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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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緩やかな夜明け

 鳥の鳴き声が上空をゆっくりと横切っていった。意識の表層で感じた肌寒さに身震いをする。


 薄く開いた視界の先にブルーグレーの髪があった。目を覚ましたユーリに気がついてナーガが少し首を振り向ける。


「おはようございます魔王様。もう朝ですよ」


「ずっと歩き続けてたのか?」


 澄んだ空気の向こう、東の山脈に太陽が顔を覗かせはじめていた。眠っているうちにすっかり夜明けになっていた。寝る前と変わらないペースで歩き続けていたナーガはそれを聞いて得意げにうなずいた。


「このナーガの手にかかれば夜通し歩き続けることなど朝飯前なのですよ。代わりに寝不足になってしまいましたが」


「あとで休んでくれ。俺もそろそろ下りる。一晩中歩いてたんなら町も近いはずだ」


「はい」


 しゃがんだナーガの背中から下りて身体を伸ばす。痛みはほとんど抜けていた。まだ完全に良くなったわけではないだろうが気を遣っていれば大丈夫そうだ。


 辺りには緑の生い茂る平原が広がっており、多少の起伏を伴って緑は地平線の先まで続いていた。振り返った先には遠く霞む崩れ落ちた魔王城が山脈の向こうに……。


「……ん?」


 見えるはずである光景がそこにはなかった。連なった山脈群が平原の果てに窺えるはずだったんだけど……。


 改めて太陽の位置を確かめてから周りをぐるりと見回した。三年もの間ずっと城の中で過ごしていたけど、その周辺の地理についてはしっかり頭に入っていたはずだ。けれど見渡す風景はまったく見覚えのない場所だった。いったいここはどこなんだよ。


「ナーガ」


 どこを歩いてきたのか訊こうとして振り返る。ナーガは地べたの上に身体を丸めて眠っていた。


「ナーガ、おいナーガっ」


「んん……」


「……」


 ほんの三十秒も目を離していないうちに熟睡しすぎだろ。ここ平原のど真ん中だぞ。ユーリは丸まった背中に蹴りを入れた。


「んぅ……」


 まるでちょっと肩を揺すられたくらいの反応で目を開きゆるゆると身体を起こしてくる。うそだろ、効いてないのか。


「寝るな」


「休んでいいと言ってくださったので」


「……いろいろ言いたいことはあるけど流すわ。んなことよりここどこだよ」


「ここですか」


 寝起きのぼんやりとした顔でゆったりと辺りを見回す。寝ぼけ顔はもともとだったか。ともかくナーガは地形を整理するように少しの間沈黙し、そうして振り返った。


「わかりません」


「……」


「……魔王様、顔が怖いです」


「……いや、いい。そう言うんだろうなって思ってたから。許す許す」


「慈悲深いお言葉にナーガは感激しております」


「どこ歩いてきたんだよ。ちゃんと星を目印にしたんだろ?」


「実はですね魔王様。少しよそ見をした拍子に他の星と見分けがつかなくなってしまったんです」


「けっこうわかりやすい色だと思うけど……」


「ナーガはあまり目がよくないものですから。それで仕方なくお月様を目印に歩くことにしました」


「なるほどなるほど、それで?」


「そうしましたらいつの間にか山脈に向かっていましたので、近道かなと思って突っ切ってきた次第です」


「大変だっただろ。あの城ってもともと侵略されないように岩山だらけの場所に建ってたんだ。で、いくつ越えてきたんだ?」


「えーと……」


 うろんげに空を見上げながら手元で一つ二つと指を折っていく。そうしてナーガはこちらに目を向けるとやや凛々しい顔で言った。


「ナーガの計算が正しければ三つほど」


「数えるひまがあったら途中で疑問抱けよっ!」


「ちょっとしたとっかかりがあればちょちょいのちょいだったので」


「すげーな、正直言って驚いたわ。普通そんなこと思っててもできるもんじゃねえだろ」


「ありがとうございます」


「ありがとうございますじゃねえよ、いまの皮肉言ったんだよ」


 それにしてもまったく揺れた気配がなかった。それだけ疲れていたのかこいつが器用だったのか、どう見ても不器用そうだし落ち度はこっちにあるのかもしれないが、それにしても無防備すぎた。


 どうしよう。任せっきりにした俺がばかだった。完全に迷子だわこれ。


 一旦来た道を戻るのが回り道ながら確実な手ではあるものの、こいつにその記憶が残っているとは思えなかった。いったいどんな教育受けてきたらここまで頭悪く育つんだ。


「あの、魔王様……」


 ため息をつきながら考えているとナーガが申し訳なさそうにこちらの顔色を窺うように声をかけてきた。


「……なんだよ」


「眠たいので寝てもいいですか」


 すっげーマイペースな女だ……。


 とはいえ、ここでごちゃごちゃ言っても仕方ないか。一晩中歩き続けて疲れているであろうことも事実だった。


「寝てろ。すぐ起こすかもしれないけど」


「そのときは優しく耳元で囁いてください」


「さっさと寝ろ」


「おやすみなさい」


 身体を横たえると犬のように膝を曲げて丸くなった。かなり窮屈そうな体勢だったがナーガはすぐに寝息を立てはじめた。よいこか。


 さて……。


 平原に咲いた小さな草花がそよ風に揺れていた。爽やかな朝の香りの中で周りを見回しながらこれからのことを考える。


 かなり速いペースだったからもしもずっと休まず移動していたのなら五十キロくらいは距離を稼げているだろう。それだけの距離をめちゃくちゃな方向に歩き回ったから自分がいるいまの位置がさっぱりわからなかった。まったく見当違いな方角へ遠ざかっているかもしれないし、あるいはあの山の向こうが町のそばかもしれない。ナーガの体力が回復するのを待ってから一度高いところで確認した方がよさそうだった。


 そうしてユーリはナーガの隣に腰を下ろした。ぐう。小さくどちらかのお腹が鳴った。


 なぜこいつは俺についてきたんだろう。あどけなさの残る寝顔を見下ろしながらそんな微かな疑問が湧いた。


 忠誠がどうとか言ってはいたが、俺が配下にしていた者たちにそんなものを抱く理由を与えていたつもりは少しもなかった。ただ転生者としてもらった力を使って支配していただけだ。


 俺が世界征服をするために魔物たちを集めていた話もあまり信じてなかったようだし、だとしたらこいつが城にいた理由はなんだったのだろう。その前はどこでなにをしていたのか。まっとうな人生じゃないことは聞くまでもなかった。


 身の振り方を考えなくちゃならないな。いまの俺は転生者でもなんでもない無力な子どもだ。ここから改めて魔王に成り上がっていくなんて不可能に近い。仕事はあとで見つけるとして、まずはこいつにも故郷へ帰るなり安定した生活環境を与えるなりしないと。


 地面に寝転がった。両手を枕にしながら徐々に光に満たされていく空を眺めた。のどかだった。魔物が姿を現す気配はなく、雲は穏やかに空を泳いでいた。そういえば、こんなふうに心が緩みきっているのも久しぶりだな。魔王として世界中の魔物たちを抑えつけていた重責からも解放されて、ある意味では本当の自由の中にいた。

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