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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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不機嫌な昼下がり

 太陽が頭上に昇りそろそろ昼食の時間へ移り変わろうとしていた。町からほど近い平原で鞄の中から荷物を取りだしていたユーリの傍らでは、大きな石の上に座っていたアイリスが不機嫌さを少しも隠さずにむっつりと海を見つめていた。


「準備できたぞ」


「うそつき」


 ぼそりと呟いてぷいっとそっぽを向いてしまう。ユーリは腰に手を当てながら小さくため息をついた。


 町へ帰ってくると早朝から開いていた店で食事をして時間を潰し、案内所で報酬を受け取って約束した通り宿で一部屋取っていた。


「でも昨日ずっとナーガの後ろで寝てたじゃん」


「それとこれとは話が別でしょ! あたし今日はたっぷりお昼寝する気満々だったのに……! あーそうですか、転生者たるもの急なシフト変更も当たり前、こっちの都合なんかお構いなしってわけね。これがブラック企業ってやつですか!」


「ブラック企業ってなんだ?」


「急に異世界人ぶらないで!」


 もう間もなく例の転生者が町へやってくる。その前にアイリスにも魔導術の一つくらいは覚えてもらおうと思いユーリは午前中に魔導屋で吟味して本を購入してきていた。


 そうして寝ていたアイリスを叩き起こしてここまで連れてきていまに至る。ヴィオラも睡眠を取らずに町へ出かけていっており、夜通し歩き続けたナーガはいまもまだ眠っているだろう。おかげさまでアイリスは不満たらたらでちっともやる気がなさそうだった。


「文句言うなよ、お前だって魔導術教えてくれって言ってただろ」


「のんびりさせてやるって言ったのはうそだったの」


「のんびりしたじゃん。三時間くらいたっぷりと」


「っ……」


 なにかを言い返そうとして思い直したように口を閉ざすとアイリスはがっかりした様子で首を振っていた。それから肩を竦めてため息混じりに鼻を鳴らす。海へ投げかけたアイリスの瞳はどこにもありはしない幻の国でも探し求めるかのように虚ろだった。


「はじめて会ったときはすごく親切で優しくて、あのときのユーリくんはどこへ行っちゃったの」


「お前な……」


「なによ、蓋を開けてみれば年上ってわかってもため口だしすっごい偉そうだし平気で約束破ってくるしこれでもあたし一応聖剣を使えるんだからもう少し大切に扱ってくれてもよくない?」


「……いろいろ言いたいことはあるけど流すわ。んなことより魔導術教えてやるから機嫌直してくれ」


「ほらー! なんでそうやってすぐに大人な対応するのよ! あたしへの対応が雑すぎるじゃない! 人のことなんだと思ってるの転生者ってそんなに偉いわけ!? いい!? あのねあたしこんな顔してるけど怒ってるの! そりゃユーリくんは風邪引いてたから仕方ないけどずっと休んでたから体力有り余ってるでしょうね! あたしは一日中走り回って足だって筋肉痛で痛いのよ!」


「でも助けてくれって泣きついてきたのはアイリスの方じゃん。なんにもできなくて不安だって言うから少しでも戦えるようにあれこれ教えようとしてるんだろ。だいたいあのとき素直に引き返してればオークに捕まって大金はたいて──」


「ごめんってばー! もうなんなのほんとやめてよそのこと引きあいに出されたらあたしなんにも言い返せないじゃん!! ちゃんとやるからもう許してよぉ!!」


 慌てて立ち上がると涙目でこっちまでやってきて土下座した。


 ほんのときどき人として致命的な欠陥があるかもしれないと感じる部分もあるけれど、なんだかんだあのときのことはこいつも負い目に感じているらしい。あと強烈なトラウマも植えつけられているようだった。


