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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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水の底

 まっすぐに森を進んでいくと川を流れる水の音は徐々に大きくなっていきやがて森が開けていった。そこで立ち尽くしていたナーガがユーリたちの足音を聞きつけて振り返る。


「魔王様、橋が見つかりましたよ」


 その背後には数十メートル先の対岸まで伸びた吊り橋が大きな川の上に架かっていた。


「魔物がいなかったか?」


「いえ、いまのところは。なにかあったんですか」


「魔物の気配がしたの」


「突然ですね」


「ほんとだよ? 勘違いかもしれないけど……」


「……ではさっそく対岸に向かいましょう」


「えぇ、行くの……? あたしこういう橋すごく苦手なんだけど……」


「待ってても構いませんよ」


「でもすごく強い魔物かもしれないよ……?」


「好都合です」


 そう言うとナーガは躊躇なく橋を渡りはじめた。


「ナーガ、ちょっと待てよ!」


「魔王様たちはここにいてくださっても構いません。瞬殺してきます」


「そうじゃなくてっ……仕方ない、行ってくる。お前は待ってろ」


「倒しに行くの……?」


「呼び戻すだけだ」


 ユーリは足を踏みだす前に簡単に吊り橋の様子を窺った。一応はワイヤーで吊られており耐久性については問題がなさそうだ。けれどできるだけ慎重に吊り橋を渡っていきながらずんずんと歩いていくナーガの背中を追った。


「待てよナーガ、なんでそんなに急いでるんだ?」


「いえ、別に……」


「別にってことないだろうが」


「……魔王様にはちゃんとした宿で休んでいただきたいんです。取り逃がすわけにはいきません」


「にしてももうちょっと大人しく歩いてくれ。もしワイヤーが切れたらどうするんだよ」


 ナーガの体重のせいかたいして風も吹いてないのにやけに揺れ動いていた。ナーガが歩くたびにその振動が伝わりとてもはらはらする。


「とにかく一旦戻るぞ。どんな魔物かもわからないのに行くのは危険だ」


「大丈夫です。ナーガに任せてください」


「待てって……!」


 ユーリはようやく追いついたナーガの肩を掴んで引き止めた。


「お願いです、止めないでください」


「どうしたんだよ、なんか変だぞお前」


「……いえ、そんなことは」


「あるだろ。なにか気になってるのか?」


 こちらへ振り返ることもなく微かにうつむいたままでいたナーガの横顔を覗きこんでみると、無表情ではありながらもなぜだかそこに焦りの色が混じっているように見えた。


「……実は高所恐怖症なんです。それにナーガは泳げなくて、できればすぐにでも渡りきりたいんですが……」


 そう言われてユーリはつい足元を見下ろした。


 眼下の川は急流ではないにしろ澄んでいるのに川底は暗く水深のほどはわからない。


 不意にその水面へゆらりと動く影が一瞬だけ見えた。


「っ……!?」


 思わず息を飲んだ瞬間に水中からなにかが飛んでくる。


「ナーガ気をつけろっ!」


 咄嗟にナーガを前に押しだしながらその場を飛びのくとついさっきまで立っていた足元の裏側にバキ、と硬いものがぶつかる音がして橋板に亀裂が走っていく。


 魔物からの攻撃だった。


 やばい、真下にいたのかよ……!


「ユーリくんっ、下になにかいたよ!?」


「わかってる!」


 揺れる吊り橋の上で手すりにしがみつきながら後ろに答えた。だがこんな場所じゃ戦うことすらできない。


 それどころかもしもナーガが水中に落とされてしまえば──


「ナーガ、戻るぞ!」


「はい……」


 そう答えたものの続けざまに水をかき分ける音がしていくつもの石が飛来し橋を揺るがしていく。


 かろうじて当たることはなかったが二人のあいだにあった橋板が何枚か壊されはじめていた。


 むしろそっちが狙いか。このままでは橋を渡れなくなってしまう。


「ゲゲゲゲゲゲ」


 足元から声がした。


 薄黒い土色の肌をした人の姿に近い魔物が水面から顔を出して吊り上がった目で二人を見上げており、笑っているようにも聞こえる鳴き声を挙げながら振りかぶった石を投げつけてくる。


「魔王様、早く向こうへ」


「お前も来るんだよっ!」


「ですが、ナーガは……」


 体重のせいで不用意に身動きを取ることすらできない。その足元にあった橋板に石がぶつかりみしりと音を立てた。


「ナーガ……!」


 反射的に手を伸ばす。その寸前に板が割れナーガは吊り橋から落下した。


「やだ、ナーガちゃんっ!」


 大きな音を立ててここまで届くほどの水飛沫が上がり、魔物は歓喜するように耳障りな鳴き声を漏らすと水中に姿を消した。


「ちっ……! アイリスはそこにいろ!」


 ユーリはそう言い残すと大きく息を吸いこみながら手すりを越えて川に飛びこんだ。アイリスの慌てる声が一瞬のうちに遠ざかり川に沈んでいく。


 水中で目を凝らした先には二体の魔物がいた。ナーガは後ろから羽交い絞めにされており、力任せに振りほどいて殴りつけようとしたが魔物はその怪力に驚いたように素早い動きでかわすと回りこみながら水中を泳ぎ再びナーガを捉えていく。重さで下へ引っ張られて普段通りに動くことができず魔物に触れることすらできないようだった。


