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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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霞みに沈んで

 そうしてしばらくお互いの半透明な身の上話をして時間を潰しているうちにアイリスの疲れも回復し、ユーリたちは改めてイフの森を目指すことにした。


 歩きづらい森の起伏をひたすら登ったりくぐったりしていると徐々にその地形がなだらかになっていき辺りに広がる風景が少しずつ変わりはじめていく。まっすぐに伸びた木々が増えある程度平坦になった地面には柔らかな下草が生えており、あまり視界を遮るものはなく枝葉を抜ける日差しが森の向こうまで照らしていた。


「そろそろレゼッタのいる場所が近くなってきたぞ」


「魔物なんだよね……? どういう人なの……? あ、そもそも人なの……?」


「……からかうのが好きな奴かな。基本的には優しい性格をしてたと思うよ、仲間だった頃は」


「……やっぱり、戦うことになる……?」


「あいつに俺たちをどうこうするメリットとかないし平和的に終わってくれることを願ってる。機嫌が悪かったら知らん」


「ふ、ふーん……」


「そうそう、一つだけ大事なことがあるんだけどさ」


 そう言って振り返るとアイリスは不安げに少し表情を硬くしながら身構えた。


「なに……?」


「もう少し先へ行ったらそこからはずっと目を閉じててくれないか? 手は引くから」


「……え、なんで?」


「魔物の姿は見慣れてないだろ? 下手にびっくりしたらレゼッタが機嫌損ねるじゃん。あいつめちゃくちゃ乙女なんだから」


「……乙女って。魔物でしょ?」


「その偏見で散々オークを怒らせただろ。魔物だからって下に見てるといろんな意味で痛い目に遭うぞ」


「別に下に見てるわけじゃないけど……魔物って言われたらとっても狂暴だって思うのは普通でしょ?」


「向こうの世界ではな。あいにくこの世界にいる魔物はそういう物差しじゃ一括りにできないよ。ほんとにいろんなのがいるから」


「そっか……」


「ともかく絶対にレゼッタを見るな。お前は聖剣だけを握りしめていてくれればいい」


「う、うん……わかった……」


 そんなふうにアイリスがうなずいているとそれを聞いていたナーガはこっちへ足早にやってきた。


「魔王様、それならナーガも目を閉じておきます」


「ナーガはガン見してていいよ。なんかあったとき困るだろ」


「ですがびっくりするかもしれません」


「大丈夫だって。ナーガの肝の据わりっぷりには一目置いてるから」


「きっとびっくりする気がします」


「……ほんとにびっくりする気がするのか?」


「……」


 一回、二回、それから少し間を置いて三回目のまばたきを挟む沈黙があった。やがて微かに、ほんの些細な変化でなんとなく不満げな顔をしてアイリスを一瞥する。


「ナーガも手を引いてほしいです」


「これからレゼッタのとこ行くっつってんのにすげー呑気だよなお前……」


「だめですか」


「そんな冗談言う余裕があるんなら緊張感持っててくれ」


「……わかりました」


 がっかりしたように返事をすると複雑そうな面持ちで見ていたアイリスに気づき目を向ける。


「……なにを勝ち誇っているんですか」


「えっ、別に勝ち誇ってなんかないよっ!」


「アイリスは転生者なんですから自分の身は自分で守ってくださいね。ナーガは魔王様をお守りするだけで精一杯なので」


「ね、ねえ……なんでそんなにあたしのこと毛嫌いしてるの……? せっかく知りあったんだし、仲良くしようよ、ね……?」


「嫌です」


「えぇ……ゆ、ユーリくんっ……!」


「口は悪いけどそれほど嫌ってないって。だいたい一緒に来るように言いだしたのもナーガなんだし」


「もしもの場合の身代わりにしようと思っただけですよ」


「っ……あ、あたしがなにしたっていうのよっ……」


「まあまあ……」


 助けを求めるように涙目で訴えかけてくるアイリスを適当に手でなだめながらユーリはため息をついた。こんな感じでレゼッタのところへ行って大丈夫なのだろうか。


「お前もいい加減少しは仲良くやれよ。だいたいなにが気に入らないんだ?」


「それは……なんとなくとしか。理由を訊かれると困ってしまいます」


「言えないんだったら仲良くしてくれ。できるだろ?」


「はあ……魔王様がそうおっしゃるんでしたら……」


「じゃ、じゃあ……仲直り、してくれる?」


 渋々といった様子でうなずいたナーガにぎこちない笑顔を浮かべながらアイリスが手を差しだす。ナーガはきょとんとしながらそれを見つめた。


「なんですかその手は。なにもあげませんよ」


「仲直りの握手だよっ……あたしもっとナーガちゃんと仲良くしたいなー……」


「……」


 あはははと乾いた笑いを漏らすアイリスを微妙そうな顔で眺め、やがてナーガは少し嫌そうにその手を握った。怪力にものを言わせてぎゅっと握りしめたりというありがちなことも起こらず和やかに、きっと円満に二人の握手は交わされた。やれやれ、なんだこの険悪な雰囲気は。