「……悪かったよ、もう言わないから顔上げてくれ。土のにおいばかり嗅ぐのはお前も不本意だろ」


「でもあたしに魔導術の才能はないんじゃなかったの」


「それを主体にして戦うのはな。でも基本はエーデルワイスで戦って補助的に魔導術を使う分にはアイリスでも大丈夫だと思うよ」


「魔法剣士ってやつ?」


「一応そういう魔導士もこの世界にいないわけじゃない。なんにせよせっかく魔力を扱えるんだし使えるようになっておけばあとで楽だ」


「それで、なんの魔導術なの? できたらかっこよくて強くて可愛いのがいい。きらきらーって光が輝いて敵を一気にやっつけちゃうの」


「なんだお前攻撃したいのか?」


「もしくは回復魔法かな。生き返らせる魔導術ってないの?」


「魔導術はそんな便利なものじゃない」


「そうなんだ……ていうか、魔導術ってなんなの」


「ざっくり言えば魔力を使ってフェアリーを自然現象に変化させる技だ」


 フェアリーはその場の環境によって様々な性質を持って大気中に存在している。属性のようなものだ。各魔導術にはそれぞれに必要なフェアリーが異なっており、解放をしていくことで消失したり別の性質へ変化をしていったりする。


 基本的には複数のフェアリーを同時に消費させるのだが、カテゴリー毎に偏りが生じるため特定の魔導術のみを使用していると能動的にフェアリーを回復させることができなくなってしまう。例えるなら火に関するフェアリーを使えば水に関するフェアリーを増加させられるが、その繰り返しで火に関するフェアリーが枯渇すると自然に湧いてくるまではほとんどの魔導術が使用できなくなるといった具合だ。


 そして解放する魔導術は描いた紋章陣で左右されてくる。紋章陣はそれぞれ模様が異なり、その一つひとつにはどのようにエネルギーを取りだしどういった形で放出するのかといった励起させたフェアリーに対する魔力の作用が記されている。精通した勘のいい魔導士ならば初見でもどういった方向性の魔導術なのか紋章陣を見るだけで看破することも可能だった。


 だがあらゆる紋章陣を記憶力だけでは到底覚えられるものではなく威力の高いものになるにつれて模様も複雑になっていく。覚えてしまえばどんな魔導術でも魔力とフェアリーさえ足りていれば扱えるが、それは口で言うほど簡単なことではなく描く紋章陣は精密でなくてはならなかった。


 それを補う上でも紋章陣に描かれる模様が持つ意味をじっくりと学んで理解していくことが上達の第一歩だった。


 差異はあれど同じ系統の魔導術ならばある程度共通する模様を使用する。個人によって覚えやすい紋章陣とそうでないものがあるのも魔導士が専攻として一系統の魔導術を極めていく理由だ。異なる系統の高位魔導術を扱えるハイブリッドな魔導士は重宝されていた。


 そうして、特定のフェアリーだけを枯渇させないために比較的解放させるのが簡単な汎用魔導が存在している。本来は魔導術を扱うならばこの汎用魔導から覚えなくてはならなかった。


 他にも紋章陣には注ぎこめる魔力の上限と下限があり同じ魔導術でも威力は魔力の濃度で変わってくるなど細かく説明したらとても一日では語りきれる内容ではない。


「とりあえずこの紋章陣を丸暗記してくれ」


 そもそもアイリスにそこまで理解できるかどうかも怪しかったので詳しく話すのはいつか世界が平和になったときにでもしようとユーリは思った。


「え、これを?」


 開いた魔導書に描かれていた紋章陣を見てアイリスが驚いた表情を浮かべる。一見すると意味不明な模様の羅列が円の中にびっしりと描きこまれていた。


「それをいつでも頭の中へ思い描けるようになれば一応は使えるようになる。一つ目のだけでいいから」


「魔導士ってみんなこれ思い描いてるの……」


「慣れれば難しくないから頑張ってみろ」


「やってみるけどさ……」


 と、あまり自信がなさそうに魔導書をじっくりと読みはじめる。さっきアイリスが座っていた石の上に腰を下ろすと彼女も隣にやってきて腰かけた。時折本から目を離してどこかをじっと見つめては紋章陣を凝視して覚えようとしているみたいだった。


 そよ風が頬を撫で爽やかな空気の中に空からあたたかな陽気が降り注ぐ。結局一睡もしないままだったのでなにもせずのんびりしていると自然とあくびが漏れた。どうせやることもないので昼寝でもしていたいところだったが目を離すとさぼってしまいそうだったので起きていることにした。


