散らばった記憶
他のスタッフが店じまいの支度をする中、先ほどユーリたちの登録をしてくれた受付嬢が奥から人数分の毛布を持ってきて仕方なくといった様子でため息をついた。
「ここは依頼を斡旋する場所であって宿泊施設ではありませんので、こういったことは今晩だけにしてくださいね」
「すみません……あの、以後気をつけます……」
「もういいですから顔を上げてください」
困り顔でもう一度ため息をついて受付嬢は毛布をそばにあった椅子に置いた。渾身の土下座を披露してなんとか案内所での寝泊まりを勝ち取ったアイリスは立ち上がるとこっちへ振り返って『なんで二人もやってくれないの?』みたいな涙目で見つめていた。
「こちらが皆さんの登録証になります。なくさないよう大切に保管してくださいね。これがないと報酬をお渡しできませんので」
そうしてそれぞれに登録証を受け取る。もちろんユーリの登録証にはタロウ・タナカの名が記されていた。身分証としては意味を成していないがつくる意味あるのかこれ。
「戸締りをするので朝までは出入りできませんよ。それから、くれぐれもスタッフルームへは立ち入らないようお願いします。騒ぐのも厳禁です」
最後の一言だけアイリスに顔を向けながら言う。
「わかった」
「……では私たちは帰りますので。お願いしますね」
この世界ならではの思いやりというか寛大な心があるおかげでなんとか泊まらせてくれたが、いったい彼女たちは俺たちをどんなふうに思っているのだろう。まだ子どもだからと情けをかけてもらっている雰囲気も多少はあったものの、それ以上にそんな三人だけでこんな場所にいることへの不信感が垣間見えた。
そのようにして室内にともっていた妖精灯の明かりが消え、彼女たちは案内所をあとにしていった。
「うまくいきましたね」
「ありがとなアイリス」
「もう、あたしこんなキャラじゃないのに」
「真っ先に土下座してたような気がするけど……」
「だってナーガちゃんがあんなこと言うから……! 『ああ力貸すってこのことねはいはい』って瞬時に理解できた自分にも不服だよ!」
「おかげで毛布まで貸してもらえたじゃないですか。どうか今晩はぐっすりと寝てください」
「あたしの方が年上なのにっ……」
「まあまあ……」
苦笑いを浮かべながらアイリスをなだめる。窓の外からは通りの喧騒がしていたがどこか遠い場所からやってきたようにささやかで完全に静まり返っているよりはよかった。
「……あたしトイレ行ってくる」
「ではナーガも着替えたいので一緒に行きます」
「ああ」
そのあいだにユーリはホールに並んでいた長椅子を寄せ集めてベッドをつくった。固いベッドだが床で寝るよりは断然ましだ。そこへ腰を下ろして小さくため息をつく。
ビュイスの話が頭の中をぐるぐると回っていた。近い未来、この町へ魔物が襲ってくる。それはいったい何日先なのか、どんな魔物なのかまったくわからない。対策の立てようがなかった。
例の転生者についてわかるのは魔力を奪い、それを利用して魔物を生みだせるということだった。推測の域を出ないがおそらくそれが転生者として与えらえた力の全容だろう。
あの城で戦ったときにユーリを見逃したことから魔導術は扱えない可能性が高い。いまさらユーリを追って町を襲わせようとしているくらいだ。そこまで執拗に殺す気があったのなら崩壊した城ごと魔導術で吹き飛ばすくらいのことはする。それだけの魔力は奪えていた。
とはいえほとんど情報もないままではなにも断定することができなかった。新たに魔導術を扱えるようになっているかもしれないしいくらでも付随する可能性はある。
それよりもこの話をどう伝えればいいんだろう。住人たちを避難させるべきではあるが近いうちに得体の知れない魔物が攻めてくるなんて話をすんなり信じてもらえるわけがない。唯一ユアリィたちならという思いはあったが、その情報をどこから得たのか訊ねられてしまったときに答えようがなかった。
そうなれば魔王たちとの繋がりが明るみに出てしまう。どんな理由があれば魔王たちを従えていたことへの説明がつくのだろう。たとえユアリィたちがわかってくれても彼女たちは組織の一端に過ぎない。なにかしらの罪に問われてしまうかもしれないし面倒な話になるのは目に見えていた。
そのときトイレに続く通路の方からぎしっと床が軋む音がした。顔を上げるとボロ布に着替えたナーガが鞄を抱えたままこちらを見つめていた。
「……どうした、そんなとこでぼーっとして」
「月明かりに照らされた魔王様があまりにもお美しかったので見惚れておりました」
「アイリスは?」
「まだトイレの中です。うんちをしているのではないかと」
「……訊いた俺もデリカシーがなかったけど、ナーガもその辺は気を遣ってやってくれ」
「どうしました。なにか浮かないお顔をされていましたが」
こちらへやってきたナーガが眠たげな顔でユーリの前に膝を突く。見られていたか。ユーリはため息混じりに苦笑いした。
