安らぎの中で
荷物の中にあった魔物の死骸を捨て、ユーリたちは森の入り口にほど近い場所まで戻ってきていた。
「な、なあ……悪かったって思ってるからさ、助けてくれよ……!」
「怪我もしてるんだ、ほっといたらひどくなっちまうよ……!」
頭上から男たちの情けない声が降ってくる。二人はナーガの手によって大木から伸びた枝にロープでぶら下げられていた。出発の支度をしていたユーリは二人の泣き言がある程度止んだところで顔を上げた。
「ここから一番近い町はどこだ」
「リーンだ、西へ一時間くらい馬を走らせたとこにある……! なあ、頼むよ……!」
「リーンだって……?」
ユーリは自分の耳を疑った。なんでそんなとこにいるんだ。頭の中で地図を整理する。リーンが西にある場所といえば城の裏手、とても歩いては通れないような崖だらけの岩山地帯を越えていった先だった。とてもじゃないが信じられない話だ。こいつのことだから山の麓に広がる森をいくつか通りすぎて山越えしたつもりになっているのかと思っていたけど、まさか本当にあの山を一晩で抜けたのだろうか……。
「ナーガ、お前ほんとに魔導術は一つも使えないんだな?」
「使えませんとも、ええ」
なぜか胸を張りながら言う。リーンはユーリが最終的に行くつもりだった港町の名前だ。本来なら城からロズへ行き、そこでもう一つ町を中継してぐるりと山岳地帯を迂回しながらリーンへ向かう行程が普通なのだが。こいつほんとどうなってんだよ。健脚なんてレベルの話じゃないだろ。
「どうしました」
「別に」
寝てる間にいったいどんなことが行われていたかものすごく疑問が残るところだが、ナーガのすっとんきょうな思いつきで大幅に近道ができたのは紛れもない事実だった。調子に乗らせるのも癪なのでユーリは黙っておくことにした。
そうして男たちの荷袋の中からお金の入った小箱を見つけると、それ以外の荷物をすべて馬から下ろした。商人というだけあってけっこうな額を持っており、ぎっしりと詰まった札束は百万ディールくらいはありそうだった。どうやら今晩はいい宿に泊まることができそうだ。馬を一頭拝借してもう一頭の馬も繋いでいたロープをほどき自由にさせる。
「お嬢ちゃんからもなにか言ってくれよっ、詫びならなんでもするからさ……!」
「ナーガに言ってるんですか」
「そうだよっ、助けてくれ……!」
「ふっふっふ、無様ですね。下等な人間どもに抱く憐みなどナーガは持ちあわせてはいないのですよ。魔王様、さっそく火をつけましょう」
力の抜けるような高笑いをしてどこかへ歩きだそうとしたナーガの首根っこを捕まえる。
「やめろ」
「魔王様、首が絞まってます」
「冗談言ってるひまがあるならさっさと馬に乗ってろよ」
「旦那ぁっ!」
「ちょっと待ってくださいよぅっ!」
二人仲良く宙吊りにされた男たちが泣きそうな顔でぶらぶらと揺れる。
「ところで魔王様、二人は誰なんですか」
「事情も訊かずによくノリノリで宙吊りにできたなお前……」
「魔王様のご命令でしたので」
「俺たちをさらおうとした悪者だよ。ほっとけばいい」
「……そうですか」
「ほら、行くぞ」
「はい」
うなずきながらユーリが手綱を持った馬に近づいていく。途端に馬は血相を変えて悲鳴を挙げながらじたばたと暴れだした。
「……そんなに重かったのかな」
「どうどう。ナーガは悪者ではありませんよ」
ユーリも一緒になってなだめようとしてみたがかわいそうになってくるくらい馬は嫌がっていた。あまり気にせずナーガが跨るとようやくあきらめがついたのか馬は大人しくなったが、よく見るとその身体は微かに震えていた。大丈夫かこれに乗っても。
「町に着いたら人を寄越してやるよ。助けてほしけりゃそいつにでも頼むんだな。まだ生きていれば」
「くそガキャアッ、覚えてやがれっ!」
「今度見つけたらぶっ殺してやるからなぁっ!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる男たちを無視して手綱を引く。きっと、普段はそれなりに真面目に働く商人だったのだろう。こんな誰もいない平原でおいしい獲物を見つけて目が眩んでしまっただけで。あまり野放しにしておいていい連中ではないのだろうが、たんまりと金も頂いたのでそれで手を打つことにした。
「はあ、今度は魔王様のお背中から抱きついてしまいました。ナーガは幸せです」
「今度そのため息ついたら突き落とすぞ」
「以後気をつけます」
森を離れて馬を走らせていく。けれど後ろのナーガが重いせいかそれほど速く走ってくれなかった。さらに後ろから聞こえていた罵詈雑言の嵐も徐々に平原の向こうへと遠ざかっていく。危うく死ぬところだったが、おかげで当面の資金は調達できた。あとはリーンから出ている定期船に乗って大陸の中央部に渡れば行き先はいくらでも見つかるだろう。
そのとき背中にとん、とナーガの頭がぶつかった。
「すみません、ついうっかり。突き落とさないでください」
「眠いのか」
「……いえ、平気です。起きてます」
「寝てろ。町に着いたら起こしてやるから」
その言葉にナーガはなにも答えず少しの沈黙があった。どうしたのかと振り返ろうとした背中にそっと、ささやかにぬくもりが重なった。
「ありがとうございます、魔王様」
少女らしからぬずっしりとした重さを感じながら。ほんと、不思議な奴だな。ユーリは黙って前を向いたまま、ナーガが落ちてしまわないようにその手を掴んだ。