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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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甘いケーキと琥珀色

 あれから三時間ほどみっちり魔導術を解放させる練習をした辺りでアイリスの魔力がなくなってしまい二人は町へ戻ることにした。


 穏やかに揺れる水面が日差しを受けて海をきらきらと輝かせており、緩やかな海風を乗せてアンスリムを通り抜けていく。行き交う人はまばらで午後の町はどこかのんびりとした時間が流れていた。


「これからどうする? 散歩したいって言うんなら先に宿に戻ってるけど」


「そんな体力もうありません……」


 すっかりへとへとになってしまい気だるげに後ろをついてきていたアイリスがげんなりした様子で答える。


 魔力を消費すると精神的な疲労が押し寄せる。練習の途中から口数も激減してしまい、いま彼女には極度の倦怠感と息苦しさが襲いかかっていることだろう。


 魔導術の解放はできなかった。ここまでは意外と順調に魔力を使えるようになり聖剣の力を解放させられるまでになっていたのでもしかしたらという期待もあったが、そう都合のいい話ばかりではなかったようだ。


 とはいえもともと簡単に身に着く技術じゃない。魔導術に対するやる気が消えてなければそれでよかった。


「じゃあ宿に帰るか? 夕飯まで寝ててもいいぞ」


「……あそこ行きたい」


 じっとりと睨みつけるような目つきでこちらを見返していたアイリスが意気消沈した表情で通りの向こうを指さした。通りに面したウッドデッキに並んだ席で何組かの客たちがお茶を片手に談笑している。オープンテラスの喫茶店だった。


「甘いもの食べたい。いいでしょあたし今日もたくさん頑張ってたよね?」


「ケーキなら別にあんなとこじゃなくても……」


 買って帰った方が安く済むんだけど。


 そう言いかけたところでアイリスが眉間にしわを寄せたのでユーリは言葉を飲みこんで店を見返した。彼女にとってはあの店で食べることに意味があるのだ。


「……まあ、いいか。俺も話したいことがあったし」


「話したいこと?」


「一休みしたら言うよ」


 店に入り一度カウンターで注文をしてから外のテラスで席に着く。急に元気を取り戻したアイリスはすっかり上機嫌になったようでにこにこしながら頬杖を突いて目の前の通りに視線を投げかけていた。


「中世なのにこんな現代ふうなお洒落な喫茶店もあるんだね。実は前からここ来たいなーって思ってたの」


「都会の方行けばもっと栄えてるよ。電気通ってるし」


「え、電気? うそ、電化製品とかあるの?」


「アイリスの想像してる通りじゃないかもしれないけどこの世界はそれほど文明が遅れてるわけじゃないんだ。転生者がそういう知識を持ちこんだりするみたいで」


「あ、そっかたしかに……でもそれならなんでここには普及してないの」


「魔導術が使えなくなるからじゃねえの。詳しい理屈は知らないけどそういう開発が進んでるとこってフェアリーがいなくなっちゃうんだ」


 地面から湧きだしているとされているフェアリーは星の命とも呼ばれており、それらが完全に消失している土地は徐々に荒れ果てていきやがて自然の力が及ばない荒廃した大地に変わっていく。


 人工的に生みだされるエネルギーが影響を与えているのではないかと言われているがそれを調べるためには町一個用意するくらいの大規模な実験が必要なためあまり研究は進んでいなかった。都会は便利で栄えている場所ではあるもののその周辺は荒野の様相を呈しており、そんな場所にさえも時折現れてしまう魔物に対しては完全に無力でその脅威に常に晒されていた。


「いつか行ってみたいな。だめ?」


「機会があったら行ってもいいけど先の話になるだろうな」


「そっか……でもよかった。そんなに変わらない場所もちゃんとあるんだね」


 見慣れた生前の世界を思い描くようにテーブルの上にそっと目を落とす。生きやすい場所は人によって様々だ。世界の中では田舎の部類に入るこの町をユーリはそれほど嫌ってはいなかったが、アイリスにとっては退屈な町に感じられるのかもしれない。


 やがて店員が二人分のケーキとカップとティーポットを持ってきてテーブルに置き笑みと一緒に一礼して店内に戻っていった。アイリスは魔力消失の疲れを忘れたように感激の声を漏らした。


「わー可愛い。お茶淹れてあげるね」


 並んだガトーショコラとイチゴのショートケーキをきらきらした瞳で見つめながらティーポットに手を伸ばす。


「それで、話ってなに?」


 そうして空のカップへこぽこぽと琥珀色の紅茶を注ぎながらこちらに笑顔を向け、ユーリはそれとなく姿勢を正してこほんと咳ばらいをした。


「近いうちに例の転生者がこの町を襲いに来ます」


 こぽこぽこぽこぽ……。


 笑顔のまま固まってしまったアイリスのティーポットから止めどなく紅茶が注がれていく。やがてカップから溢れソーサーさえも紅茶で満たしながら次第にテーブルを水浸しにしてしまい、その辺りでユーリは手を伸ばしてポットの口を持ち上げた。


