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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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重ねた日々に

 給湯室でめそめそしていたヴィオラを呼び戻してきたユーリたちはマリーの案内で屋敷の二階にあった仮眠室へ足を運んだ。


 官舎はユーリたちのことを知らない兵士たちが寝泊まりする場所でもあり、正式な手続きを行う時間もないいまは余計な面倒を避ける意味でも使わない方がいいという判断だ。


 応接室を兼ねた狭い一室には小さなテーブルを挟んで二人掛けのソファーが置かれており、部屋の隅に何枚かの毛布が積み上げられていた。マリーはちゃんと身体を休める場所を提供できなかったことを詫びると仕事に戻っていった。


 ユーリはテーブルに鞄を置くとその中からさっきの店で購入したサンドイッチを取りだして二人へ手渡した。だがアイリスはソファに腰かけて膝の上に袋を置いたままどこかぼんやりとした表情を浮かべていた。


「ユーリ、わたしは彼らの手伝いに行ってくる」


「寝ないのか?」


「エルフは人間と違って毎日寝なくちゃならないわけじゃないんだ。ソファも人数分ないしわたしのことは気にせず休んでてくれ」


「無理するなよ。お前が主力なんだから」


「わかってるさ。アイリスもちゃんと身体を休めるんだぞ?」


 ヴィオラはそう言うとサンドイッチの入った袋を掴んで部屋をあとにした。


 何事もなかったかのような素振りだったが、彼女の中ではもう既にある程度の気持ちの切り替えが済まされているのかもしれない。野暮な言葉をかけるつもりもなかった。


 外からの喧騒は相変わらず止んでいなかった。窓からその様子を窺う気にもならずユーリはソファに座ると黙って食事を済ませ、毛布を数枚テーブルまで運び一枚を枕代わりにして丸めて置くと上着を脱いだ。


 向かいに座っていたアイリスはサンドイッチにも手をつけず早々に寝る支度をしたユーリをじっと見つめていた。それに気がついたユーリは毛布を身体にかけながら相手を見返した。


「食べないのか?」


「……食欲がなくて」


「無理にでも食べた方がいい」


「うん……」


 アイリスは小さく苦笑いしてからゆっくりうなずくとサンドイッチの封を破って一切れ取りだした。けれど口へ運ぼうとはせず、手に持ったまま出来具合を確かめるようにじっと生地の表面を見つめながらおもむろに口を開いた。


「ねえ、ユーリくん」


「ん?」


「ユーリくんとナーガちゃんってどういう関係なの?」


「……前に話してなかったっけ」


「簡単に教えてもらっただけで詳しくは聞いてないよ」


「そっか……そういやその辺のことは全然話してなかったかもしれないな」


「訊いてもいい? どうして二人が知りあったのかとか、お城でなにしてたとか、そういうの」


 ユーリは小さくため息をつくと寝転がって両手の上に頭を乗せた。


「レゼッタが教えてくれた話、覚えてるか?」


「あ、うん……えーと、転生者の人と戦ってユーリくんがお城壊したんだよね」


「俺が気がついたときにはもう周りが瓦礫だらけになってたんだ。前に話したフェアリクス病の影響で記憶がなくなってて、まずいことが起こったって予感だけがあって。それでとりあえず城の周りを歩いてたら首を吊られてるナーガを見つけたんだよ」


「……え?」


「ほんとだって。それがあいつとの出会いだ。つっても全然死にそうな気配はなかったけどな」


 アイリスは疑うような眼差しでこちらを見ていたがユーリがなにも言わないでいるとやがて信じたように眉をひそめながら相槌を打った。


「それからナーガが俺についてくるって言いだしたんだ。そのときはまだ目的とか定まってなかったんだけど、あいつは転生者を倒して俺の魔力を取り戻す気になっててさ。それで何日かかけて定期船でこの町に着いたんだ。本当ならナーガとはそこで別れて一人で町を出る予定だったんだけど、なんだかんだで一緒にいることになってお前と出会ったって感じかな」


