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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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光の通り道

 イフの森は村から三十分ほど山道を進んでいった先にある。村まではオークが通り道にしていたおかげで歩きやすかったがここまで来ると道はなくなってしまい辺りは完全に森の中に飲みこまれていた。


 勾配はそれほどないものの大きくうねるように伸びた大木の根や苔に覆われた大小様々な石がそこかしこで地面から盛り上がっており、跨いだり乗り越えたりしているうちに少しずつ少女は息を切らせ足取りは重たくなりつつあった。


「ナーガ、少し休もう」


 先を言っていたナーガがその声に振り返る。体重だけはくそ重いわりに彼女は道を塞ぐ木々の根を軽々と飛び越えていっており相変わらずの寝ぼけ顔に体力の低下は見受けられない。


 ほんと底なしだなこいつのスタミナ。


 ユーリの後ろをついてきていた少女は根を乗り越えようと手をかけたところでへばっていた。


「やれやれ、ひ弱ですね」


「しょ、しょうがないでしょっ……体育の時間くらいしか、運動してなかったんだからっ……」


「なんですかそれ」


「学校で身体を動かす授業があるんだよ。ナーガ、水筒出してやってくれ」


「この調子で飲んでいたらすぐになくなってしまいますよ」


「どこかで汲める場所を探すしかないな」


 仕方なくといった様子でナーガが水筒を出してくる。村を出る前に水を汲ませてもらっていたが既に少女がいくらか飲んでしまっていた。奇跡的に拾ってくれていたが、もしも水筒がなかったら完全についてこれてなかっただろう。


「一口だけだからな」


「もうちょっとだけだめ……? ずっと喉乾きっぱなしなんだけど……」


「動きづらくなるからだめだ。死にたくなけりゃ言う通りにしろ」


「はーい……」


 ため息をつきながら前に向き直る。木々のすきまから木漏れ日が降り注ぎ森の中へ薄く光のカーテンを引いていた。三十分もあればたどり着ける道のりだがこの分だともうしばらくかかってしまいそうだ。とはいえ聖剣の力のおかげか魔物の気配は見当たらないのでそう急ぐ必要もない。


「ところで、お前のことはなんて呼べばいいんだ?」


 ユーリは適当な場所へ腰を下ろすと水を飲んで一息ついていた少女へそう訊ねた。


「あ……そういえば、まだ名前も名乗ってなかったね……」


「どうせ覚えてないんだろ」


「……うん、忘れちゃったみたい……」


 少女は地面に伸びた細く小さな白い花を見つめながら小さく呟いた。とてもいまさらな質問になったのはそういう理由があった。訊いたところで転生者は自分の名前を持っていない。


「ユーリくんも自分でつけたの?」


「いや、名付けてもらったんだ。育て親がいたから」


「そっか……」


「適当に名乗ればいいんじゃねえの。日本人らしく花子とかそういうのとかさ」


「あたしが……?」


「手紙に思いっきり日本語書いてたじゃん」


「あ、そっか……あー、あたし日本人だったんだ……そっかぁ……日本人か……」


 語感を確かめるように何度も呟きながら頭上を見上げて思い返すような顔をする。それをにおわせる記憶は持っているというのに繋ぎあわせることができていないようだった。


「あ、もしかしてユーリくんも日本人なのっ?」


「一応」


「わぁっ……そうなんだっ……どこに住んでたのっ? なに県っ?」


「覚えてねえよ……」


「そっか……そうだよね……」


 出身が同じと知るや途端に顔を輝かせて身を乗りだしてきたものの、少し引き気味にユーリがそう返すと少女は残念そうに呟いて木の根に座り直した。


「こっち来てから一度も名乗らなかったのか?」


「え、あー……えっと……この世界に来てから一回だけバイトして……そのときに……ちょっと、その……」


 と、なにやらごにょごにょと言いづらそうに言葉を濁しながら微かに頬を赤くする。あのブーツに忍ばせておいた小銭は自分で稼いだみたいだった。物乞いとか拾ったりとかそういう涙を誘うエピソードではなくて安心した。惨めすぎるものな。


 それはともかくとしてなにを言い淀んでいるのかとユーリが首を傾げていると少女は勢いよく顔を上げた。


「わ、笑わないっ……?」


「聞いてみないとわかんないな」


「笑わないでっ」


「なにを躊躇ってんだよ」


「その……バイトしたの。お腹空いてたから、ご飯食べるお金くらい稼がないとって。それで花屋さんに行ったときに名前訊かれて……えーとぉ……」


「さっさと言えよ」


「……あ、あい……りす……」


 ぼそぼそ。森の微かなざわめきで消えてしまいそうなほど小さな声で呟くと少女はそのままうつむいた。かぁっとその頬が紅潮していき耳まで真っ赤になっていく。


「なに?」


「っ……アイリスって名乗ったのっ! 別に変じゃないでしょっ……!?」


「え? あ、ああ……変じゃ、ないけど……」


「あ、あの、あのねぇっ……あのねっ! 勘違いしないでよっ……!? 店先に置いてあったからそう名乗っただけで別にあたしが考えたわけじゃないから! ガーベラだったらガーベラって名乗ってたし忘れな草だったら忘れな草って名乗ってたからぁっ!!」


「忘れな草って名乗っちゃまずいだろさすがに……」


「あたしにとってはなんでもよかったって意味なのっ……! 仕方なくそうしただけなのっ! わかった!?」


「なにがそんなに恥ずかしいんだよ」


「だ、だって……! あたしっ……覚えてないけど花子とか正美とかそういう雰囲気の名前だった感触はあるんだもんっ! なのに、あい、アイリスって……! ひゃ、ぞわぞわしてきたっ……なによアイリスって、日本人なのに、ばかみたいっ……」