 そのうちの一体がユーリに気がつき即座にこちらへ泳いでくる。水の抵抗をものともせずに一瞬で目の前に現れユーリの顔面に掌底を食らわせた。


「っ……!」


 鼻の奥がつんと痛み声が泡となって水面へ昇っていった。その勢いのまま引きずりこまれ川底に叩きつけられる。後頭部を打ちつけて目の前が白と黒に明滅した。両手を抑えつけられてしまい身体を起こすことも振り払うこともできず、魔物はそのままユーリを溺死させるつもりだった。


 不意の一撃で肺の中の酸素を吐きだしてしまいかなり呼吸が苦しい。


 くそ、こんなところで時間を潰してる場合じゃないっていうのにっ……。


 ナーガも相手を捉えきれないまま水中に閉じこめられていた。呼吸の苦しさで抵抗する体力が薄れ魔物はそれをたしかめるように顔を近づけ淀んだ瞳にユーリを映していく。


 太陽の光が水面できらきらと揺らめいている。世界中から音が消え去ったような静寂に包まれていた。


 水面を通りぬけるもう一つの光が現れたのはそのときだった。


「ケェエエッ!」


 突然魔物がびくりと身体を震わせ耳障りな声で悲鳴を挙げる。それと同時になぜか相手は身体を竦ませ、ほんの一瞬だけ微かに両手を抑えつけていた力が緩んだ。


「っ……!」


 ユーリは歯を食いしばると相手を睨みつけ間隙を突いてその首についていたエラに手を突っこんだ。魔物は驚愕したように目を見開くと口を半開きにして苦悶の表情を浮かべた。慌てて逃げだそうとがむしゃらに腕を振り回してもがいていたが、体勢を入れ替えて川底に押しつけながら必死で力をこめ続けているうちに徐々に魔物の瞳から光が消えていく。


 やがてくたりと全身の力が抜け身体が水に浮いていき魔物は意識を失っていった。


 ユーリは即座に川底を蹴るとナーガの方へ泳いだ。かなり苦しかったが息継ぎをしているあいだにもナーガが残りの一体にやられてしまうかもしれない。


 だがさっきまで彼女がいた辺りには誰もいなかった。魔物が泳ぎ回っている気配もなく怪訝に思いながら川底に目を向けるとそこに倒れている人影があるのを見つけた。


 ナーガ……。


 慌てて底まで潜り踏ん張ってなんとかナーガを抱え起こす。けれど気絶をしているわけではなかった。口元を押さえながらぎゅっと目を閉じて堪えるように身を丸くしており、ユーリに気がつくとそっと目を開けた。ごぽりと口元から気泡が漏れだし、弱々しい表情でユーリの胸に顔をうずめてくる。


 お互いに限界が近い。なんとか浮上しないと。けれど間にあうだろうか。


 目眩のような意識の遠ざかりを感じひどく身体が重くなっていた。ナーガが気がついたように不安げにこっちを見上げ身体に手を回して抱きかかえた。押し上げられるようにふわりと身体が水中を舞う。ナーガが川底を蹴ってジャンプしていた。


 ばしゃんと水を切り裂いてひとっ飛びで岸まで届いており、けれどさすがにしっかりと着地をするだけの体力は残っていなかったのか足を踏み外しユーリは砂利の上に転げ落ちた。


「いって……!」


「も、申し訳ありません魔王様っ……」


「けほっ、平気だ……」


「大丈夫っ……!?」


 げほげほと少し飲みこんでしまった水を吐きだしながら身体を起こしていると頭上から声が降り注いできた。


「アイリス……」


 顔を上げたユーリはその光景に思わず言葉を失った。


 アイリスが聖剣を抜いていた。その周囲から光る粒子が立ち昇って彼女のもとへと集まってきておりエーデルワイスの刀身が金色の輝きを放っていた。


「お前、それ……」


「よかった……」


 瞳に涙を浮かべながら腰を抜かしたようにがっくりと膝を突く。光が粒子となって弾けるように辺りへ消えていった。


「ふた、二人が水の中に落ちてっ、なんとかしなくちゃって思ってっ、よかった、二人がいなくなったらどうしようって、あたしっ……あの、ごめんねっ……ふぇうっ、よかったぁあぁぁぁああっ……!!」


 エーデルワイスを構えたままえぐえぐと泣きだしてしまう。さっき見た光。無我夢中で聖剣の力を解放させたみたいだ。


「……ありがとな、おかげで助かったよ」


 かろうじて溺れ死ぬ未来だけは回避できてユーリは安堵のため息をついた。


「大丈夫か、ナーガ」


 振り返るとナーガは青ざめた顔でうつむいたまま肩を震わせていた。春先で川の水はまだ冷たい。できるだけ早く町へ帰ってあたたかい風呂に叩き落とした方がいいだろう。


 その頭に手を乗せるとナーガはゆっくりと息を吐きだし、それに伴って震えが少しずつ収まっていった。


「はい……ありがとうございます、助けていただいて……魔王様が来てくださらなかったらいまごろ溺れ死んでました……」


「……あいつにも礼を言ってやってくれ」


 川の方へ目を向けるとさっきの魔物は水面にぷかりと浮いたまま少しずつ下流の方に向かって流されはじめていた。

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