12
ジェイクは語り始める。決心が鈍る前に全て話してしまおう。アンズをこの孤独な森から解き放ちたい一心で、自分の気付いたことを欠片も残さずに話し始めた。
アンズは声が出ないのを当たり前のように過ごしているけれど、それは多分毛玉が吸収してしまっているため。
宿主のようなものとして過ごしているアンズには分からないのかもしれないが、ジェイクが毛玉に触れると過去にアンズが口にしたであろう声が余すことなく聞こえること。
その声を直接耳で聞きたいこと。
毛玉と離れればきっとアンズは普通に話せるようになること。
不安だろうけれども出来る限りフォローはするし、決して悲しい思いはさせないこと。
すぐにとは言わないから自分と共に生きて欲しいこと。
途中からは半ばどころかほとんど口説き落とすように、ジェイクは熱心に語る。
彼女はそれを聞きながら、落ち着かないのだろう、そわそわと毛玉を撫で擦っていた。直毛だった毛並みが一部よれ始めた頃、すっと毛玉がアンズの手から転がり出る。
アンズから少し離れはしたが、いつものように威嚇行動を取るでも彼女を慰めたり嗜めるような動作を取るでもない。アンズも少し慌てたように毛玉に手を伸ばすが、一定の距離を保って跳ねるのみだった。普段と違うその様子に不信に思ったジェイクが見る前で、彼女と毛玉は何事かを語り合っているようだった。
にこにこと、ゆったりと話すいつもとは違い、やはり慌てているのかアンズの唇は忙しなく動く。それに対し毛玉がきゅうきゅうと鳴く。
慣れてきたとは言え、さすがに読唇術をマスターした訳ではないジェイクはそれに付いていけずに、ただその様子を眺めていた。
やがて会話が終わったのか、毛玉とアンズ、二人がゆっくりとこちらに向き直る。
少し不安気な彼女の顔に、ジェイクはごくりと唾を飲み込んだ。
「━━今からお前に、これの話をしてやる」
何が起こるのかと覚悟していたジェイクの耳に届いたのは、低くしゃがれた男の声だった。
聞き覚えのないそれに思わずアンズを見るが、毛玉に触れた時に聞こえた彼女のそれとは似ても似つかぬ声で、そもそも彼女は口を真一文字に閉じたままだった。
緊張こそしているようだが、思わず辺りを見渡すジェイクとは違い、この声に動揺しているようには見受けられない。
気配を探ってもジェイクとアンズ、毛玉の他には近くに誰もいないように思える。━━ジェイクでもアンズでもないなら、それは、答えは一つしかなかった。
「まず一つ、お前がアンズと呼んでいるこれだが、これは人間ではない」
気だるいようなうんざりしたような声で爆弾発言を落とす。
ああやっぱり天使と思った自分は正しかったのだ、どう見ても人外じみた可憐さだもの。もしかしたら妖精の方かもしれない。
あまりにも衝撃的であったその告白に思わずトリップしかけて、慌ててそんな場合ではないと現実に向き直る。
「待て、確認したいんだが。今話しているのは毛玉、お前か?」
「他に誰が居る」
ですよね。
出来の悪い生徒に話すように、いいから最後まで聞け、と呆れを強く孕んだ声で毛玉はアンズの足元に居住まいを正した。
「まず、わたしは魔物だ」
「ああ、それはまあ、何となく」
「わたしは通常の魔物とは違う。獣や植物は食せない事もないが、それで腹は膨れない」
つらつらと語る毛玉に、調べたがお前のような魔物はいなかった、と答える。
何から転化したものなのかと訊くと、そもそもが違うと返される。
「転化とは獣が性質を変えることか。━━そもそもが違う。わたしは発生した時からわたしで、お前たち人間の言う転化を経ていない」
静かに語られるその内容に、ジェイクは頭を殴られたような気持ちになった。
騎士学校で習うどころか、一般人でさえ知っている常識。魔物は獣から転化したもの。転化とはその元々の獣の性質に加え、残虐さや狡猾さを増して、人間にとっての害悪となるもの。
幾つかの例外を除いて、魔物に対しては基本的に二つのパターンを採用されていた。「人間に襲い掛かってくるようならば討伐」、「人間を恐れて逃げるならば監視、数の把握」というものだ。現状では積極的には前者が選ばれる事が多い。
転化すると一気に知性が跳ね上がると言う。彼らはその巨大化した体躯と生まれ変わったが如き知能でもって、獣だった時の仲間と徒党を組んで行き交う旅人や村人を襲う事が多い。人間は弱いこと、食料をたっぷり持ち合わせていること、その肉体そのものが食料になり得ることに気付いてしまうのだ。
よって騎士団━━ジェイクの属する国境警備隊は、近隣に魔物が居ないか、魔物が目撃されればそれがどのような魔物なのか、討伐方法は、などを繰り返し学ぶ事になる。
転化していない魔物の話などは、聞いた事がない。
どのような性質なのかが分からない。
━━アンズも、人間ではない、だと?
「…では、お前は。━━アンズは、何なんだ?」
未知のものと、今、自分は対峙している。
無意識に剣に手を置く。アンズの顔は、見られなかった。