「ねえ、ユーリくんってこういうのいくつくらい覚えてるの?」


「三十個くらいは覚えてたんじゃないかな。前も言ったように記憶が飛ぶから忘れてるのがあるかもしれないけど」


「どうしようあたし一個も覚えられる自信がない……」


「大丈夫だって、まだ数分しか経ってないじゃん」


「おっかしいなぁ……学校の勉強は得意だったのに……」


「……え、お前が?」


「いまの間はなに?」


「いや、別に」


「なによ、頭悪そうだって言いたいわけ? これでもあたしけっこう成績はいい方よ?」


「とてもそうは見えないけどな……」


「ふふ、笑っちゃうわね、六歳で死んだユーリくんにこのあたしを見下ろせる足場がどこにあるっていうの? 因数分解できるー?」


 得意げに胸を張って小ばかにしたように笑いかけてくる。めっちゃ腹立つわこの顔。


「ガウスの法則なんて知らないでしょう? 酸化剤と還元剤ってわかる? 最強の転生者だかなんだか知らないけど、いくら魔導術ができても二桁のかけ算は無理なんじゃなぁい?」


 言ってて虚しくならないのだろうか。けれどようやくマウントを取れるすきまを見つけてアイリスは活き活きとしていた。


「勉強教えてほしかったらいつでも言ってね。ちゃんと教えてあげるから。ま、ユーリくんに理解できるならの話だ、け、ど」


「威張るならせめてこれくらい余裕で覚えてからにしろよ」


「コツとかないの?」


「頭いいところを見せてやろうっていう意地はないみたいだなこれっぽっちも」


「こんなのいきなり覚えろったってそんなの無理よ。ほら早く教えてよ」


「コツか……」


 あるのだろうか。よくわからなかった。


 ユーリがはじめて魔導術を覚えたのは六歳のとき、この世界へ転生してから一ヶ月ほどが過ぎた頃だった。それを教えたのはユーリを育てた母親だが、丁寧に教わったわけではなくアイリスがそうしているように紋章陣を丸暗記するという方法だった。


 結論からいえばユーリはその点についてあまり苦労をしなかった。ユーリは周囲に存在するフェアリーの性質をその高い感応性から手に取るように把握することができる。


 それは大抵の魔導士には不可能な芸当だ。彼らは解放した魔導術の反応からおおよそのフェアリーの性質と量を推測しているにしか過ぎない。時代の流れと共に進歩した計算法によってその正確性は高い精度を持っているが、寸分の狂いもなく読み取れるユーリの特技は魔導術を扱う上で大きなアドバンテージとなっていた。


 早い話が、ユーリには魔導術を解放していく過程で紋章陣がどのフェアリーに影響するのかが見えていた。


 最初こそ紋章陣の複雑さに難儀したものの、失敗しながらも解放を試みているうちになにが足りずどの段階で破綻させてしまっているのかを感覚的に理解できるようになっていたのだ。


 覚えている数こそ決して多いとはいえないが扱える魔導術を挙げれば軽く百は越えていた。必要な魔力と消失するフェアリーの気配だけを覚えてしまえばそれらを一致させる紋章陣をその場で組み上げればいい。未知の魔導術でも一度見ただけで模倣することだってできた。


 もちろんそうなるまでには紋章陣に対するそれなりの勉強を必要としたが、多くの魔導士と比較してもそこにかける時間は短かっただろう。


「……じゃあ試しに使ってみるか。感覚を掴めばなんとかなるかもしれないし、それを見ながらでいいから頭に描いて魔力を放出してみてくれ」


「ちなみにどんな魔導術なの?」


「その本に描いてあるのは全部防御系の魔導術だよ。アイリスがいまやろうとしてるのがアークエフっていう魔導術だ」


「なんだ防御か……」


「攻撃系がいいならそのうちまた教えるから。ああ、解放させる前に一度魔力垂れ流してフェアリーを励起させるのも忘れるなよ」


「適当に魔力出せばいいんだよね?」


「そうそう。光が出れば励起されてるってことだから」


「杖はなくても平気なの?」


「初日から使えるってことはないだろうけど心配ならエーデルワイスを持ってろよ。それで代用できるかもしれないしちょっとくらい杖なしで魔導術使ってもどうもならないから」


「オッケー」


 ほんの少しだけやる気を出したようにアイリスは勢いよく立ち上がると目を閉じた。金属を打ち鳴らしたような音が鈍く響き励起されたフェアリーが光を放つ。集中した表情で手を前に伸ばしアイリスは魔導術の名を呟いた。

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