が合った彼女は、毛玉のように消耗している様子はなかった。毛玉は疑似餌の彼女に細心の注意を払い、その容姿を保っているのかもしれない。

にこり、彼女が笑う。やはりどこか悲しげで、全てを暴露した今、前までのように共に居られないことは分かっているようだった。


「何も全て食わせろと言っている訳ではない。わたしとこれに関する記憶、それだけだ。食いでがあるほど育っているだろう。ここまでしつこい人間は初めてだ」


もたれそうではあるが。

ぶつぶつと毛玉が言ったそれが、どうにも耳に入ってこない。

アンズの命を救いたければ、彼女を忘れないといけない。

忘れてしまうのか、こんなに愛しい存在を。

ジェイクは人生で初めて直面したその究極の二択に、かつてないほどの息苦しさを覚えた。


「…少し、アンズと話をさせてくれるか」


絞り出すようなその声を受けて、毛玉は彼女から少し距離を取った。

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