すみれの騎士
ぱちぱちと焚き火が燃える音がしていた。うっすらと目を開けた先には炎に照らされた木々と不安そうに見下ろすナーガの顔があった。
「魔王様……」
ナーガの膝の上で眠っていた。身体を起こそうとするとナーガが止めようとしたが首を振って起き上がる。
森の中にいた。あの場所から離れたところだろうか。
「よかった、気がついたみたいだな」
焚き火の向こうから知らない女が微笑みかけてくる。その声を聞いて彼女の隣でうたた寝をしていたアイリスが目を覚ました。
「あ……ユーリくん、具合は?」
「……まだ少し頭が痛むけどもう大丈夫みたいだ。どれくらい寝てたんだ?」
「一時間くらいです」
それくらいしか眠ってなかったわりには熱が下がったのか頭の中がとてもすっきりしていた。微かな頭痛と倦怠感は残っているもののかなり楽になっている。
「もう、心配させないでよ。急に気を失ってびっくりしたんだから」
「……悪い。それより、さっきのは……?」
「なんとか撒いたよ。いまのところこの辺りにはいないようだから安心して休んでくれ」
ペールオレンジの髪を背中まで伸ばした二十歳前後の女だった。翡翠色の服の上から部分的な白銀の軽鎧を身にまとっており、そのそばには鞘に収まったやや幅の広い剣が置いてある。彼女はどこかの城からやってきた騎士のようにも見えた。
けれど焚き火に照らされた姿を目にしてユーリの胸中に疑問が浮かぶ。
彼女の耳は人間のものとは違い長く尖っていた。
「……助けてもらったみたいだな」
「礼には及ばないさ。飲めるか?」
そう言って相手は茶色い液体の入った瓶を差しだしてきた。
「薬だ。寝ているあいだに少し飲ませていたがまだ痛むようなら」
「ありがとう」
受け取って口をつけてみると少し喉に絡みついて飲みづらかった。特別苦いわけではないが形容しがたい奇妙な味がする。けれど胸の中がすっとするような爽やかさがあった。
「それにしてもずいぶんと無茶をするものだな。あんな高熱で森へ入るなんて」
呆れた様子で苦笑いしながら女が言う。ユーリは焚き火越しに相手を見返した。
「エラストラが助けてくれるとは思わなかったよ」
そうユーリが答えると相手は意外そうにサファイアブルーの目を丸くした。
「よくわかったな。わたしたちのことを知る人間は少ないものだが」
エラストラ。人間に比べて寿命が長くとても知能が高いとされる種族の一つだ。けれど彼女の言う通りその名前について知っている人間は少なかった。驚くユーリへアイリスが怪訝な顔で訊ねてくる。
「……エルフじゃないの?」
「こっちではエラストラっていうんだよ。でも人嫌いだって本で読んだんだけど」
エルフが人前に姿を現すことはない。大昔には人間と共存していたらしいが長い歴史の中で彼らは人間の前から姿を消していった。
魔物とは違うらしいが共に暮らしていた時代のせいもあり詳しいことはあまりわかっていなかった。
「その認識は間違いではないよ。ただ……わたしは以前とある転生者の少女と交流があったものでな。二人も転生者なんだろう? アイリスからいろいろと聞かせてもらったよ」
「その人が日本人だったらしくて、いろいろと話聞いてるうちに感化されちゃったんだって」
「なんだそりゃ……」
「あぁすまない、自己紹介が遅れたな。わたしはヴィオラティア・ベル・リュミエルという。よろしく頼む」
「ユーリ・ホワイトガーデンだ。ところで、その転生者って?」
「日本には漫画という絵で物語を綴る文化が盛んなんだろう? その子は絵を描くのが好きでいろいろな物語を読ませてもらったんだ。目が不自然に大きくてあまり上手だとは思えなかったがなんともいえない味があった」
思い返すように腕を組んで大きくうなずく。
「……で、一緒にいるうちになんとなく人間に興味が湧いてきたとかそういう感じ?」
「そんなところかな。それで夢を叶えるために旅をしている途中だったんだ」
「夢?」
「アイドルになりたいんだ」
「……ごめんもっかい言って」
「アイドルだよ。なんだ日本人のくせに知らないのか?」
「知ってるよ、知ってるけど本気で自分の耳を疑ったんだよ」
森の賢者とも呼ばれるエルフがアイドルになりたいだって?
