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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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女神の境界線

 背中までまっすぐに伸びたココアブラウンの髪が印象的などこか儚げな美しさを漂わせる二十歳ほどの女だった。


「お待ちしておりましたよ」


 レゼッタはその再会を特に驚いた様子もなく、けれど嬉しそうな雰囲気を透明感のある声に乗せながらそっと柔らかな笑みを浮かべる。白のブラウスにブルーのロングスカートという落ち着いた服装で気品に満ちたその微笑みはさながら泉に住まう女神を思わせた。


 前に来たときは辺境に住む部族みたいに繭で身体を覆っていただけだったが、いったいあの服はどこから調達したのだろう。


「お久しぶりですね、魔王様」


「……そうだな、半年振りくらいか」


「五ヶ月前です。時折いらしてくださっていたのにあれ以来はぱったりと音沙汰もなくレゼッタはとても寂しく思っておりました」


「悪かったな、気軽に来れる場所じゃないものだからさ」


「また少し雰囲気が変わられましたね。身長も伸びたのでは」


「積もる話はあるけどあいにく今日は世間話をしに来たわけじゃないんだ」


「大変なことになっているようですね」


「全部知ってるのか?」


「おおよその出来事は知っておりますよ。魔王様がここへいらした理由も、おおよそは」


 レゼッタはそう言って小首を傾げながらにっこりと笑みを浮かべた。


「ところで、そちらのお二人は?」


「仲間だよ。こっちがナーガでこいつはアイリス。あとは察してくれ」


「ナーガです」


「あ、あのっ……あたし、あい……アイリスです……」


「わたしはレゼッタと申します。魔王様からお聞きになっているかもしれませんがこれでもあなたたちがデゼスポリアと呼んでいる魔物です。よろしくお願いしますね」


「デゼスポリアって……?」


「まあ、わたしのことはご存知ありませんでしたか。わたしは──」


「千里眼を持った魔物だよ。遠くで起きた出来事なんかを感じ取る力を持っててけっこうすごい魔物なんだ。長くなるから細かい話はあとで教えてやるよ」


 そんなふうにごまかしながらうっかり訊ねてしまったアイリスの足を軽く踏んで黙らせる。レゼッタはそれを見て意味深な笑みを浮かべたがなにも言ってこなかった。


 デゼスポリアが危険な魔物だと認識されているのはこの力に依るところが大きかった。以前レゼッタに聞いた話によると彼女たちは世界のあらゆる事象が生みだす因子という波のような揺らぎに干渉する力があるらしく、それらの連なりからある種の未来予知をしているという。


 個体そのものの強さは他に秀でる魔物が大勢いるものの、レゼッタたちはこの力の恩恵で大きく水を開けていた。


 そういうわけで彼女はユーリがここへ来た理由も知っているし、いずれここへ来ることもわかっていたというわけだ。


 とはいえその未来予知も完全ではなく、認識としては極めて精度の高い予測とでも形容するのが正しいだろう。彼女たちと戦う機会があるならそのずば抜けた読みを外す作業からはじめなくてはならず骨の折れる相手だった。


「それで、なにをお話すればいいのでしょう」


「あの日城でなにが起きたのか教えてくれないか」


「わたしも詳細に知っているわけではないので、もしかするとご希望に沿えないお返事しかできないかもしれませんが」


「それでいい」


「結論から申し上げますと転生者がいたようですね」


 やっぱりそうだったか。


 ナーガはその点についてわからないと言っていたが、たぶんそうなんだろうという予感はしていた。


「もちろん転生者だというのはわたしの予想にしか過ぎませんよ。ですがその者には不可解な力が備わっているようで、魔王様の魔力はそれによって奪われてしまったのでしょう」


「……そいつがいまどこでなにしてるかわからないかな」


「そこまではわたしにも。あの騒動のあとその場から忽然と姿を消してしまっています。できる限り動向を追ってはみたのですが、それ以上はなにも」


「空間転移術を使ったってことか?」


「そう考えるのが自然ですね」


「なんつー面倒な奴だ……」


 というようなことを言いだせばアイリスも魔物にとっては厄介極まりない武器を与えられているのだが。もしもそれが最近現れた転生者なのだとしたら完全に時代が変化したとしか言いようがない。これからそんな奴らばかり出てくるのだろうか。


