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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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淀みの中で

 少しずつ日が傾き森の中へ差していた光は茜色に移り変わろうとしていた。熱は引くどころか余計に上がっており討伐目標の半分を終えた辺りから何体のグリードドラゴンを倒したかわからなくなっていた。


「喉乾いた……」


 木陰に座って汗を拭いながらアイリスがねだるように言う。水筒の中身は既に空っぽだ。ピヒョー、と空の向こうで風を切るような鳥の鳴き声がした。離れた大木に背を預けて身体を休めていたユーリは返事もせずに痛む頭を押さえていた。


 倒したドラゴンをどこかに置いて戻ってきたナーガが空を見上げながら小さくため息をついてユーリを見た。


「そろそろ日暮れが近くなってきましたね」


「……あと何体だ」


「二体倒せば一応は依頼完了です」


 当然ながら数を重ねていくうちに一体倒すまでにかかる時間も多くなっていた。最初のうちは誘導に失敗しながらもそれなりの頻度で見つけてはいたが、相手の数が減ってしまって見つけること自体が難しくなっている。


 一日中駆けまわってアイリスの疲労もたまっていた。


「明日にしない……? ご飯は食べられるんだしもうあきらめて町に帰ろうよ。あっちの方にもあるんだよね?」


「魔王様がこんな状態なのに野宿なんてできませんよ」


「けどこれ以上暗くなってきたら見つけるのも難しいよ。この辺りにいることはわかってるんだし明日二人で終わらせることにしてユーリくんに休んでもらっておいた方がよくない?」


「……どうしますか魔王様」


「げほっ……悪い、もっかい言ってくれ……」


「今朝よりも熱が上がっているみたいですね……」


 ばさばさばさ。どこかでたくさんの鳥が飛び立っていく羽音がした。そばに来たアイリスがうつむいたユーリの額に手を当てる。


「あったかくて気持ちいい……」


「カイロ代わりにしてんじゃねえよ」


「明日あたしたちだけで来るからユーリくんは町で休んでたら? 案内所で泊まらせてもらえないか頼んであげるから」


「いや……今日中に終わらせよう。けっこう倒したし時間を空けるとあいつらも……」


 そう言いながらユーリは自分の言葉に違和感を覚えた。


 なにか変だ。いや、むしろなんでいままで気づけなかったんだ。


 ところどころ場所を変えて奴らを待ち伏せていたものの、距離にしてみると俺たちはたいして移動をしていない。


「……ユーリくん?」


「アイリス、あいつらの居場所を探れるか……?」


「……わかんない。ていうかずっと言おうと思ってたけどユーリくん自分が結晶持ってること忘れてない? そばにすごく大きな気配があるからちっとも探れないじゃない」


「ならもっと集中してやれ……」


「そんな顔色悪いのに無理するのはよくないと思うけど」


「……気になることがあるんだ」


 アイリスは小さくため息をつくと目を閉じて聖剣に触れた。


「……たぶんまだその辺にいると思う。でも細かい位置まではさすがに無理ね」


 グリードドラゴンは臆病で、特に人の気配なんかがするとすぐに逃げだしてしまうような魔物だ。一日中大騒ぎして追いかけ回しているというのにまだこの辺りをうろついているのはあきらかにおかしかった。


 迂闊だった。熱のせいで完全にそのことが抜けていた。その頭上で鳥が鳴く。今日はやけにそれを耳にしている気がする。


「すぐに町へ戻ろう。ナーガ、ドラゴンを置いてある場所はどこだ……?」


「あっちです」


「ねえ、どうしたの急に」


「あいつらの卵があるかもしれないんだよ……たぶん巣があるから離れないでいたんだ……」


 グリードドラゴンは各地を移動しながら繁殖を繰り返していく魔物だ。食料に恵まれた場所を見つけると巣をつくり子育てをすることがあると士官学校で読んだことがあった。


 そのとき三人の近くを一体のグリードドラゴンがものすごい速度で走りぬけていった。こちらに気づいた様子もなくそのまま夕焼けの薄闇に消えていく。


「追いかける?」


「放っておけ。ナーガ、案内しろ……」


「はい」


 よろめきながら立ち上がりナーガについていく。周りを茂みに囲まれた少し広くなっている場所に山積みにされたドラゴンの死体があった。


「アイリス、エーデルワイスで腹を切り開いてくれ……」


「うえっ、言うと思ってたけどやっぱり言うんだ……」


「頼む急いでくれ、あまりのんびりしてられないんだ……」


「どうしたのよさっきから。巣があるとなにか問題があるの?」


「魔物が襲ってくるかもしれません」


 代わりにナーガが答え、アイリスが戸惑った顔で小さく声を漏らした。卵を狙って魔物が現れる。おまけにここには豊富なフェアリー源が落ちている。嗅ぎつけた魔物がどこかからやってきてもおかしくなかった。


 森の中から光が失われていき暗がりが広がりはじめていた。


「もう、もうっ……! 心の準備だってできてないのに急に言わないでよっ……!」


 アイリスは涙目で文句を言うと胸に手を当てて短く深呼吸をしてから怖々と聖剣を引き抜いていく。


 ナーガが山積みになっていたドラゴンを引きずり落として仰向けにさせているあいだにユーリは鞄の中から袖の長いゴム手袋を取りだした。血で濡れないように買っておいたものだ。


「この辺でいいのっ!?」


「ああ、やれっ……」


 嫌そうな顔で切っ先を腹に向けるとアイリスは目を閉じて聖剣を突き立てた。するりと腹が裂け慌てて引き抜くと聖剣の刀身にまとわりついていた血が弾かれたように落ちていく。