「アイリス?」


「……あ、やだごめんなさいあたしったらついぼーっとしちゃって。で、なんだっけ?」


 再びこぽこぽとティーポットを傾けて紅茶を注ぎはじめ、そうしてポットが空になる頃にはテーブルクロスが紅茶でびしょ濡れになってしまっていた。別の席で注文を取りに来ていた店員がそれに気がつきおしぼりを持ってきますと言い残して引っこんでいく。


「転生者がここへ来るんだよ」


「えーっと、お話がよく見えないんだけど、どういう意味? うふふ、ユーリくんってば説明不足なんだからー」


 アイリスは冗談めかして笑いかけながら上品にカップとソーサーを持ち上げたものの、見るからに震える指先が陶器を鳴らしカップからぴちゃぴちゃと紅茶が零れていく。


 大丈夫かこいつ。


「二人には昨日話しておいたけどそいつ俺のことを殺したがってるみたいなんだ。たぶん俺のフェアリー結晶で生きてることがばれたんだと思う。で、ある程度魔力を集めたらここへ来るつもりらしい」


「えーなんでそんなことユーリくんが知ってるのー? やだなー想像でそんなほんとっぽく話さないでよー。誰かが直接伝えに来たわけでもないくせにー」


「仲間にしてた魔王が直接伝えに来てたんだよ。頼むからそろそろ現実を見てくれ」


「い、嫌よ! ななな、なんなのそんな爆弾発言なにもこんなタイミングでしなくたっていいじゃない!!」


 急に声を荒げて立ち上がったアイリスに周りの客たちの視線が突き刺さる。おしぼりを持ってきた店員が不穏な気配を察して気遣わしげに声をかけ、アイリスは小さな声で謝って座り直した。替えのクロスを敷き直してもらいユーリは紅茶のおかわりを注文した。


「うそでしょなんで急にそんな話になっちゃってるの……」


 ケーキと紅茶には目もくれず頭を抱えてテーブルを見つめながら青ざめた顔でぶつぶつと呟いている。ユーリは脚を組むとため息混じりに相手を見返した。


「悪かったな。聞いたのは三日前だったんだけどお前も聖剣を使えてなかったし言いだせなかったんだ」


「え、ちょっと待って……なにそれ、聖剣使えたらなに……? まさかあたしに戦えって言ってるの……?」


「あいつに立ち向かえる力があるのはアイリスだけなんだ」


「嫌よ……! 心の準備だってできてないしっ……そんな、急にそんなこと言われたって、困るよ……怖いもん!」


「ナーガもヴィオラも一緒だ。それにこの町の魔導士たちも戦ってくれる。一人じゃない」


「そういう問題じゃなくて! 死んだらどうするの!? あたしそこで死んだら人間に生まれ変われなくなっちゃうじゃない……!」


「大丈夫だよ」


「え……?」


 心配など微塵も感じた様子もないユーリの言葉でアイリスは面食らったように困惑した表情を浮かべた。


「アイリスなら大丈夫だ。いつか俺がそう言ったのを覚えてるか?」


「覚えてる、けど……」


 ただ守られていただけのか弱いヒロイン。


 かつてアイリスはそう言っていた。けれどいまはもう違う。


 アイリスならば。聖剣士として天使から祝福を受けた彼女の力があればきっとどんな強敵にだって立ち向かえるはずだ。


「だから心配するな。もしなにかあっても俺が守ってやる」


 たとえ命に代えてでも。その想いを感じ取ったようにきょとんとしたままこちらを見返していたアイリスもやがて応えるようにそっと微笑んだ。


「……すごいんだね、ユーリくんって」


「なにが?」


「あたしの不安をそんな一言だけで簡単に吹き飛ばしちゃうんだもん。魔法みたい」


「アイリスに勇気があったからだよ」


「勇気、か……」


 反芻するように小さく繰り返しながら目を閉じる。そうしてもう一度目を開けたとき、そこに迷いの色は消え去っていた。


「……わかった。あのとき助けてもらった借り、ちゃんと返さなくちゃね」


「ばかだな、そんなのもう気にしなくていいんだよ。だって俺たちは仲間だろ?」


「……そっか。ふふ、そうだね。あたしたち仲間だもんね」


 これまでの決して長いとはいえない日々を大切な思い出として振り返るようにアイリスが小さな笑みを見せる。それはまるで木々のあいだから降り注いだ柔らかな陽だまりのような優しいぬくもりに溢れていた。


「あたし先に戻ってるね。ユーリくんはもう少しここでゆっくりしてて」


 そうして席を立ったアイリスが軽やかな足取りで横を通り過ぎ、ユーリはなにげない仕草でその腕を掴んで引き止めた。口元に笑みを残したまま小首を傾げてアイリスが振り返る。