 少女は、いやアイリスは、なにかしらの意味合いが混じったアイリスはそんなふうに早口で捲し立てると涙目になりながら悶絶していた。


「別に変じゃないじゃん。その名前でいいんならそう呼ぶわ、よろしくなアイリス」


「アイリスという名前だったんですね、どうぞよろしくお願いします」


「やめてーっ!!」


 たぶん異世界の雰囲気でそういう名前の方が相応しいとかそんな理由で必死に照れを振り払ったんだろうな。そりゃ生前の世界でいい歳こいた高校生が『あたしアイリス、聖剣士なの☆』とか言ってれば痛々しいことこの上ないけどさ。


「この女はいったいなにをさっきから照れているのですか」


「ごっこ遊びみたいだとか思ってるんじゃねえの。あとせめて名前で呼んでやって、せっかく頑張って名乗ったんだから」


「変じゃないんだよね……? あたし、アイリスって名乗ってても笑われないよね……?」


「笑わないって。変に意識しないで使ってればそのうち慣れるだろ」


「だったらいいんだけど……はあ……高校生にもなってアイリスかぁ……」


 いつか本名を思いだす日が来るとしたら。そのときはかならずその瞬間に立ち会いたいとユーリは切実に思った。


「ねえ、二人はいくつなの? というかなんで一緒にいるの? 二人のこと全然知らないからいろいろ教えてほしいな」


「どうせ今日で終わる仲なんだし別にいいだろその辺りのことは」


「……そんな言い方、しなくても……」


 たしかにちょっと冷たかったかもしれない。しゅんとして肩を落とした少女を尻目にユーリはため息をついた。


「……俺は魔王でこいつは城にいた下っ端。力がなくなって手下がみんないなくなったからとりあえず旅をしてる途中だよ。こいつはそこについてきた金魚の糞」


「そんな、金魚の糞だなんて身に余るお言葉です」


「けなしたんだよいまの」


「それでも身に余っているかと」


「余ってるわけねえだろ、うんこだぞ」


「あ、あはは……え、えーと、ユーリくんは十年くらいこの世界に住んでるんだよね。……それってすごく小さいときに来たってこと?」


「六歳のときだったな。転生して早々に死にかけたよ」


「えっ、じゃあいま十六なの……!?」


「そうだけど」


 怪訝に思いながらうなずき返すと仰天していたアイリスはしげしげとこちらを見つめ、やがてそっとため息をついた。


「はあ……二つ下なんだ……大人びてるから同い年か年上くらいだと思ってた……」


「こんな世界にいれば逞しくもなるよ。転生者ならなおさらな」


「あ、あのぅ……ナーガちゃんは何歳なの……?」


「ナーガは十五歳です」


「二人ともまだそんな歳なのにしっかりしてるんだね……」


「ここでは珍しい話じゃないよ。十五にもなれば立派に働いてる奴もいる」


「……大丈夫かなあたし……また不安になってきちゃった……知らない人ばかりだし、気が重いよ……」


 そうしてまた深いため息をついていく。これから彼女はたった一人でこの世界を歩いていかなくてはならない。なにも知らないまま、自立を求められる年齢で。ユーリには世界のあらましを知る猶予も教えてくれる一応の育て親もいたのでその点に関しては早死にしてよかったのかもしれない。


 十数年という歳月の断片的な記憶はきっと、アイリスにとっての足枷になることの方が多いのだろうとユーリは思った。


 本当ならこの森だっていつ魔物に襲われるかもわからない場所だ。この森だけじゃなく、町の外ならどこでだって。そんな危険がありふれているとも知らず、もしかしたら彼女はのどかで静かな落ち着いた森の中だとか思っているかもしれない。


 実のところアイリスが無防備に座っている木の根のそばに伸びた小さな花こそがアロマージモーブだった。聖剣の力の影響かその花が少し嫌がるように身を傾けていることには気づいていないようだった。そんなふうに、生前ではありふれていたものが魔物であったなんてケースは多い。ユーリはこっそりアロマージモーブを摘み取るとつぼみを押し潰さないように上着のポケットに入れた。


「そう暗い顔するなって。心配しなくてもお前はうまくやっていけるから」


「……そうじゃないの。なんとなく覚えてることはあるけど、あたしがどんな人だったのかとか、そういう具体的な記憶がないから……なんか、自分が自分じゃないというか、このままでいいのかなって漠然とした不安があって……」


「そのうちなんかの拍子に思いだすことも出てくるよ。輪郭をなぞるような感じで」


「ちょっとくらい思いだせないかなー……」


「高校生だったんだろ? 不良ってやつなんじゃねえの、その金髪なら」


 それくらいになると髪を染めてタバコを吸ってバイクで暴走する連中がいる。そんな話をおそらく親から聞いたことがあった気がする。少女の髪の毛は木漏れ日の中できらきらと輝いていた。


 と思っていたのだがアイリスはリボンの先でまとめられた髪を持ち上げると点滴が終わるのを待つ患者みたいに気のない顔でそれを一瞥して背中の方へ投げた。


「……これこっちで気がついたときに染められてたの。金色の方が似合うからって」


「誰に」


「知らない。あの人じゃない。あんまり似合ってないよねこれ」


 それも天使の仕業なのか。なにがしたいんだあいつ。気に入られているのか遊ばれてるのかはともかく一応こっちは罪人扱いで連れてこられてるはずでは。

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