お腹が空いたので
それから少しして練習を再開させたものの、相変わらずアイリスの刃物恐怖症は克服の兆しを見せなかった。二、三分構えていたかと思うとすぐに堪えきれず聖剣を放りだして手汗を拭ってしばらく気を落ち着かせるというようなことを繰り返している。
「ナーガちゃん、お水ちょうだい」
「さっき飲みきってがっかりしていたじゃないですか」
「えぇう喉乾いたぁ……」
そう言って大木にだらしなくもたれかかりながらげんなりとため息をつく。そう簡単にはいかないか。アイリスが練習をしているあいだに少し辺りを散策して食べられる木の実を集めて時間を潰していたが、全力で走り奪ったリードの合間に休憩するという子どもが思いつくマラソン攻略法のようなまどろっこしいペースにいつまでも時間を割くわけにはいかなかった。
「……そろそろ行くか。素材集めの方もあんまり進んでないし」
「練習終わりっ?」
「次は魔力を使えるようになってもらう。そっちは歩きながらでもできるから」
「やった、じゃあ剣片づけてくるね」
途端に元気を取り戻してぱっと立ち上がるとアイリスは聖剣を鞘ですくい上げるように納刀していた。一応彼女の行く末を賭けた練習でもあるのだからもう少し必死になれないのかと言いたいところだったがなんとかその苦言は飲みこんだ。
遠くの方から微かに水の流れる音が聞こえてきていた。音の感じからするとかなり大きな川のようだ。
具体的な現在地は少し怪しかったが地図と照らしあわせながら橋が架かっている場所を目指して歩いていく。
「アイリス、魔力の使い方なんだけど」
「へ、ほっほはっへ……!」
地図から目を離しアイリスに振り返ると、彼女はいつの間にかカゴを前に背負い直しもごもごと口を動かしていた。たしかさっきまではせっせと折った枝から木の実を取り外していたはずだが。
「……まさか全部食べたのか?」
もぐもぐ。ごくん。目をぱちくりとさせながらゆっくりと咀嚼したアイリスがにこりと笑みを浮かべた。
「……えへっ」
「ふざけんなくそボケなにが『えへっ』だ! 全部食べたのか!?」
「違うの、聞いてっ! あたしも全部食べるつもりはさすがになかったんだよ!?」
「食べてんじゃん!」
「違うんだってば、聞いてよ! 木の実っていうからぽそぽそしててあんまりおいしくないんだろうなって思ったんだけど果物みたいに瑞々しくてつい食べちゃっただけなの……!」
「なにも違わねえよあほか! せめて俺たちの分残せよ!」
「だってお腹空いてたんだもんっ……! また探せばいいじゃんそんなに怒らないでよぅっ!」
今晩の宿も食事も怪しいこの現状を彼女はいったいどこまで理解できているのだろうか。ついちょっと前まではナーガのとぼけたところに知性の危うさを感じていたがなぜかいまはすごくまともに見えてしまう。
空腹なのはこっちも同じだ。無神経さに腹が立ってくるのもそのせいだろうか。ユーリはため息をついて怒りを鎮めることにした。こんなくだらないことで余計なカロリーを使ってしまいたくない。
「見つけたそばからばくばく食べてたら肝心なときに困るだろうが。いいって言うまで食べるの禁止な」
「えぇ……まだ全然お腹いっぱいじゃないのに……」
「魔王様が我慢なされているのに申し訳ないと思わないのですか」
「わかったよぅ……それで、魔力ってどうしたら使えるの? というかあたしに魔力ってあるの?」
「それはやってみないとなんとも言えないな。けどまあ、まったく持ってない奴なんていないから。とりあえず身体の力を抜いて頭の中を空っぽにしてみてくれ」
「う、うん……」
はあ、と大きく深呼吸をして少し空を見上げる。雑念を払っているアイリスの顔はちょっと間抜けだった。
「ゆっくりと息を吐きながら意識の中で手のひらから全身の力を押しだすようにイメージするんだ。呼吸に合わせて周囲に溶かすように」
「なんか催眠療法みたい……」
「余計なこと考えるなっつってんだろ」
「あ、すみません……」
そうしてアイリスは立ち止まって目を閉じるとそっと吐息した。仕方なくユーリたちも足を止めその動向を窺ってみたがしばらく待ってみてもなにも起こらない。やがてアイリスは目を開けた。
「……どうだった?」
「そんなすぐできるものでもないよ」
「難しいよ……だいたい魔力なんて使ったことないのにほんとにできるの?」
「ペン回しとか耳動かしたりするのと同じだよ。感覚が掴めればちゃんとできる」
「じゃあ、もっかいやるね……?」
「歩きながらが難しいんならここで練習するか。俺たちは近くで素材集めやってるから」
「あんまり遠く行っちゃやだよ……?」
いったいどれだけ嫌っているのかベルトから聖剣を外してそばにあった樹に立てかけながら不安げな顔をする。
「見える場所にはいるよ。ナーガは先へ行って橋を見つけてきてくれるか?」
「わかりました」
ナーガに地図を渡しカゴを受け取ると二人はその場を離れることにした。