「笑ってられる状況じゃないだろ、いまは」
「ご安心ください。かならずや明日は魔物をぶち殺して魔王様のご期待に応えますので」
「頼りにしてるよ。それと、そのうちちゃんとしたパジャマ買おうな」
なによりもユーリが心配しているのはナーガのことだった。魔王軍に加担していたのだ。もし罪に問われてしまえばそのまま死刑にされてもおかしくない。そんな危うさを秘めているのに安易な気持ちでこのことを軍に伝えるわけにはいかなかった。
「……ナーガはいつでも魔王様のお力になりますよ」
「なんだよいきなり」
「話すことで少しでも魔王様の気が楽になるならいつでもナーガを使ってください。驚きませんから」
そんなに顔に出ていたのだろうか。寝ぼけた顔ばかりしているくせにほんっとこういうときだけ鋭いなこいつは。それでもあえて多くを訊きだそうとはしない。そんな気遣いがいまはありがたかった。
「よく顔色一つでそこまで読み取れるな」
「魔王様のことならナーガはなんでもわかります」
そう言って、月明かりの下でナーガが小さく微笑んだ。できるだけ早く二人にだけでもこの話をしなくちゃならない。
ジャーっとトイレの水を流す音がしてバタンと扉が閉まり慌ただしく駆けてくる足音がしたのはそのときだった。
「はー怖かったー……もー、ナーガちゃん待っててって言ったのに先に戻ってるなんてひどいよっ。真っ暗ですっごく心細かったんだからっ!」
「ずいぶん遅かったですね。ちゃんと流れましたか」
「っ……ちっがうから! 普通におしっ……普通の方だから! て、ていうか音聞こえてないよねっ!?」
騒ぐなと言われたばかりなのに早くも大騒ぎしながらアイリスは顔を真っ赤にしていた。
「聞こえてないよ。済んだならもう寝よう。明日ここが開いたら食べもの買ってすぐに町を出るからな」
「うー……お腹ぺこぺこ……」
「あんな泥水なんて飲まずに食事をすればよかったのでは」
「しょうがないじゃん。喉も乾いてたし、糖分摂らないと頭回らないよ?」
「あなたに回る頭があるようには見えませんが」
「……ねえユーリくんこんなこと言ってる」
「困ったからってこっち見るのはやめてくれ」
そう言ってユーリは靴と上着を脱いだ。
「あ……ユーリくん、あたしそっちで寝るからこれ持ってっていい……?」
気になったようにアイリスが長椅子に手をかける。それもそうか。つい三人一緒にしてしまったが気遣いが足りなかったことに気づき、ユーリは彼女を手伝って長椅子を寄せた。ついでに毛布を二枚渡す。
「いらないの?」
「ああ。敷布団代わりにすれば多少ましになると思う」
「……寒くない?」
「ちょっと暑いくらいなんだ。遠慮なく使ってくれ」
「ありがとう……」
アイリスはうなずくと真紅のドレスを脱いで丁寧に畳むと言われた通りに一枚を敷いてその上に寝転んだ。毛布を身体にかけながら少し言いづらそうにこちらを見る。
「あの、もう寝るけど……なにもしないでね?」
「なにもって?」
「……なんでもっ。おやすみ!」
そのまま背を向けて頭まで毛布をかぶる。ユーリは小さくため息をついて残ったベッドに横になった。脱いだ上着をかけているとナーガが毛布を手にしたままこちらを見下ろしていた。
「お前も寝ろよ。余計な気を遣わなくていいから」
「……わかりました。おやすみなさいませ、魔王様」
「ああ、おやすみ」
そうしてナーガはユーリの足元に身体を丸めた。やっぱりそこが好きなのかお前。思いついたように向こうを向いていたアイリスが顔だけ出してこっちを見る。
「おやすみナーガちゃん」
「……」
「……」
「おやすみアイリス」
「……別に気にしてないもん、わかってたから」
拗ねたようにそっぽを向いて毛布をかぶり直す。一日の疲れと満たせなかった空腹で喋る体力はあまり残ってなかった。外から聞こえる喧噪の中、ユーリは天井を見上げたまま綿が喉に詰まったような寝苦しさを感じていた。眠れなくて当然だ。
「……ねえ、ユーリくん、もう寝た……?」
そうしてそのうちやってくるであろう眠気をぼんやりしながら待っていると向こうのベッドからアイリスが話しかけてくる。
「……まだおやすみって言ってから一分も経ってないんだけど」
「ちょっとだけお話してもいい……?」
「ああ」
「……ユーリくんはどうして一人になったの?」
「なんだそれ」
「育ててくれた人がいるんだよね」
「まあな」
「……あんまり覚えてないけど、あたしにもきっとお母さんやお父さんがいて……会えたらいいのになって、ずっと思ってるの。ユーリくんはどうしてそこで暮らさなかったのかなって」
「……育て親はちょっと事情があってずっと一緒には住めなかったんだ。それに、俺はやることがあったから」
「事情?」
「話せば長くなる」
「……寂しくならない? その人だけじゃなくて、ほんとの親にも会いたいとかさ」