「……そのような力を持っていましたので城にいた他の仲間も無力化されたようです」


「城を粉々にしたのもそいつの仕業か?」


「いえ、それをなさったのは魔王様です」


「……俺が?」


「詳しい理由はわかりませんが、魔王様が魔力を奪われる直前にそのような出来事が起きているみたいですね」


 なんで自分で城を壊したんだろう。その理由についておぼろげに考えているとアイリスが気になった様子でちょんちょんと背中をつついてきた。


「ね、ねえ……空間転移術ってなに? もしかして瞬間移動ができるの?」


「実用性は皆無だよ。日常的に使えるようなものじゃないから」


「そ、そうなんだ……やっぱりファンタジーっぽい魔法もあるんだ……。ねえ、城ってドイツとかにあるおっきなお城? それ壊したの? ユーリくんが?」


「……だいたいアイリスが想像してる通りで合ってると思うよ。満足したならそろそろ黙っててくれ」


「……あ、ごめん」


「魔王様はとても高名な魔導士なんですよ。当時は世界中の魔王たちがそのお力に恐れおののいたとか」


「ナーガ知ってます、ヒュムテさんも魔王様が来たときはちびったとおっしゃっておりました」


「誰だよその情けない奴は」


「ポタンシエルの近くにいらっしゃった魔王さんです」


「……ああ、あいつか。実際に対面したときは堂々としてた気がするけど」


 そういう些末な思い出は記憶の片隅に放り投げておくとして、レゼッタの話を聞いてなんとなく事のあらましが見えてきた。なにかしらの考えがあって城を壊すのが最善だとそのときの俺は思っていたのだろう。たぶんそれ以外に生き残る方法がなかった。たとえ瓦礫の下敷きになったとしても。


「他の奴らはどうなったんだ」


「その者と一緒にいなくなったのでついていったか、あるいは連れ去られたのではないでしょうか。彼らの中には空間転移術の心得がある者もいましたからその力を借りたのかもしれませんね」


「そうか……」


「魔王様はこれからどうなさるおつもりですか?」


「その転生者を追ってみる。魔力も取り戻したいし……なにより魔王連中を連れてったっていうのが引っかかる」


「……魔王様はもう魔導術を使わない方がいいのではないでしょうか」


 まるで水面に映る景色を眺めるようにどこか憂いげな瞳を足元に広がる繭の下へ落としながら呟く。


「削れているのはご自分の身だけではなく、周囲の者たちの心でもあることを覚えておいてくださるとレゼッタは嬉しいです」


「……わかってても治らないんだ、昔から」


「ふふ、きっとそうおっしゃるんだろうと思っておりました」


「ね、ねえ……ユーリくん……」


 と、そのときアイリスがもどかしげに服の裾を引っ張った。そうして手探りでユーリの肩に触れるとそっと顔を寄せてくる。


「すごくいい人じゃない、ちゃんと顔見てお話したいんだけど、だめなの……?」


「言うこと聞けよ、話しかけてくんなよっ」


「だって失礼だよぅ……」


 そんなふうに交わす小声のやり取りをレゼッタはもちろん気がついているみたいだった。それでもなにも言わずに微笑を浮かべているのがやけに不気味だ。


「ああ、そうだレゼッタ。家の様子はどうだ?」


 腕でアイリスを後ろへ押しのけながらできる限りの平静を装って話を変えるとレゼッタはにこりと可憐な笑みをつくって小首を傾げた。


「とっても快適ですよ。この辺りは人間も来ませんし、なにより魔王様にプレゼントしていただいた家ですから。気に入っております」


「そ、そっか……できればそのまま気に入っててくれるか? またオークの泉とかに手を出したらあいつらも困るから」


「うふふ、ご安心ください。いまのところ引っ越す予定はございませんから」


「……ならよかったよ。ちょっと心配してたんだ、なにかあっても俺の手に余るからさ」


「あ、あのぅ……」


 確かめたかったもう一つの懸念。それがどうやら杞憂に終わったようでほっと一息つく間もなくアイリスがおずおずと手を挙げた。どうして数分程度も黙ってられないんだお前。


「ユーリくんにお家建ててもらったんですか……? 一軒家……?」


「地面に掘った穴です。もちろん中はそれなりに手を加えて部屋をつくっておりますが、わたしたちは普段地面の中で暮らす魔物なんです。いままでは掘り返した土で美しい外観を損ねてしまって困っていたんですが、魔王様がわたしの理想を叶えてくださったんです」