「なぁに?」


「逃げるつもりだろ」


 アイリスは笑顔のままこちらを見返すだけでなにも答えず、それとなく手を緩めようとしていたがユーリはがっちりと掴んで離さなかった。慌てて引きはがそうと腕を振り払いながらアイリスが叫ぶ。


「は、離してよぅ! お家帰るからー!!」


「頼りにしてるぜ、相棒」


「なにいい雰囲気で乗りきろうとしてるのそんなかっこよく言ったって騙されないんだから! だいたい守るってなによ、魔力ないくせに! 後ろから見てるだけのくせに!! けちだしっ!!」


「善行を積むいい機会だろ。なんで厄介ごとが控えてると毎回逃げ腰になるんだよ」


「ちょ、ちょっと待って……! やだやだ無理無理できるわけないじゃんあたしなんかがいたところで迷惑かけるだけだから! お世話になりましたいままでありがとうございます! あたし一人で頑張るからもう巻きこまないでよ!」


「大丈夫だって、たぶん危なくなったら急に強い鼓動がしてはじめて聞く音楽とか鳴りはじめるから」


「冷静に考えなさいよあんたばかじゃないのどうせ伝えに来たっていう魔王もその人の仲間なんでしょ!? 勝てるわけないでしょあんなんで聖剣使いこなせるようになってるとか買いかぶりすぎだから! あたしがいたって瞬殺されるだけだからっ! 命を捨てるなってあのとき言ったのはユーリくんの方でしょ!? あたしまだ生きてたいのっ! 頑張ってそっちだけでなんとか倒して平和にしといてよ、応援するから!! ほんとに必死で応援するから!!」


 この女は……。


 たった数日とはいえ仲間として一緒に過ごしていたのに薄情すぎるだろ。


 放っておくと本気で今夜中に町からいなくなってしまいそうな予感はしていたが、ユーリは手を離すとため息混じりにアイリスを見上げた。


「どうしても嫌だって言うんなら俺も止めないけど、ほんとにそれでいいのか?」


「いくら汚い言葉浴びせられたっていまのあたしは逃げだす決意を固めてるから。人でなしとか言われても関係ないわよ、死んだら人じゃなくなるし。まあどうせそんなこと言って逃げないんだろうな、とか思ってるでしょ。ほんとに逃げるから」


「あのさ、よく考えてみろよ。せめてケーキ食べてるあいだだけでもいいからさ」


「……な、なにが」


 なにかしら不穏な様子でも感じ取ったのか小さな声で訊ねながら大人しく席に戻る。こっそり集まる周囲の視線も気にならなくなっているようだった。


「逃げたあとのことだよ。魔王もいて魔力を無限に吸収していく転生者をどうにかする手段は考えてるのか? いまのところほっといたら世界征服しかねないような奴だぞ」


「転生者って他にもいるって聞いたし……そのうち誰かが倒してくれるかもしれないじゃない」


「先延ばしにしてたらどんどん厳しくなっていくだけだ。いまあいつはこの俺の力を恐れて慌ててトドメを刺しに来ようとしてるんだよ。わざわざ向こうから来てくれるって言ってんだからいまのうちに止めておいた方がいいと思わないか?」


「ユーリくんのなにを恐れるところがあるの。その人なにか壮大な勘違いでこの町を襲いに来ようとしてない?」


「まあ、そこはほら最強の転生者と呼ばれた俺だし?」


「あー……あのねユーリくん、人生の先輩として、あとちょっと異性としても言わせてもらうと過去の栄光にすがるのはあんまりかっこよくないよ?」


「悪かったな」


「だいたい前向きなこと言ってるけどなんとかできるの? 結局ユーリくんだけ戦わないんでしょ」


「一応剣くらいは扱えるようになろうと思ってるけど……どうせ間にあわないだろうし盾代わりに使ってくれ。おいしいところは全部やるから」


「うっわぁ……」


「とにかく」


 一気に印象がだだ下がりしているのを肌で感じながらもユーリは話をまとめることにした。二人分のケーキをアイリスに押しつけて紅茶に口をつける。


「お前の力が必要なんだ。だから逃げるにしてももう少し真剣に考えてみてくれ。楽しい異世界生活を続けたいだろ?」


「楽しい思いなんて一度も感じたことないんだけど……」


「俺の言う通りにしておいた方がいいと思うぜ。タニシになりたくないんならな」


「……逃げたって文句言わないでね」


 アイリスは吐き捨てるようにそう言うとむっつりとしたままフォークで突き刺したケーキを頬張った。


 こいつは誰かが背中を押さなくちゃ未来永劫転生者としての役目を果たすことはない。それが彼女にとっていい選択であるかどうかはユーリにもわからない。けれど、ここであいつを止めなければこの世界の行く末が暗雲に傾いていくことだけはたしかだった。

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