虚空に潜む
「どういうこと……? あたしの魔力あげたら魔導術が使えるようになるの……?」
「苦し紛れだけどできないわけじゃない」
「なによそれっ……そんなことできるんだったら最初から言っといてよ!」
「ごめん。なんの憂いもなければそうしてたんだけどな」
「なにか問題があるのか?」
「……まあ、いろいろと。ともかくいまは急ごう。文句はそのうち聞いてやるよ」
「どうすればいいのっ?」
「魔力を放出してくれればいい。あとは俺が受け取る」
ユーリはそう言ってアイリスの手を取った。白く柔らかな手のひらが微かに強張り、けれどすぐに指先を絡めあわせてぎゅっと握り返してくる。
「じゃあ行くよっ?」
目を閉じたアイリスが意識を集中させて魔力を放出させていく。キィンと金属を打ち鳴らすような音を鈍く響かせて手のひらのあいだから励起されたフェアリーの光が漏れだし、ユーリは解放経路を開いてそこから流れてくる魔力を取りこんでいった。
「っ……」
その途端に頭の内側へ細い針を突き刺されるような鋭い痛みが走った。強烈な吐き気がして流れこんでくる魔力を拒絶するように鼓動が強く胸を叩く。
やっぱり、かなり来てるなこれは……。
二人を動揺させてしまわないように呼吸を止めて必死で声を押し殺して痛みに耐えていく。
魔力の受け渡しは法律で禁じられていた。
それは一度空気中へ放出された魔力がフェアリーと結合することで汚染されてしまうせいだった。
ただでさえ魔導術の扱いには杖の使用が必須であり、他者の魔力を取りこむのは素手で魔導術を使うこと以上に危険な行為だ。
それは魔導士としても、人としても寿命を縮めることになる。
だがユーリにとって幸運だったのはアイリスがいたことだった。
彼女はこの世界に転生したばかりで魔導術を使っていなかったため、その魔力はフェアリーの汚染を受けておらずとても澄んでいた。
それでも放出したそばからフェアリーと結合してしまい純粋な魔力として吸収できる量はごくわずかであり、既にかなりのフェアリーを内包していたユーリにとって魔力の補給はかなりの苦痛を伴う作業だった。
このまま頭が弾け飛んでしまうのではないかと思うほどの激痛とその中で鉄球を転がされているような目眩。
続けていれば意識を失ってしまいそうな予感を感じたユーリは堪えきれずアイリスの手を離した。
「え、どうしたのユーリくん……? まだあげられるよ……?」
「いや、もういい……ど素人のくせにけっこう持ってるんだなお前……」
怪訝そうにするアイリスへ首を振り、痛みを悟られないように平静を装いながら額を押さえゆっくりと息を吐いて少しずつ魔力を身体に馴染ませていく。
得られた魔力は決して多くはなく、それに加えて日頃から使っていないため仕方のないことだったが魔力の濃度が極端に薄かった。
けれど充分だ。どうせアイリス以外の魔力では身体の方が持たない。
「大丈夫なんだよね……? ちゃんと帰ってきてくれるんだよねっ……?」
「心配すんな。この俺が遅れを取るわけないだろうが」
「もう取ってるじゃないの……!」
「……そうだったな」
ユーリは小さく笑うと道端に転がっていた杖を拾い上げた。
町の外からぼんやりとした圧力を感じた。しばらく手放していた感覚を確かめるように目を閉じて魔力の対流に意識を向けていく。とても大きな魔力の波動がこの町へ近づいてきていた。
「……よし、行くぞヴィオラ。アイリスも頼んだぞ」
「ユーリくんっ……」
「心配するなアイリス。ユーリにはわたしもついてる」
「信じてるからね……? うそついちゃやだよっ……?」
「なら必死で応援でも……あぁ、いや」
そんな軽口はふさわしくない気がして、ユーリは思い直してため息をつくとアイリスの頭に手を乗せた。
「ちゃんと帰ってくる。約束だ」
「なによ、かっこつけちゃって……」
「こんなときくらいしか決まらないしな」
「……別に、かっこよくなんか、ないし……」
そっと撫でる手のひらの下でうつむいたままでいたアイリスがいまにも泣きそうな顔でユーリを見つめた。
だから、ユーリは少しだけ冗談めかして笑いかけてみた。
「この俺が最強の転生者だってところを見せてやるよ」
微かにうなずいたアイリスの頭をぽんと叩くと、ユーリはヴィオラと顔を見あわせ駆けだしていった。
町の中には断続的に魔物が現れているらしくところどころで小規模な戦闘が起こっていた。そちらへ引きつけて少しでも魔導士の援護を断とうという狙いだろうか。
おそらく兵士たちでも数で押せばあの魔物は倒せる。戦力的な心配はいらないとは思うが自陣に容易く侵入される状況のまま長引かせるのはまずい。