「別れるつもりだったの?」


「最初はな。あいつが一人でちゃんと生活できるような奴ならそのままだったと思う」


「そうだったんだ……」


「話せるのはそれくらいだよ。あいつが城でどんな生活をしてたかは俺も知らないんだ。城の管理は他の連中に任せて引きこもってたから」


「なんで」


「……表面上は俺の配下って顔してるけど、あの城にいた奴ら全員俺の命狙ってたんだぞ。実際に寝込みを襲われたことだって何度かあるんだ。そんな場所で呑気に歩き回ったりできねえよ」


「え、なにそれ……ユーリくんそんな場所で何年も住んでたの……?」


 その光景を自分に当てはめるようにアイリスは天井を見上げながら深刻な顔をしていた。


「まあ、注意してれば寝首をかかれるようなことにはならなかったよ」


 ただ、そのおかげでずいぶんと性格はひねくれてしまった気がするが。


「ナーガちゃんは、なんでユーリくんのことをあんなに慕ってくれてるの?」


「俺の方は覚えてないけど前にあいつのこと助けたことがあるらしいんだ。その恩返しがしたいんだとさ」


「……ユーリくんはナーガちゃんのことどう思ってるの?」


 ほんの少しだけ低くなった声のトーンに振り向く。なぜだかこちらをじっと見つめるアイリスの瞳は不安げな光で揺らめいていた。


「なんだよいきなり」


「あの、ほら……ナーガちゃんはユーリくんのことを一番に考えてくれてるでしょ……? ユーリくんはあの子のことどう思ってるのかなって」


「……頼りになる奴だと思ってるよ。まだそれほど長く一緒にいるわけじゃないけど、信頼もしてる」


「そう……」


「好きか嫌いかで答えた方がよかったか?」


「ううん、そういうつもりで訊いたんじゃないの」


 アイリスは首を振るとサンドイッチを袋に戻して膝の上に目を落としていた。聞こえてくる喧噪は鳴り止まず、けれどその中に鐘の音だけがなくなっていることに気がついた。


「……あたしね、この世界に来てから何日か一人で過ごしてるあいだ、ずっと不安だったの。見たことない場所で、知りあいが誰もいなくて、うそみたいな出来事に巻きこまれてるかもしれないっていう予感だけがあって。もしもこの先もずっともとに戻らなかったらどうしようってすごく怖かったの」


 話しながらもそれを口にすることを躊躇うように声は小さく、窓の外から通り抜けてくるささやかな喧騒にさえ紛れこんでしまいそうなほど頼りなかった。


「でも、二人に出会ったおかげでちょっとだけ気持ちが楽になったんだ。朝起きたときにちゃんとみんながいてくれてとっても安心してるの。もしかしたらユーリくんたちはあたしのことお荷物だって思ってるかもしれないけど……あたしは、これからもずっとみんなと一緒にいたい、から……」


 そう言ってアイリスは顔を上げた。ぎゅっとワンピースの裾を握りしめたまま、思い詰めた表情でユーリの瞳をじっと覗きこんだ。


「だから……その、ナーガちゃんのこと、信じてあげてね……? きっと、ユーリくんが信じてあげなくちゃだめだと思うの」


 胸の奥に形のない小さな不安が漂っていた。なにかを口にしてしまえば輪郭を伴って目の前に現れてしまう。そんな微かな恐れが言葉を飲みこませてしまい、ユーリはただ曖昧な表情で相手を見返すことしかできなかった。


 気まずさを感じたように床を見つめながら小さな声でアイリスが謝った。


「あはは……なんか変だよねあたし。ごめんねユーリくん、なんでもないの。寝るの邪魔しちゃってごめんね、もう静かにしてるから」


 そうしてサンドイッチに手を伸ばしてもそもそと食べはじめると、それっきりアイリスは一度もこちらを見ようとしなかった。ユーリは少しのあいだ彼女を眺めていたが、やがて背を向けると目を閉じた。


 ナーガはいまも病院で苦しんでいるのだろうか。そんな痛みも忘れてただ眠っていてくれればいいと願った。

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