もちろん言うまでもないがこの世界にアイドルなんて職業はない。
「……アイドル志望の少女が夢に向かって突っ走る物語だったんだ。そこには幾多の壁が立ち塞がり、挫折して、時にはあきらめかけてしまいながらもひたむきにアイドルへの道を歩んでいく。結局トップアイドルになる結末があるのだから回り道の過程など描かずに成就させてやれと思いながら読んでいたが、いつしか原稿は涙に濡れわたしはいたく感動していた」
大切な思い出を語るように焚き火を見つめながらそっとこちらへ微笑を浮かべる。
「誰かに希望を与えるって素晴らしいことだと思わないか?」
「この世界でやることじゃないだろ」
「なっ、そんなことはない! むしろ魔物の脅威に怯え絶望が渦巻くこの世界でこそアイドルという光が必要なんだ!」
素っ気ない返事をすると相手は拳を握ってそう力説した。そんなに渦巻いているだろうか。わりとみんな平和に暮らしている気がするけど。
その転生者になにを吹きこまれたか知らないけどものすごく変な奴だな……。
「こほん……ともかく、そういう経緯があって妙な気配を追ってみれば三人がいたというわけさ」
「妙な気配?」
「あの魔物から漂っていたものだ。魔力とよく似ていたが……」
「……ヴィオラティアは魔力を感じ取ることができるのか?」
「ヴィオラでいい。扱えはしないが、そうだな。だから魔導士が襲われているんじゃないかと思ったんだ」
「そうか……」
「なんにせよ無事でよかったよ」
「というかアイドルになりたいのになんで剣なんか担いで旅なんてしてるんだよ。どこか大きな町で暮らせばいいだろ」
「……興味はあっても、我々には人間を遠ざけてきた歴史がある。いつまでもひとところに留まっていることはできないんだ」
「どうして? エルフって人間にとって悪い人たちなの?」
「エラストラには彼らだけが持つ特殊な力があるんです」
疑問を浮かべたアイリスへナーガが答える。ナーガがそれを知っているのは少し意外だった。
その特殊な力は精霊魔法と呼ばれていた。エルフは歌うことで精霊の力を借りて奇跡を呼び起こすという。精霊がどういったものなのか、それについて具体的な記述は目にしたことはない。
「ヴィオラも歌えるのか?」
そう訊ねると彼女は自信満々にうなずいて胸を叩き、こつんと鎧が音を立てた。
「もちろん歌唱力には自信があるぞ。アイドルたるもの歌と踊りには常日頃から磨きをかけておかねばならない。いま練習しているのは『ビビンバ食べたいばばんば──」
「いや、そっちの歌じゃなくて」
つい止めてしまったがタイトル聞いてからにすればよかったとユーリは思った。
「ねえ、特殊な力ってなんなの?」
「……エルフは精霊に言葉を届かせることができるらしいんだ。俺も詳しいことは知らないけど歌うことで魔導術を凌駕する力を起こせるって読んだことがある。そっちの歌を使えるんじゃないかって訊いたんだけど」
「歌、か……」
それを聞くとヴィオラは遠い目をして焚き火を見つめた。そうして小さく苦笑いをする。
「すまないな、あまりその話はしたくないんだ」
「あ、いや……俺も軽率だった」
人間たちはその力を求めて彼らを利用し、悪用を恐れたエルフたちはやがて人間との決別の道を選んでいった。そのときなにが起きていたのかいまとなっては知る者はいないだろうが、彼らにとって忌まわしい過去であることには間違いない。それを軽々しく使うことには抵抗があるのかもしれない。
「痛みは消えてきたか?」
「え……あぁ」
ゆっくり薬を飲んでいるうちに頭痛は消え気がつけば咳も出なくなっていた。この短時間のあいだに風邪がすっかり治ってしまったらしい。信じられないが昼間ずっと感じていた不調はなくなっていた。
「おかげでよくなったみたいだ。ところでなんの薬だったんだ?」
「エラストラ……いや、エルフのあいだに伝わる秘薬というやつだよ。傷までは治せないが身体の悪いものを癒すことくらいならできる」
「わ、すっごい……売ったら大儲けできそう……」
と、アイリスが呑気な感想を漏らす。エルフがいなくなったのってこういう奴が原因の一つなのではないだろうか。
「よかったです、顔色もよくなったようで」
「どうやってつくったの?」
「簡単さ。薬草をつけた湯にわたしのよだれを混ぜただけだ」
「げほっ!!」
残りわずかまで飲んでしまったユーリが口の中のものを吐きだした。そのまま立ち上がって木陰まで行き、けれど寸前まで昇りつめていた吐き気はなんとか堪えた。
「ばか、吐くことはないだろうが!」
「吐くわ! なにナチュラルに飲ませてんだよっ!」
なぜだか聞いた途端に気分が悪くなってくる。アイリスも少し引いた顔をしていた。
え、なに俺こいつのよだれ飲んでたの?
「せっかくよかれと思ってつくってやったのに失礼な奴だな……」
「……悪かったな。おかげさまで具合はよくなったよ」
製法はえげつないが効き目だけは抜群だった。これなら問題なく歩ける。
「世話になったな。俺たちはもう行くことにするよ」
「魔物討伐の途中と言ってたな。ユーリたちは冒険者というやつなんだろう?」
「なんだそれ」
「まったくユーリは日本人のくせに母国の文化をなにも知らないのだな。冒険者というのは主に小説やゲーム、漫画などの媒体で登場する職業の一つだよ。ギルドで依頼を受け魔物を討伐した報酬で生計を立てる者たちの総称だ。そもそもギルドとは中世から近代にかけて続いた商人や職人といった同業の者たちが集まった組合のことで、その目的は様々であるが本質にあるのは──」
「さっきの魔物を探すぞ。グリードドラゴンが置いてある場所はこの近くか?」
「え、行くの……?」
「当たり前だ。依頼のこともあるし……あの魔物も倒しておいた方がいい」
長くなりそうだったので途中でぶった切って話を進めると、うんちくを披露し損ねてがっかりしていたヴィオラがその言葉に顔を上げる。
「わたしもユーリに賛成だ。すぐにでも出発しよう」
「手伝ってくれるのか?」
「あんなものが徘徊しているのに放っておけるわけがないだろう。ここで会ったのもなにかの縁だ」
「……助かる」
「ところで魔王様、あの魔物はいったいなんなんですか」
渋々といった様子で聖剣を持ったアイリスのそばでナーガが焚き火に土をかけながら訊ねてくる。
「俺も見たことがない。それを調べに行くんだよ」
幸いあの魔物はそれほど素早い相手じゃない。注意していればやられることはないだろう。
確かめなくちゃならなかった。あの魔物が転生者の生みだしたものなのかどうかを。




