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『美味しいね! これ、美味しいね!』


『ふふふ。こんなの初めて食べた。美味しいね。ありがとう、ジェイク』


サンドイッチを与えた時の声だろう、軽やかな笑い声が響く。

ジェイクはすっかり彼女の声に聞き惚れていた。魔物をも魅了する声は、ただの人間には毒ともなり得るのかもしれない。とりとめもない事を思う。


『名前。さっきも言ってた。アンズ。わたしのこと?』


『名前、あなたがジェイク。わたしはアンズ。ふふふ。名前。アンズ。可愛いね』


彼女はジェイクに教えられるまで、名前という認識がなかったのかもしれない。色とりどりに広がるものは花、空を飛ぶものは鳥、小さい茶色いのはリス、耳が長くて跳ねるのは兎。大雑把な括りでしか知らなかったものに、その瞬間名前という概念が加わった。

聞くだけで分かる嬉しそうな響きで、アンズ、アンズと繰り返している。あの時笑っているとは思ったが、そこまで喜んでくれるとは、とジェイクは細く息を吐いた。

可愛い。愛しい。どうしたら良いのだろう。

ゆっくりと息を吸って、吐く。ぎゅうぎゅうと締め付ける胸の苦しさが楽になるように、意識して深く呼吸を繰り返した。

気付けば、ばいばい、とアンズが呟いていた。どうやら自分が帰ったようであった。


『ジェイク。ふふふ。面白かったね。アンズ。ふふふ。可愛いね』


余程名前を気に入ったのだろう、何度も呟く。サンドイッチ、美味しかったね。きっといつもの笑顔で言っているのであろう事が分かる。


『また来るかな? ━━そうだね。もしまた来たら、その時は』


毛玉と会話しているのか、ジェイクが去った後も何事か語り続けるアンズ。

しかしそこまで話した時、ざざざ、と急にノイズのようなものが走った。驚いたジェイクが辺りを見渡すが、見た目にはまるで変化は現れていない。


(━━何だ?)


ノイズの合間に、何か声がする。聞き取れないそれに焦りを覚えながら、警戒を強めた。

その刹那だった。ジェイクは過去の討伐や上官からのしごきとは比べ物にならない、致命傷となる一撃を受ける。他ならぬアンズの声だった。


『━━また会いたいなあ、ジェイク』


うっとりと焦がれるような声に、今度こそ意識を失うのではないかとジェイクは覚悟した。













「━━っ!! アンズ!!」


するりと指を撫でた柔らかい感触に、毛玉が逃げ出したのだと分かったのは数秒経ってからの事だった。

ふよふよと定位置に戻る毛玉を見送ってからアンズに目を遣る。サンドイッチを探していたのか、勝手知ったる様子で紙袋を手繰り寄せていたアンズはびくりと肩を跳ねさせた。

飴が入っていた袋が倒れ、数個ころころとまろび出る。


「ああ、驚かせてすまない。━━サンドイッチか? 食べて構わない。…食べながら、聞いて欲しい事がある」


ごめんなさい、と口を動かしたアンズに被せるように謝罪を述べると、乱雑に取り出した食糧を彼女に押し付ける。

いつもとは違うジェイクのその様子に、少し怯えるようにアンズが見上げた。しかし手渡されたサンドイッチの魅力に逆らえなかったのか、おずおずと口に運ぶ。

きらきらと光る杏のコンポートが覗くそれにぱくりと噛み付いた時を見計らい、ジェイクも唾を飲み込み、決意して口を開いた。


「━━俺と結婚してくれ!!」


突然放たれたジェイクの言葉に驚き、アンズが固まる。それはまだ見たことのない表情だった。ぽかんと口を開け、ジェイクを見返す。思わず閉じてやりたくなる衝動を堪えてじっと返事を待ったが、その瞬間ジェイクは彼女が声を出せない事をすっかり忘れていた。

やれやれとでも言うように、杏が一つぽとりと落ちた。












結果としてプロポーズは受けては貰えなかった。しかし、夕陽が射し込む森の中を帰るジェイクの足取りは軽い。

杏の後を追うようにぽすんと落下した毛玉が、きゅうきゅうとジェイクに飛び掛かる。正座して待つジェイクを見た彼女は、頭にその言葉がようやく到達したのか、ええと、ええと、と唇を動かした。

すぐじゃなくて良い、君が俺を好きだと思えたらその時に返事が欲しい。順番を飛ばしてすまない、君が好きなんだ。

毛玉を振り払いながら畳み掛けるように告げた言葉に、アンズがそっぽを向いた。しかしその耳が赤かったので、ジェイクは叫びだしたいのを堪えて咳払いでその場を凌ぐ。

鳥の羽音や葉の擦れる音だけが聞こえる花畑の中でしばらく過ごしたジェイクは、また次の休日に来ても良いだろうか、と細い肩に声を掛けた。

やっと顔を上げたアンズの顔は心なしかまだ赤くて、━━この手の中に落としてみせる。そう意気込んでその場を後にした。


(親代わりの毛玉が問題だな)


魔物が親では普通の人間の親のように一筋縄ではいかないだろう。しかし、肝心のアンズの態度がああなのだ。大事なのは本人同士の意志。

両親から騎士学校の入学の許可をもぎ取った時の事を思い出す。…自分の立っているこの場所は、自分の粘り強さから勝ち取ったもの。

絶対に負けはしないと誓い、ジェイクは森を後にした。

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