「はぁあっ、やっちゃった……!」


 そのまま堪えきれずに聖剣を向こうへ放り投げ身体をぞわぞわさせていた。


 ナーガはすぐに新たな一体を引きずり落としユーリは避けた腹に手を突っこんだ。少し硬くなりはじめた内臓をかき分けてフェアリー結晶がある心臓を探り当てる。微かに鼻を突いた死臭で強い目眩を感じ頭の内側を鉄棒で小突かれるような痛みが走った。


 そのあいだにアイリスが聖剣を取りに行っていた。ヒュウと空から鳥の鳴く声がする。戻ってきたアイリスが怪訝な顔で頭上を見上げていた。


「アイリス、早くしろ……」


「う、うん……うぅ、行くよ……?」


 すとん。同じように軽々とグリードドラゴンの腹を切り裂いていく。


 そのとき森の向こうからばさばさと大量の鳥が羽ばたいていった。ギーギーと切れかけたゼンマイのような鳴き声が空から降ってくる。なんだか様子がおかしい。いつの間にか森の中には不自然な慌ただしさが漂っていた。


 ぐちゃ、ぐちゃ。


 一瞬の静寂の合間へねばついた液体をかき混ぜるような音が不意に差しこまれ三人は一斉にそっちへ顔を向けた。


「ね、ねえ……なにか聞こえたよね……?」


「静かに」


 様子を窺いながらユーリはひとまず二体目から結晶を取りだして二つを握りこんだままゴム手袋を外して口を縛った。鞄にしまっていると目を凝らしていたナーガが顔つきを変えて呟く。


「……なにかいます」


「っ……」


 アイリスが小さく息を飲み、ユーリもすぐにナーガの見つめる先へ視線を向けた。だが完全に暗闇に落ちていてなにも見えない。


 いや……違う。


 その存在に気がついたユーリが目を見開く。見えていないわけではなかった。


 暗闇と思っていたものがうねうねと動いていた。なにかを探すようにあちらこちらへと柔らかく姿を変えながらどろりとした物体がゆっくりとこっちへ向かって近づいてきている。


 なんだあいつ……この辺りにいる魔物じゃない。


 それどころかユーリの知識の中にあんな姿をした魔物は見当たらなかった。


「ね、ねえっ、なんなのあれ──」


 慌ててアイリスの口を塞ぐ。その声に反応したのか暗闇がどろりと地面にただれ落ちた。ぐちょりぐちょりと粘り気のある音を立てながら徐々になにかの形をつくりはじめ、やがて淀んだ赤黒い色をした人型の物体が立ち上がっていく。


 暗い闇のような双眸がこちらを見つめると緩慢な動作で手を伸ばして近づいてきた。その身体は次々にどろりと溶け落ちており、粘液が足元から身体にまとわりついていく。


 思わず後ずさりかけたアイリスが足を取られ尻もちをついた。相手はそれを見て即座に襲いかかろうとしたが勢いよく踏みだした途端にびちゃりと地面に身体をばら撒いて崩れ去ってしまう。


 すぐに地面に散らばった粘液が不快な音を立てて身体を再形成させ、ごぼごぼと泡の混じった小さなうめき声のようなものを漏らしながら歩きはじめた。


「だす、ええ……うういぃっ……」


「ひっ、やだっ……なんなの、来ないでっ……」


「逃げるぞっ……」


 グリードドラゴンは置いていくしかない。構っている余裕はなかった。アイリスを立ち上がらせようとして目の前がぐらりと揺れる。頭を押さえながら踏みとどまっているとナーガが目の前で背を向けてしゃがんだ。


「乗ってください、アイリスも早く」


「まっ……せいけっ、聖剣でっ……!」


「やめてくださいっ」


 涙目で聖剣に手をかけたアイリスの肩をナーガが掴んだ。


「ナーガちゃん、なんでっ……」


「逃げるのが先です、追いつかれるほど素早い魔物じゃありませんから!」


「えぅ、うんっ……」


 だが立ち上がろうとして急に力が抜けたように崩れ落ちてしまう。アイリスは怯えた表情で慌てて手を伸ばしてユーリの服を掴んだ。


「ま、待って……! 足、立てないっ……立てないの、ユーリくんっ……!」


 その拍子に身体を支えられずユーリも膝を突いてしまう。


 腰を抜かしているみたいだ。まるで血が泥水に変わってしまったかのように頭の中が濁っていた。


「ナーガ、こいつを頼む……っ……」


 霞む視界の先で魔物が数メートル先まで近づいてきていた。まずい。激しい運動で身体の形状を保てないと学んだのか慎重な動作で歩調を早め伸ばした手をユーリに向ける。


 意識が朦朧として目の前がぼやけていた。とにかく走りださないと。


「大丈夫か!?」


 どこか遠くの方から誰かの声が届いた。聞き慣れない声だった。


 大きな揺れがあった。土のにおいがする。目の前に壁があった。壁。いや、倒れたのか。起き上がろうにも身体に力が入らない。このまま少しだけ休みたい。


 その前に、逃げないと。


 立ち上がろうとした身体がなにかに支えられてふわりと浮いた。太陽が沈んで足元がよく見えない。けれど動いているようできっと歩けていた。


 その隣からナーガが顔を覗きこんでくる。とても心配そうな顔をしていて、そういえば最近はそんなふうに表情の変化が増えてきたなと思った。


 それからすぐに辺りが完全に真っ暗になってなにも見えなくなった。

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