急戦で終わらせなければならなかった。こちらとしても長期戦は不可能だ。
「身体は大丈夫なのか」
そんな中、大通りまで出て町の出口へ続く坂道を駆けあがっているとヴィオラが目の前の地面を見つめたままおもむろに訊ねてきた。
「大丈夫だよ」
「だがつらそうにしていただろう」
「……いまさら隠そうとは思ってないけど、泣き言を吐くつもりもないからな。それに、ヴィオラお姉ちゃんが頑張ってくれるんだろ?」
「……ああ、わたしに任せておけばいい。無茶はするな」
このときだけはそれがなんの意味も持たない言葉であることをヴィオラもわかっていたのかもしれない。口振りとは裏腹にその表情には不安を振り払おうとしているような素振りがあった。
大丈夫。
ヴィオラの精霊魔法があればすぐに決着がつく。こっちはその手伝いをするだけだ。
町の外へ通ずる門までやってくると詰めかけていた兵士や魔導士、非戦闘員である士官たちが迎撃の準備をしており外壁の上に繋がるスロープから何門ものバリスタが運びこまれていた。
魔導術の発展したこの世界では大砲などの火器はあまり普及していない。
兵器としてはあるもののそれに代わる存在として魔導士がいるため、少しでもフェアリーの働きを阻害しないように扱われる兵器は文明に反して原始的だった。
二人が到着すると士官たちへ声高に指示を出していた将校がこちらへやってきた。さっき会議で顔を合わせた初老の男だ。
「ユーリ殿、お待ちしておりました」
「敵は?」
「まだ姿は確認できておりません。ですがそう遠くない場所にいるはずです」
「わかった。門を開けてくれ。誰もついてくるなよ」
「本当にお一人で向かわれるんですか……?」
「……その話はもう済んでいるはずだ。急いでくれ」
反論を許さない高圧的な口調で言うと将校は躊躇いを残した様子でユーリの顔を見つめていたが、やがてうなずくと振り返って兵士へ門を開けるよう指示を出した。
「ユーリ、敵の姿が見えたらすぐに歌う。だからそれまで時間を稼いでくれ」
「いったいどんな恥ずかしい歌なのか楽しみにしてるぜ」
「……ばか、早く行け」
ヴィオラは呆れたような微笑を浮かべるとユーリの背中をぽんと叩いて外壁の上に続く階段へ走っていった。
そうして堅く閉ざされていた門がゆっくりと開きはじめ、気を引きしめて歩きだしたユーリへ周りにいた士官たちが口々に声援を送っていく。
その期待と不安が入り混じった眼差しを受け止めながら杖を握り直し、堀にかかる橋を越えたところで門が閉じられていった。
ユーリは平原を進んでいきながら転生者たちの姿を探した。
魔力の波動は近い。けれど分厚い雲に覆われて月明かりの届かない闇の中に紛れているのかそれらしき影が見当たらなかった。
ここで待っていればいずれ出てくる。きっと向こうもユーリが出てくるのを待っていたはずだ。
風が吹いていた。
辺りに漂う静寂が身体へまとわりつき背後から届いてきていた喧噪が遠ざかっていく。
ある程度町から離れたところで立ち止まると、ユーリは目を閉じて魔力の対流に少しずつ意識を溶かしていった。
拡散して混ざりあっている魔力のわずかな濃淡。それを辿っていけば相手の位置や人数を掴み取ることができる。
アイリスの魔力が完全に身体へ馴染んでいないせいで手繰り寄せた気配は霞みがかった不透明さがあったが、ユーリがその違和感へ気がつくのにそれほどの時間はかからなかった。
ゆっくりと目を開けて平原を包む暗闇に視線を走らせていく。
数が少ない。城からいなくなった魔王たちの人数が足りていなかった。
転生者のもとから逃げだしたのか、それとも複数に戦力を分けたのか。
胸中にそんな疑問が浮かんだ瞬間だった。
平原の真ん中で不自然に陽炎のような景色の歪みが起こった。
「っ……!」
それと同時になにかが飛来する気配を視認するよりも先に魔力の揺らぎで感じ取り、けれどなんの予兆もなかったせいで防御魔導を使う余裕がなく反射的にその場を飛びのいたユーリのそばを大きな弾丸のようなものが高速で掠めていく。
思わずユーリは舌打ちをした。その軌道が自分だけを狙っていたものではなかったからだ。
「ヴィオラっ……!」
背後を振り返ったユーリのもとへ鈍く爆発するような音が届いた。
こんな不意打ちすら捌けなかったのは長らく戦いから遠ざかっていた衰えか、それとも精霊魔法さえ決まればという油断か。
どちらにしてももう遅い。
アンスリムを囲う外壁が無防備なまま撃ち貫かれ、大気を揺るがす衝撃と共にそこにいた全員を巻きこんで土煙を上げながら崩れ落ちていこうとしていた。




