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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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夕暮れの港町

 男たちの話によれば一時間ほどでリーンに着くということだったが、地平線の先に町が見えてきたのは空が茜色に染まりはじめた頃だった。視界を塞いでいた山脈群が徐々に背を低くしていった先には広大な海が顔を覗かせ、その手前にリーンの港町が一つの大きな影となって姿を見せていた。


「ナーガ、そろそろ着くぞ」


「んぅ……」


 背中で寝息を立てていたナーガを肘でつつくと、小さく声を漏らしながらもぞりと身じろぎした。


「あ、魔王様……おはようございます」


「目は覚めたか?」


「はあ……ナーガはとても幸せな夢を見ていたような気がします」


 どすんっ。


 馬の足音に混じってなにかくそ重たい物体が地面に落下する音がした。ついさっきまで息も切れぎれだった馬が途端に軽やかな歩調で走りだす。ひひん、と機嫌のよさそうな声で鳴いた。


 少し行ったところで馬を翻すとナーガは顔面から平原の上に落っこちており、のっそりと身体を起こしたあとにはぽっかりと人型のくぼみが地面に残っていた。土まみれになった顔を上げてこっちへ向かって手を伸ばしてくる。


「お待ちください魔王様。ナーガはここです」


「そのため息はよせって言っただろ」


「すみません、つけ上がってしまいました」


 立ち上がって顔の汚れを服の袖で拭うとぺしぺしとお尻をはたく。そっちは汚れてないだろ。ユーリは夕焼けを見上げながら疲労の混じったため息をついた。


「結局夕方になっちまったな。さっさとなにか食べに行こうぜ」


「はい」


 返事をしたナーガが戻ってくるなり馬は小さく悲鳴のようないななきを挙げて逃げようとしたが無情にもがしっとしっぽを掴まれていた。そのままよじ登られるとなんだか途方に暮れたような顔で首を振っていた。目線を行ったり来たりさせて忙しなく耳を動かしながらとぼとぼと歩きだす。


 町の周囲を要塞のように巨大な壁がぐるりと囲んでいた。近くまで来るとその大きさは見上げるほど高く、町の位置を知らせる目印代わりの妖精灯が等間隔で壁の途中に設置され淡い光を放ちはじめていた。


 外壁にぽかりと開いた門から町の中へ入っていくとナーガへ先に行って待っているように言い、馬を降りて門番に立っていた男のもとへ向かった。森で人が倒れていたというような話を適当に辻褄を合わせて説明すると馬と一緒にあとの対応を任せることにした。


 こんな辺境の町にいるかどうかは疑わしいが、本来ならば彼らは神官と呼ばれる魔導士へ引き渡すべきだった。神官とは罪を犯した疑いのある者を尋問することに特化した魔導士であり、この世界での犯罪は現行犯を除きすべて魔導士を介して証明をしていくことになる。けれど一応はこちらもお金を奪っているので黙っておくことにした。向こうもわざわざ事を荒立てたりはしないだろう。それで困るのは向こうも同じだ。


 そうして待たせておいたナーガのもとへと戻ると、彼女はぼけっとした表情で通りの真ん中に立ち尽くしたまま町の景色を眺めていた。


「どうした」


「たくさん人が歩いています」


「そりゃこの辺りじゃ他に住めるとこないからな」


 道路は完全に整備されておらず地面がむき出しになっており、密集した家々や商品を店先に並べた商店が立ち並んだ通りの先に目を向けると途切れた外壁の向こうは夕日を受けてきらめく海が広がっていた。


 ふわりと海のにおいを乗せたそよ風が緩やかに流れ、夕暮れ時の賑やかな雰囲気で溢れた通りには買い物をしている女性や少し離れた広場で遊ぶ子どもたちの姿が見える。都市から離れた寂れた町ながらもどこかあたたかみのある景色がそこにあった。


 ……とはいうものの、首都の方まで行くと車やラジオといったわりかし近代的な文化圏が広がっているのでここはかなり貧乏で取り残された感のある町となってしまうのだが。転生者が持ちこんだ生前の世界の技術が時折流れこんでくるためこの世界は勝手なイメージを抱いていると度肝を抜かれる光景に出くわすことがある。


 外壁はその町の規模を表す一つの指標ではあるが、この町は見た目のわりにしっかりとした外壁で覆われているようだった。


 この世界の町は魔物の侵入を防ぐためにだいたいどこの町にもこのような外壁が周りを囲んでいる。人々の生活圏はこの狭い町の中に閉ざされているものの、それと引き換えに根強い信仰によって良好な治安が維持されており町の中に住んでいる限りは充分な安全が約束されていた。


 昼間の連中のような他人の命を脅かす輩もごく稀にいるにはいるが、基本的にこの世界の人間たちは他人に対して思いやりを持った者が多い。


「はじめて来ました。こんなに人がたくさんいるところ」


「城に来る前はどこにいたんだよ」


「……ナーガが住んでいたのは小さな村でしたので」


 遠い記憶を懐かしむようにうつろげな瞳が町を眺めていた。そうして不意にナーガはそっと、微かに口元に不敵な笑みを浮かべた。


「ふっふっふ。それでは手っ取り早くこの町を乗っ取り人間どもを恐怖のどん底に陥れてやりましょう、魔王様」


「悪の手先かお前は」


「違うんですか」


「多少の慈悲は持ち合わせてくれよ、一応同じ種族なんだから」


 いったいなにがこいつをそこまで歪ませたのだろう。魔王城でトイレ掃除なんてさせていたせいだろうか。いつの間にか人類の天敵になってしまっていそうで責任を感じてしまう。


「ところで魔王様、お腹が空きませんか」


「そうだな……宿を探したらなにか食べに行くか」


「ではさっそく参りましょう」


「その前に」


 てくてくと歩きだそうとしたナーガが振り返る。


「人前では俺のことを魔王と呼ぶな」


「なぜですか」


「信じる奴はいないだろうけど面倒なことになるのは目に見えてるからだよ」


「ご主人様」


「……」


 それも微妙だ……。


 互いの身なりを比べればとてもしっくり来るけれど。


「……適当にあのーとかすみませんとか呼びかけろ。それでわかるから」


「はい」


「くれぐれも魔王様とか言うなよ。絶対だからな?」


「わかりました、絶対ですね」


 寝ぼけた顔でしっかりとうなずく。


「よし……」


 これだけ言っておけば大丈夫だろう。


 そうしてユーリたちは宿の看板を探して通りを歩きはじめた。そもそも町を渡り歩くような人間が少ない地域のせいか辺りを探しても見当たらなかった。


 具体的な場所を知っていた者はあまりいないだろうが魔王の城が近くにあったのだからそれも当たり前だ。あそこは最終的にユーリが配下にした魔王のいた城だが、それ以前はこの辺り一帯の空気が死んでいた。港町を船が行き来するようになったのもユーリが魔王になってからの話であり、発展の乏しい街並みも仕方のないところだった。

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