 肩が凝るだけなので余計なことを言うのはやめにして気を取り直して森の中を進みはじめる。そのあいだに場を盛り上げようとアイリスが明るく話しかけ、ナーガのまったく愛想のない返事に尻すぼみになっていく会話を耳にしながら十分ほど歩いていたときだった。


「あ……ね、ねえちょっと待って。あれなに……?」


「ん?」


「ほら、あれ。なんか変なのが出てるんだけど……」


 いち早くそれに気づいたアイリスが不穏な様子で目を細めた。その視線の先にあったのは大木の枝についた真っ白な綿のようなものだった。まるで鼓動を打つように微かに膨らんでは縮んでおり、収縮にあわせて紫色の粉を周囲へ吹きだしている。


「あぁ、あれはレゼッタのつくる繭だよ。もう少し先へ進んでいけばあんなのがそこら辺にいっぱいできてる」


「なんなのあれ? 吸いこんでも平気なの……?」


「霧みたいなものだから特に害はないよ。ただあれが周りに満ちてると気温が少し下がる」


「……レゼッタさんってどういう魔物なの?」


「慎ましくてよく気の利く奴」


「そうじゃなくて、どういう姿をしてるのかってことよ」


「教えたら目を閉じろって言った意味はどこ行くんだよ」


「……おっきな毛虫みたいなのだったりしないよね?」


「一応は人の姿してるから安心してくれ。言葉も喋るし礼儀もある。目を閉じてれば大丈夫だよ」


「ならいいんだけど……」


 それを聞いてアイリスは怪訝そうにしながらもとりあえずの安心はしたようだった。繭を見て昆虫を連想したのはとても勘がよかった。けれどユーリはうそを言っていない。レゼッタは人の姿をしているのだ。一応は。あるいは部分的に。


 そのまま繭を通り過ぎて進んでいくと霧はさらに濃くなりぽかぽかとしていた陽気は徐々に遠ざかっていった。その辺りまで来ると完全に霧に飲まれてしまいある程度から向こうは淡い紫に霞んで見えなくなっている。明瞭な視界が確保されているわけではないが本来降り注いでいるはずの日差しのせいで奇妙な明るさがあり、ある意味では幻想的ともいえる景色の中にいた。


「アイリス、そろそろ目を瞑っててくれ」


「う、うん……ちゃんと案内してね?」


「任せろ」


 そう言って目を閉じると躊躇い気味に手を差しだしてきた。その手に触れた途端微かに身体を強張らせアイリスは落ち着かない様子で顔をうつむけた。


「なんかあったときは頼んだぞ、ナーガ」


「心得ておりますが……とても寒いです……」


 苦手と言っていただけあってナーガは身震いをしながらマントの襟元を手繰りあわせていた。


「上着貸してやろうか? これくらいなら我慢できる」


「……いえ、魔王様もしっかり厚着しておいてください。お風邪を召してしまいます」


「頼りにしてるからな」


「はい」


 周りの木々にはいくつもの白い繭がつくられており、気温が一気に下がり山道を歩いて暑いくらいだったのに早くも寒気がしていた。体感的には真冬に近いかもしれないが風が穏やかなおかげで耐えられないほどではない。けれど、そのせいか鳥たちのさえずりもなく森の中は不気味なほどの静寂に埋もれていた。


 そうしてアイリスの手を引きながら歩きだす。道はなだらかだったので事細かに注意をする必要はなかったが、暗闇の中で森を歩くのは不安なようでその足取りは一歩ずつ確かめるような慎重さがあった。


 おそらくレゼッタは俺たちがやって来ることもわかっているはずだ。それでも未だなにも起こっていないのをどう受け止めるべきか。敵対する意思がないからだと取りたいが楽観はできない。


 より一層気を引きしめながら周りに注意して進んでいると、やがて霞みの向こうに開けた場所があるのが見えた。


「すぐそこがレゼッタの住処だ。絶対に見るなよ」


「わかってるっ……」


 小声で念を押しながら近づいていくとそこには小さな泉が広がっていた。だがその表面は真っ白な膜で覆われており泉の中を窺うことはできない。実のところこの泉に水は溜まっておらず空洞になっているただの穴だ。


「レゼッタ、いるんだろ。俺だ」


 縁の手前まで行ってそう声をかけると少しして泉の中からがさがさと落ち葉を踏むようないくつもの足音がした。反射的にその音の正体を想像してしまい鳥肌が立つ。それを振り払いながら待っていると、やがて泉の中央が盛り上がり破れた膜の中から一人の女が姿を現した。

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