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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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エルフの歌

「なんだあれは……」


 剣を構えたまま訝しむようにヴィオラが呟く。魔物はぐちゃりと音を立てながら砲身をナーガに向けようとしていた。だがそれに対して警戒はしながらも動じた様子は見せず無防備に突っ立っているだけだ。


 当たり前だ。ナーガが戦車のことを知っているはずがない。


「ちぃっ……!」


 反射的にナーガを蹴飛ばしたのと魔物が砲身から粘液を射出したのはほとんど同時だった。重すぎて本気で蹴りつけたにも関わらずよろめかせることしかできなかったがかろうじてナーガは直撃を避け、ユーリも彼女を踏み台にして射線上から飛びのいていた。


 真後ろにあった大木の幹にびしゃりと叩きつけられた粘液がどろりとただれ落ちていく。幹の表面は微かにくぼんでしまっており突如として凶悪性を露わにしてきた魔物は既に砲身をヴィオラへ向けはじめていた。


「樹の後ろに隠れろ!」


 慌ててそう呼びかけながらアイリスを連れて大木の陰に身を隠す。ナーガとヴィオラもそれぞれ別の木々に回りこみ、魔物の放つ砲弾がどこかの樹に命中して弾ける音がした。


 背中を大木に押しつけながらそっと顔を出して様子を窺っていると向かいの大木の陰からナーガが顔を振り向けてくる。


「魔王様、なんなんですかあれは」


「戦車だよ」


「なんだそれは?」


「そういう漫画は描いてなかったみたいだな」


 撃ちだされた粘液は緩慢な速度ではあるものの地面を流動しながら魔物のもとへと戻っていこうとしていた。背後では戦車と化した魔物が低いうめき声を挙げながらこちらへ向かってくる音を立てている。


「ねえユーリくんどうするのっ。ていうかなんでこんなところに戦車が出てくるのよ!」


「いま考えてるよ」


 弾切れに陥ることはないらしい。斬撃をものともしない強靭さに加えてあの砲撃だ。大きさこそミニチュアサイズだがまさに戦車そのものだった。ずっとここに隠れているわけにはいかないが、かといって不用意に動けば狙い撃ちにされる。


 これ以上長引けばまたどんなものに変化するかもわからない。さっさと仕留めなくちゃならなかった。


「ヴィオラ、精霊魔法を使ってくれないか?」


「なっ……わたしに歌えというのか!?」


「俺たちは魔導術を使えない。他に方法がないんだ」


「だが……精霊はかならず歌に応えてくれるわけではないんだ。それに動きを止めてもらわないと精霊魔法を当てることなんて……」


「ならその剣をナーガに貸してやってくれ。時間稼ぎくらいならできる」


「いや、そうは言ってもだな……!」


「ナーガ、やれるな?」


「任せてください」


 ナーガがうなずき返してくるとユーリはヴィオラに目を向けた。使えないということはないはずだ。どんな事情があるかはわからないがいまは彼女の力を頼る以外にあの魔物を倒す手段はない。


「っ……くぅ……やるしかないのかっ……」


 ヴィオラは躊躇うような表情で呟くと剣を鞘に収めてナーガに投げ渡した。受け取ったナーガがこちらへ指示を求めるように目配せを送ってくる。


「あの細長いところを狙ってくれ。外れても身体に当たりさえすればいい」


「わかりました」


「待てユーリ、その前に言っておくことがある。みんなには耳を塞いでいてほしいんだ」


「え?」


「わたしの歌を聞くな。いいか、絶対だぞ」


「あ、あぁ……」


 怪訝に思いながらユーリはうなずいた。


 精霊魔法は歌そのものに威力があるのか?


「では行きますよ」


 剣を抜いていたナーガが立ち上がり魔物の気配を探るように様子を窺うと大木の陰から飛びだして剣を投げつけた。


 現れたナーガへ反応した魔物がうめき声を漏らし、けれどそのときにはもう高速で回転した剣が向けられた砲身を真っ二つに切り裂いていた。粘液を弾き飛び散らせながら刃が車体へ深く突き刺さっていき光の粒子が放出されていく。


 これで意味があるのかどうかわからないがわざわざあんな形状に変化してきた以上もとに戻るまで次弾は来ないはずだ。


「ヴィオラ!」


「くっ……まさか人前で歌を使わなくてはならないなんてっ……」


 合図と同時に三人が耳を塞いだのを見届けるとヴィオラは意を決したように陰から飛びだして魔物と対峙した。切り裂かれた砲身がゆっくりと再生をはじめ、胸に手を当てながらもう一方の手を魔物へと向けたヴィオラが静寂の奥でなんらかの言葉を紡いでいく。


 そのときユーリの胸中に微かな疑問が顔を覗かせた。


 ……月明かりの下で浮かぶヴィオラの横顔は、なぜだかまるで羞恥を堪えているかのように頬を赤く染めていた。


 え、なんだろうなんか思っていたことと違う意味でこいつが躊躇っているような気がする。


 ささやかな違和感を置き去りにして不意に周囲へ風が吹きはじめた。不自然な森のざわめきに気がついた途端に勢いがさらに増していく。


「っ……!?」


 とても立っていられないほどの強風が吹き荒れていた。アイリスがうずくまり、ユーリも思わず地面に手を突いた。


「──ンド! ふぁっ、言っちゃった……!」


 その瞬間、吹き荒れる風が一点に収束していくように魔物へと強烈な突風が駆け抜けていった。


 まるで巨大なビームで撃たれたように魔物の身体の中心が貫かれいままで以上に強い光が放出された。その一撃で形状を維持する魔力を根こそぎ失ったのか残された部分も崩れ去って光る粒子として空気に溶けて消えていく。


