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こちらは初連載です。完結まで頑張りたいと思います。よろしくお願いします。
その日、ジェイクは落ち込んでいた。
最近知り合った花屋で働く四つ下の娘といい感じになってきた頃、「再来月に私の18の誕生日があるの。その前に今度お祭りがあるでしょう、素敵な彼と行きたいなあ」と言われ、俄然やる気を出したのが先週の話だった。
そこまでのジェイクは絶好調だったが、つい先程、今日の午前中。仕事上がりのディナーの誘いでもと考えて娘の職場に顔を出したのが運の尽きだった。━━いや、逆に僥幸だったのかもしれない。
「リリー、あんた、また誕生日が来るの? 今年何回目だっけ?」
呆れたような女の声が花屋の娘━━リリーを呼び、ぎょっとしたジェイクは思わず観葉植物の棚にその身を滑らせた。何だかよく分からないその葉がちくちくとジェイクの頬に刺さる。
「何回目だったかな? 覚えてないよ。あはっ」
「確実にあたしのお姉ちゃんより年取ってるね。むしろアイーダおばさんより上かも?」
「やだな! まだぴっちぴちの19ですうー」
「ジェイクさんには17とか言ってなかった? 彼も可哀想に、見る目がなかったばっかりにこんな尻軽女に騙されて」
「馬鹿な事言わないでよ、失礼ね。まだジェイクとはキスもしてないんだから」
「ジェイクさんとは、でしょ? ロニーから聞いたわよ、リリーの良いところは胸の柔らかさ位だったって」
「はぁ!? あいつ何言ってんの!?」
「ロニーだけじゃないわ、ハロルドもダグも言ってたわよ。他には…」
リリーの話し相手、ケイトが淀みなくつらつらと男性名を挙げていく。それが十を超えたところでジェイクは数えるのを辞めた。不毛だったのだ。酒場のロニー、肉屋のハロルド、配達人のダグ。以下挙げられる男たちには知らない名前もあるが、近頃どうもリリーと歩くと街の人々に何とも言えないような表情で見られているような気がしていた。その理由が漸く腑に落ちた。次の獲物はあれか、と思われていたのだろう。
しかし見境がない。頬に刺さる葉をそっと避けると、今度は胸までちくちくと刺さる感触がした。払い除けるが手には何も触れない。恐らくは心臓の、もう聞かせてくれるなという悲鳴だったのだろう。
「…あとはウッドと、トーラス位かな? 悪名高きリリーの餌食にかかったってみんな頭抱えてたわよ」
「…あんた異様に詳しいけど、何? よっぽど私が大好きなのね?」
「私の職場考えなさいよ。酒場よ? 飲んで泣くなら最適じゃない。酔えば酔うほどみんな声が大きくなるし、いい加減にして欲しいわ。聞きたくなくても聞かされるのよ」
ロニーの時なんか最悪だったわ、友人の同僚に手を出して貢がせて捨てるなんて! と大仰に嘆いてみせるケイトの声を打ち消すように、大きなため息が聞こえた。確かめるでもなくリリーしかいない。
「…二十歳越えたらやめるから」
「あと一年はやるんじゃないの! この街にはリリーのお手つきしか居なくなっちゃうわ、そろそろ引退してよね!」
わあわあと騒ぐ二人に気付かれないように、ジェイクはそっと店を出た。
空が眩しい。
青い空はうつくしい。
太陽が目にしみる。
うっすら滲んだ視界は、そう、あまりに世界が美しかったからだ。決して己の見る目のなさに泣けてきた訳ではない。
しかし、しかし、あまりに切なかったので、その胸の痛みを持て甘しかねたので、とりあえず自分の脳内だけに住んでいた清楚なリリーに別れを告げた。そんなものは幻想だったのだ。
せめて男たちが挙って言った、その柔らかさとやらを一度は堪能してみたかったな、と思ったのは男として至極全うな考えで、しかし貢いだのは食事代程度で済んで良かった、と自分を慰めてみる。
不幸中の幸いとはこの事だ、と無理矢理に唇を歪ませて、仕事へ戻ろうと歩き出すジェイクの心境は、本日の天気と同じくどんよりとしていた。
ジェイクは国境警備隊だ。
騎士となるべく王都の騎士学校で貴族の子弟と肩を並べて学び、遊び、それなりに真面目にやってきた成果として無事に騎士団の見習いへとこぎ着けた。
しかしこの階級社会、幾ら同じ騎士になれたとてその中にも身分差は当然生じる。やんごとない貴族は安全な場所、その他大勢は危険な場所へ。騎士となって陛下に忠誠を誓う事自体には何の違いもないのに、その先には大きな隔たりがある。
端的に言えば、王都には貴族が集中して、国境警備隊となる辺境の部隊には庶民が集中する。隊長など管理職として例外もあるが、それが騎士団の暗黙の了解として成り立っていた。
「…今日は、早番だったから、ちょうど良いと思ったんだけどな」
リリーの緩やかなウェーブがかった茶髪を思い出して、ジェイクが呟く。
根っからの庶民、叩き上げのジェイクは、貴族というものに憧れはなくとも騎士団には憧れを持っていた。
偏に格好良いからだ。
王を守り、人々を守り、街を守り、国を守る。馬を駈り、魔物を仕留める。ときめきしかない。
子供の頃にパレードを見て、鍛冶屋の息子のジェイクは決意した。自分もいつかあの格好良い服を着るのだ! と。
幸い実家が鍛冶屋であったので、武器の入手は容易い。怒られはするが手にする事は出来る。これは訓練なのだ、怒られる筋合いはない。何度も父を説き伏せ、豆を潰し、我流で剣を振り続けた。
庭の樹が二本ぼろぼろになり、壊した窓の数が両の手では数えきれなくなった頃、父はとうとう諦めた。騎士学校に通っても良いと頷いたのだ。
それは、ジェイクが大きくなって分別が付き、破壊活動を辞める事を待つよりも、騎士学校の学費の方が安いとげっそりとした顔で母が算盤を叩いたからかもしれない。
ジェイクは家計を圧迫する事に申し訳ないと思いながらも、純粋に喜んだ。憧れの騎士への第一歩なのだ。その頃には既に懇意となっていた硝子職人は少し残念そうな顔でジェイクを見たが、気にはしなかった。年々派手になっていく飾り硝子を喜んでいたのは幼い妹だけであったし、庭の樹を見るなり「この家では鹿でも飼っているのか?」と驚いた硝子職人をジェイクは好きになれなかったのだ。剣の跡だと言うのに、獣の食事跡と勘違いするとは何事かと憤慨していたので。