「モグラ……?」


「……アイリス」


「だって気になるじゃない。せめて話だけでも聞こうと思って。それもだめなの……?」


「ご覧になってみては?」


 ぞわりと背筋を悪寒が伝う。それも知らずアイリスは戸惑ったようにユーリの方へ顔を向け同意を求めるような困り顔をつくった。


「アイリスさんはなぜ先ほどから目を瞑っていらっしゃるんでしょう」


「あ、あのぅ……ごめんなさい……その、驚かせてしまうからって、ユーリくんが気を遣って……あの、あたし……転生者? で、いろんなことに慣れてないので……」


「まあ……そうでしたか。お気になさらないでください。わたしもできればみなさんを驚かせるようなことはしたくありませんから」


 レゼッタは春のそよ風のように温和で、取り立てて気が強いわけでもなく無意味な争いを好まない心の優しい女性だ。それは疑いようもない事実だと断言する。


「ですがこのような森の中でずっと目を瞑っているのは関心しませんよ。なんと言いますか……アイリスさん、一度その素敵なドレスの裾を振り払った方がよいかと」


 ……ただ、それ以上にたしかなことは他者を驚かせるのが大好きなお茶目な一面もあるということだった。


「え、振り払うって……え、どうして……?」


「……魔王様、早く取ってあげてください。服に入ってしまいます」


「えっ……な、なにっ? なにがっ……!?」


 とても遠回しな表現をしながらレゼッタは心配げな口調とは裏腹に可笑しそうな笑みを浮かべていた。すぐにアイリスの服に目を向けるといつの間にかドレスの上を数センチほどの小さな白い虫が這っていた。


「アイリス、慌てるな。虫じゃないから」


「やっ、なななんなのっ、なんかついてるのっ!?」


 かろうじて目を閉じたまま、けれどあきらかな異物の存在に気づいたアイリスが慌ててドレスの裾をばさばさと振る。


「レゼッタのいたずらだからじっとしてろって!」


 けれどそのときにはもうレゼッタの繭でつくられた虫がワンピースまで進んでおり、もぞもぞと服の上を進みながらやがて首に触れていた。


「ひぇっ!! やだやだなになになにっ!?」


 悲鳴を挙げて反射的に手で払いのけながら後ろへ飛びのいた拍子に木の根に足を取られて転ぶ。虫はそばの地面に落下すると雨に打たれた砂像のように崩れてただの白い繭の残骸へと変わっていった。レゼッタはその様子を眺めながら口元を手で隠して楽しそうに笑っていた。


「あっ……」


 咄嗟に目を開けてしまったアイリスがレゼッタを直視して声を漏らした。けれど想像していたものとは大きくかけ離れた姿だったらしく途端に頭の上へいくつもの疑問符が浮かび上がっていく。


「え……? まも、女の人……?」


 尻もちをついたまま怪訝そうにユーリを見て、確かめるようにレゼッタを見た。


「おぞましい姿かと思いましたか?」


「え、あ……あの、ええと……」


「アイリス、見るなっ」


「うふふ、ご心配なさらずともさして変わった姿はしていませんよ」


 止める間もなくレゼッタの足元から唐突に膜を破って次々と巨大な八つの節足が飛びだし泉の縁につま先をかけた。一つひとつが人間の胴体ほどもある茶褐色の脚がレゼッタの『本体』を持ち上げ、泉を覆っていた膜の表面が盛り上がっていく。そして、張力の限界を超えた膜がレゼッタの足元から破れ穴の中へ消えてしまうとついに隠されていた姿が露わになっていった。


「ひっ……!」


 途端に大きく目を見開きながら蒼白したアイリスがか細い悲鳴を漏らした。八つの足に頭と上半身が一つになった頭胸部と袋状に連なった腹部。この世界での知識がないアイリスでさえもよく見知った生物。


 そこにいたのは体長が五メートルをゆうに超える巨大蜘蛛だった。

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