 そうして、忘れたように風が止んで森の中はもとの暗闇と静けさを取り戻していった。魔物がいた場所には取りこまれていた杖と剣だけが残されていた。


 これが精霊魔法か……。


 だが思っていたほどの威力があるわけではなかった。強力な攻撃には違いないが風を操る魔導術と比べても汎用魔導の域を出ない。精霊魔法について記述されたのは大昔の話で、その頃はまだ魔導術の研究も進んでなかった時代だったことを考えれば当然かもしれないが。


「やっつけたの……?」


 そっと耳から手を離したアイリスが立ち上がりながら辺りを見回す。ユーリは魔物のいた場所まで歩いていくとそこへしゃがんで地面を調べた。


 どこにもあの粘液が落ちていない。完全に消滅してしまったようだった。


 なんでこんなところにいたんだろう。まさか戦車になれるとは思わず驚きはしたが、わざわざビュイスが注意を促してくるほどの魔物だとは思えなかった。


 奇妙な特性を持っているのはたしかだがあれなら魔導術でも簡単に仕留められるはずだ。この程度の魔物ならどれだけ数を集めても脅威とはなり得ないだろう。


 あるいは、試していたのかもしれない。どの程度の魔物を生みだすことができるかどうかを。ここにいたのはその失敗作なのだろうか。


「ああーっ!!」


 胸中で浮かんだ疑問は突然後ろから聞こえた声にかき消された。


「ね、ねえ大丈夫ヴィオラ……?」


「どこか痛いのですか」


 驚いて振り返った先では地面に突っ伏したヴィオラが身悶えしていた。二人は顔を見あわせ互いに首を傾げていた。


「……どうした、ヴィオラ?」


「す、すまない……できれば歌は使いたくなかったもので……」


 ようやく悶えの淵から帰ってきたヴィオラが小さくため息をつきながら立ち上がる。


 そういやさっきなんとなく場の雰囲気にまったくそぐわないしおらしい声が聞こえたような……。


「あのー……一つだけ訊いてもいいか……?」


「なんだ……?」


「……言っちゃったって、どういう意味?」


「えっ」


 その瞬間、大きく目を見開いたままヴィオラが絶句した。まるで彼女の中から時間の概念が失われてしまったようだとユーリは思った。


 やがて、数秒のあいだ固まったままユーリを見つめていた瞳へ微かな涙が浮かんだかと思うと瞬く間に頬が紅潮していく。


「あ、あ……お前……まさかっ……聞いたのか!? わたしの歌を聞いたのか!?」


 突然胸倉を掴まれ、頭一つ分背の高いヴィオラが真っ赤になった顔でユーリを見下ろしてくる。あまりの剣幕にぎょっとしてユーリはなだめるように苦笑いを浮かべた。


「あー……えっと、わざとじゃないんだけど……最後の一言だけ……」


「歌は聞いていないんだな!?」


「……ぼんやりと断片的に聞こえ──」


「言うなぁぁぁぁ!!」


 耳をつんざくほどの大声で叫び、ヴィオラは後ずさって両手で顔を覆うと嫌がるように首を振った。


「え、なに、歌って聞かれちゃだめなの?」


「さあ……?」


「恥ずかしがっているように見えますが」


「……なあ、いったいどうしたんだよ」


「中二病なんだ……」


「……え、それって」


 そのときアイリスがなにか勘づいたように小さく声を漏らした。


「チュー二秒?」


「そんなボケはいらんっ!」


「なんなんだよそういう病気か?」


「えーと……あのねユーリくん。あたしたちの世界には中二病っていうのがあって」


「俺たちの……? ていうか聞いたことないけど」


「ユーリくん中学上がる前に死んだし、まだ発症した人がいなかったとかそういう理由じゃないかな」


「ああ、中二病ってそういうこと?」


「思春期特有の妄想癖というか……あ、違うからねあたしは」


「それにかかるとどうなるのですか」


「治ったあとでヴィオラみたいになるの」


「治ってないじゃん」


 さっぱり要領を得ない解説にきょとんとしていると再び羞恥を振り切って立ち直ってきたヴィオラが頬をほんのり染めたままそっぽを向く。


「……エルフの歌は人間の笑いを誘うんだ。わたしたちの先祖は彼らを救うために歌ってきたというのに彼らは先祖たちを笑い者にしてきた」


「どんな歌なの?」


「わたしの歌を聞いたあの子は『ぷっ、精霊魔法ってちょっと痛いね』と笑った。それで察してくれっ……」


「あー……」


「なあ、もしかしてエルフが人間たちの前から姿を消したのって……」


「……ユーリが考えている通りだ」


「あー……」


 アイリスと同じような反応をしながらなんとも言えない気分になってしまう。もっと深刻な話だと思っていたのにばかみたいな理由だった。


 とても聡明で神秘的に思えたエルフのイメージが粉々に砕けていく。ナーガだけはあまり意味がわかってなさそうにぼんやりとした顔で三人を見ていた。


「だから歌の話はしたくなかったんだ! もう忘れてくれ!」


 またいつか精霊魔法を見る日があったら。そのときはかならず歌を聞こうとユーリは切実に思った。

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