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「そうさなあ。これはわたしの一部であるとしか言えんなあ」


ぱさついた毛並み。初めて見た時にはふかふかと、艶々と軽やかに跳ねていた毛玉は、ジェイクが出会ってからのこの二月ほどですっかり年老いたようにその柔らかさを損ねていた。

アンズが俯きながら、毛玉をするりと撫でる。


「お前の一部、とはどういう事だ? アンズはどう見ても、可憐で愛らしく健気で純真無垢な少女だろう。お前とは全く似ていない。髪も月の光のような金色だ。白くない」

「お前の口はそれしか語れんのか?」


アンズを褒めるのが口癖のようになってしまったジェイクに、うんざりと毛玉が呟く。

てっぺんで風を受けていた毛束がしおしおと垂れるのが見えた。

と、アンズが再び毛玉を胸に抱く。顔を埋めるように抱き寄せたためにジェイクには目視出来なかったが、アンズは何事かを話しているようだった。

彼女の吐息がかかり、ふぁさふぁさと毛が揺れている。


「臆するな。それにもう、わたしも限界だ」


「ならばどうする。…それは無理だ」


「ここまで待った。これ以上は無理だ。ならば全て話してしまうまでだ」


毛玉に触れた時の、あの場所での光景。あの時はアンズの声ばかりで毛玉の声はきゅうともきゅうとも聞こえなかったが、今度は反対にアンズの声だけが聞こえない。

あのきゅうきゅう鳴いていたのは何だったのか。擬態だろうか。低い声だけを聞きながらぼんやり考えていたジェイクは、不意に顔を上げたアンズと視線を衝突させた。

心なしか赤くなったその目にぎょっとする。


「…後は、この男次第だ」


ごしごしと目を擦るアンズに慌ててハンカチを差し出すが、彼女は首を振って受け取らなかった。ずきりとした胸を抑えながら、ここに置いておくから、と毛玉の上にそっとハンカチを置いた。

突っ込む気力も失われたのかどうでも良いのか、毛玉は乗せられたハンカチをそのままに、またジェイクに向き直った。


「これはわたしが作った。わたしは人間の、感情であるとか記憶であるとか━━強いて言うなら、心を食う魔物だ」

「心を…?」

「見た目には変わらん。食っても人は死にもせん。ただ、虚無感であるとか自分が分からなくなるとかの症状は現れるようだが」


白い毛玉に青いハンカチは何だか映えるな、とどうでもいいことに意識を削がれながらジェイクは話を聞き進める。

心を食う魔物。初めて聞いた存在だった。

被害報告がなかったのは何故だろう、━━死亡はおろか怪我もしなかったからか? 毛玉に合わせて上下するハンカチを見ながら考える。


「一度食えばしばらくは保つ。わたしはこうした人気の少ない森に潜んで、人間を誘き寄せて少し心を食わせて貰う。そうやって生きている」

「…わざわざ誘い込まずとも、街に行けば人は沢山居るだろう。こんな森の奥までそうそう人は来ないだろう」

「お前のような討伐を生業とする人間が居る街にか? 誰しも死のリスクは避けたいものだ」


アンズは少し落ち着いたのか、黙って毛玉を見詰めているようだった。

人間ではないと聞いても、ジェイクが心を奪われている存在には違いはない。肩を抱き寄せたい衝動を堪え、毛玉に話を促す。


「ならば、どうやってわざわざここまで人間を誘うんだ。なかなか来ないだろう?」

「その為の、これだ」


毛玉がアンズの膝にふわりと乗る。その拍子にハンカチはするりと舞い落ちて、はっとしたアンズはそれを指で握り締めた。

おずおずとジェイクを見上げる顔は、今までに見た笑顔や照れた顔、驚いた顔のどれとも違う━━酷く悲しそうな表情をしていた。


「…どういう事だ?」

「そのままだ。人気のない森に人間の若い女や幼子が一人で居れば、大抵の人間は事情を気にするだろう。口が利けないならば尚更だ。多少警戒こそすれどそれに近付いてきて、どうしたのかと訊いてくる。後はお前も知っているだろう」

「惚れたな…」

「…まあ、そういうパターンもあるが」


ジェイクは以前港町に行った時に、この辺の郷土料理だから、と魚の鍋をご馳走になった事を思い出していた。

捌く様子を見学させて貰うと、繊細な味とは裏腹に、グロテスクな見た目のその魚には頭部に何か触覚のような物が付いていた。

これは何か、と尋ねたジェイクに、料理人が笑って解説をしてくれた。


━━これはこいつの、人間で言う釣竿代わりさ。これを動かして魚を誘って食うんだ。疑似餌ってやつだな。


疑似餌。

毛玉は人間の心を糧としている。

アンズは人間ではない。毛玉の作り出したもの。

アンズは━━毛玉にとっての疑似餌だと言うのか。


「人間はか弱い存在には強い警戒を抱かん。最初こそ何故こんな所に一人で居るのかと不信に思うようだが、人間とは慣れる生き物とはよく言ったものだ。口が利けない事に勝手に想像を膨らませ、同情し、安易に近付く」

「…」


毛玉のその言葉に、ジェイクは苦い顔をする。まんまと引っ掛かり、その通りになったからだ。親に捨てられたのか、迫害されたのか。想像で彼女の背景を補完して、何か事情があるのかと誰にも彼女の存在を告げる事なく通い詰めていた。


「以前はわたしもこれらを作ったりせずに、腹が減れば人間に近付いて適当に食らっていた。しかしやはり『森や山の中を歩いていただけなのに急に記憶を失って帰って来た』となると、わたしの存在が発見される可能性は高まる。一見外傷もないからな、何か魔物の仕業と思われるのは時間の問題だ」

「そういう話を、聞いたことはないが…」

「もう数百年と前の話だ。わたしも数回でそれはやめた。食らった記憶と人間の心を元に、より安全な食事の仕方を模索した」


そうして生み出したのがこの方法だ、とにべもなく毛玉は告げる。

さわ、と風になびいて花畑が揺れた。

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