「寂しくないよ。生きてた頃の親は覚えてないしこっちの親にはたまに会いに行ってたから。別にもう会えないわけじゃないんだ」
「そうなんだ……」
ふふ、と小さく笑う。怪訝に思って顔を向けるとアイリスは笑顔を浮かべていた。
「なんだよ」
「ううん、羨ましいなって思っただけ。いつかあたしも会ってみたいな、ユーリくんを育ててくれた人。お母さん? それともお父さん?」
「……どっちかって言うとお母さんかな」
「……え、どういう意味? 複雑なあれ?」
「そんな感じ」
とっても複雑な事情がある母親だった。そのうち行くつもりではあるが、そのときは絶対に一人で行くと決めている。
「こっちの世界に来て何日か経ったけどさ、こんなに安心して眠れるのはじめてだよ」
「眠る気配が垣間見えないんだけど」
「さっきのお話聞いてもらおうと思って」
「姫路城の話? そもそも日本の話もそれほどついていけないぞ」
「いいのいいの、寝る前の小話みたいなものだから」
「それならまあ……で、どんな話なんだ?」
「あのね、中学のときの修学旅行の話なんだけど、あたし兵庫に行ったの。東京タワーとか嵐山とか。それで、自由時間になんとか湖っていうところに行って絵を描こうとしてたんだけどすっごくきれいで全然それどころじゃなくってね。結局夕方になっちゃって迎えが来たから途中までしか描けなかったの。湖に映る景色描きたかったのにあとで見返したらぐちゃぐちゃでよくわかんなくなっちゃったんだ。まあ、あたし別に絵を描くのが好きだったわけじゃなかったと思うし当たり前なんだけどプロの画家ってすごいよね」
それからこっちの返事を待つようななんともいえない間があった。
「……え、それだけ?」
「あ、うん。すごいよねって話」
うっわ、くそつまんねえ。ナーガはこんな話を二十分近く聞いてたのか。めちゃくちゃ好意持たれてるじゃん。
おまけにかなり記憶が錯綜しているようだった。
「姫路城は出てこないのか?」
「あ、出てくる出てくる。それでその日に泊まった旅館のご飯がおいしくてね、山菜がたくさん入った炊き込みご飯なんだけど三杯もおかわりしちゃったんだ。温泉も広くて景色眺めながらずっと浸かってたなー。大自然の中で入る露天風呂っていいよね。ユーリくんは温泉好き?」
「いますぐ姫路城に行け」
「あ、ごめん……えっと、それで次の日かその次の日に行ったのが姫路城なの。あたしお城入るのはじめてで一日中うろうろしちゃったんだ。すごいよね、大昔の人がここの柱に触ったのかなーとかそういう歴史を感じられるのってさ」
アイリスが話す旅行先はどれもかなり遠いような気がするがいったいどの記憶と混同しているのだろう。とても楽しそうに語られる思い出だったが、なぜだか話の中で思い描くアイリスはどれも一人だった。
「この世界にもそういうお城ってあるんでしょ?」
「日本っぽいのはさすがにないけど、ゲームで出てきそうな城ならちゃんとあるよ」
「わあ、いつか行ってみたいなー」
「城が好きなのか?」
「浸れるものがあるじゃない。豪華だし」
「それで、城で一日うろうろしてただけなのか?」
「違うの、そのあとちょっとした事件があってね。帰らなくちゃいけない時間になってたんだけどあたし帰り道に迷っちゃってさ。ずっとうろうろしてて一生帰れないまま死ぬんじゃないかってすごく不安だったの。この世界に来たときも似たような状況だったけど、知らない場所で一人ぼっちになるのって怖くない?」
「誰かに訊けばよかったじゃん。いま言ってもしょうがないだろうけど」
「誰にも会わなかったような気がするんだよね……まあ、なんとか帰れたんだけど先生にもすっごく心配されちゃってて。でもひどいんだよ? なにもベッドに縛りつけなくてもいいと思わない?」
「……ベッドに?」
「犯罪でしょ普通に。そのあと揉めたはずなんだけど……それくらいから記憶が曖昧になっちゃってて。どうなったか気になるんだけどそこからさっぱり思いだせないの」
「そうか……」
あまり思いださせない方がいい気がした。転生者の生前に転がっているのは暗い記憶の残骸ばかりだ。
「……まあ、アイリスって落ち着きないとこあるから縛りつける程度で済んでよかったんじゃないか? 寝相悪そうだし」
「ひっどい、このベッドからだって落ちない自信があるよ」
「寝相のせいにしてこっちで寝てたみたいなオチはやめろよ」
「じゃあユーリくんも明日床で寝てたら笑ってあげるよ。言っておくけどあたしちょっとした物音でも目を覚ますからね?」
「察したわ」
「え、なにそれどういう意味?」
「おやすみアイリス。明日の朝楽しみにしてるぜ」
「まだ話し足りないんだけど……」
「そのうち聞かせてくれ。明日でも明後日でも時間はたっぷりある」
「……そっか、そうだね。おやすみ、ユーリくん」
「ああ」
ふふ、と小さく笑ってアイリスが毛布をかぶる音がした。ユーリはそのまましばらく天井を見上げたまま時間の移り変わりに横たわり続けた。




